太陽を愛した狼

カナメ

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本編 第二章 【王都編】

吉凶を司る黒

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 背中が暖かい。
 体の前側は、背中に比べて寒い。
 その温もりが恋しくて、寝返りをして擦り寄る。
 鼻をくすぐる木のような良い香り。暖かい。
 その心地よさに口元を緩め擦り寄る。


「…アビー」


 低くて、優しくて、柔らかい。
 私の名を囁く声。
 その響きがあまりにも素敵な音で、もっと聞いていたいなと思わずにはいられない。


「アビー」


 私の願いはあっさりと叶ってしまう。
 まるで私の心などお見通しのように、その声の主はいつだって私の要求を叶えてくれる。

 額に柔らかい感触が伝わる。
 温もりを纏い、雫が落ちるよりも優しく記憶に残るそれが、アラスターのキスだと私の心も体もとっくに覚えている。

 夢か現実か。
 どちらともいえない曖昧な場所から、緩やかに現実へ覚醒していく。


「アビー」


 夢の世界から現実に向かうまで、決して迷わないように道標のごとく私の名を呼び、再び額にキスされる。
 私は彼に起こされるまでのこの緩やかな時間も、とても大好きだった。

 ゆっくりと開いたまぶたはまだ少し重たい。
 目線を上げる。
 穏やかな表情とわずかに目を細めて微笑みかけるアラスターは、ランタンから浴びた光で綺麗な金色の瞳を煌めかせていた。


「おはよう、アビー」
「……お、はよ…ござ、います」


 寝起きで出にくい声でなんとか応えつつ、大きく深呼吸をする。
 胸いっぱいに吸い込んだ彼の匂いに、覚醒させたはずの意識がまた微睡む。
 彼から与えられる熱と匂いをもっと欲しくなって、彼の胸元に擦り寄り、また深呼吸をする。
 それだけで私は心が癒されて、またこのまま眠りにつきたいと思ってしまうのだ。


「君は本当に愛らしいね、アビー」


 顔にかかった髪をゆっくりと払いのけながら、私の頭に口付けて相変わらず優しく囁く彼。
 穏やかで心地よくて。


「…すき、です。あらんさま」
「………」


 この優しい時間が私にとっては当たり前で。
 だから無くなってしまうことなんて、想像出来なくて。想像出来ないくらい、彼のことが大好きで仕方なくて。

 自然と口に出た言葉。
 けれど私を撫でていたはずの手がぴたりと止まった。
 疑問に思って視線をあげようとするけれど、彼にひしと強く抱きしめられて顔を胸元に埋める。


「アビー、私も愛してるよ。けれど、ね?これ以上私を煽らないでくれるかい」
「……っ!」


 その言葉と同時に私の腰を抱いていた手がつつ…と下がり、尾骨の辺りを指先で撫でられ一気に覚醒する。
 思わず勢いよく身を起こし、顔に熱が集まるのを感じる。
 彼が嫌なんじゃなくて問題なのは場所と状況だ。ここはテントだし、外にはメルシエ様がいるし、なんなら護衛依頼の途中だ。
 そんな時にそんなことできるはずもないし、彼だってそれが分かってるから、今みたいに牽制してくれた……んだと思う、たぶん。


「ふふ…目が覚めたかな?」
「……すっかり」
「寝ぼけている君はとても愛らしいけれど、私には効き過ぎるんだ」
「あー!恥ずかしいのでやめてください」


 くすくすと笑いながら身を起こした彼に恨めし気な視線を向け、いつのまにか外されていたメガネを枕元から取ってかける。
 はらりと肩にかかった髪を見て、髪紐が解かれていることに気が付く。
 そうか、昨日は疲れてそのまま眠ってしまったから。アラスターがメガネを取り髪紐も解いてくれておいたのだろう。
 私が寝る時は必ずそうするのを彼は分かっているから。


「まだ朝も早いけれど、早めに支度を整えて出発しようか」
「なるほど…急いで支度します」
「寒いからコートを着ると良いよ。持ってきているかい?」
「あ、でしたら…トランクの中にありますので出していただけますか?」
「分かったよ」


 彼の魔法で収納してもらっていたトランクを出してもらう。トランクを開きコートを取り出しつつ手鏡を立てかけ、櫛で梳かしながら手際よく三つ編みにしていく。
 立てた片膝に肘をつき、用意する私を楽しそうにアラスターが見ているのを鏡越しに見る。


「……楽しいですか?」
「楽しいよ?」
「すぐに飽きると思ってました」
「飽きないとも。時間が許すなら私が君の用意を手伝いたいところだよ」
「じ、自分でできます!それにアラン様、三つ編みとか出来るんですか?」
「出来るよ?折り紙付きなんだ」
「本当になんでも出来ますね…」


 前々から思っていたけれど、この人は出来ない事を数える方が早そうだな。と、少し呆れた眼差しを鏡の中のアラスターに向けつつ支度を整える。
 彼も寝具を片しながら魔法で収納していく。
 私がコートを羽織り、トランクを閉じるとそれも収納しようと手を伸ばし、私を見る。


「今度、私に君の髪を整えさせてくれるかい?」
「むぅ……時間がある時だけですよ?」
「そうだね。出来れば堪能したいので、時間がある時が望ましいよ」
「わかりました、わかりましたから!」


 言いつつ隙あらば私の頬やらうなじやらにキスを落とすアラスター。その甘さに朝から沸騰しそうな気分になって、離れるように促す。

 彼はたぶん自覚ないんだろうけど、朝はとびきり甘い。それはもうチョコレートケーキの上から砂糖をまぶしてさらにクリームを乗せるくらいには。
 その度に私だって言葉にしがたいくらい、心の中で悶絶してるんだけどなあ。

 小さくため息を漏らしつつ、私も寝具やテントの片付けを手伝い始めた。



 ーーーーーー



 昨晩の残りのスープとパンを朝食にし、野営を片付けて私たちは再び王都へ向けて出発していた。
 朝食でお腹も満たされ、馬車の揺れが心地よい。
 そして何よりも、私の膝の上にはアラスターのカラスが居る。ほんのりとした体温がさらに私の眠気を誘うのだ。


「………」


 じぃ…と私の向かいに座るアラスターが、面白くなさそうな顔でカラスを見ている。
 そんな彼の視線などお構いなしに、カラスは羽根繕いをして私の膝の上で体を休める準備をしている。
 こんなに間近で鳥を見たことがなかったから、私はカラスの一挙一動を興味津々に見てしまう。私が覗き込むように体を動かすとカラスは時折動きを止め、彼と同じ色の瞳で私をじっと見る。


「貴方、昨日は一日中見張りをしてくれていたんですもんね」


 よしよしと労わるようにカラスの体を撫でると、カラスは心地良さそうに目を細めいよいよ眠る体勢に入っている。
 リラックスし始めると羽毛がふわふわとし始めて、触り心地が抜群になる。可愛い。
 私の目の前にいるカラスの主人といえば、心底呆れた面持ちのまま小さく溜め息をついて外の風景へと視線を巡らせていた。

 不満げではあるものの、それを言葉にしたり行動にしない彼が新鮮で。
 アラスターもカラスがしっかりと仕事をこなしているのをよく理解しているからこそ、強く何かを言ったりしないのかな…なんて考えていた。


「アラン様、このカラスさんとは長いんですか?」
「…どうだろうね。おそらく5年は経ってるんじゃないかな」
「それは長いですね。いつもこうして任務に連れて行ってるんですか?」
「単独行動の時は連れていくよ。流石に夜の番は私だけじゃ限界があるからね」
「そうですか…ふふ、ならこの子はアラン様の相棒ですね」


 あなたは私の知らない彼を知ってるんだね。なんだかそれが少し羨ましく思えて、同時に彼を支える存在がどんな形であれ居たことが嬉しく思えて微笑む。
 撫でる手の動きを緩やかに優しくして、カラスが安心して休めるようにしてあげる。
 いつも彼を守ってくれてありがとうと、感謝を込めて。


「君は本当に動物が好きだね。本来カラスは縁起が悪いと忌み嫌われるものなのに」
「そうみたいですけど…場所によってカラスは縁起が良いとされているところもあるんですよ」
「それは初耳だね。どんな話かな?」


 …しまった。
 思わず言ってしまったが、これはこの世界の話ではなく前世の話だ。
 しかもこの世界において黒は不吉や魔物の象徴であり、カラスの異様な賢さから実は魔物なんじゃないかなんて説もあるそうだ。
 私が今住んでる街はすっかりアラスターという存在に慣れており、そんな事を口にする人は居なくなったけれど…それでも皆、心のどこかでは良くないものだと認識してしまっている。

 どうしたものか。
 少し考えるけど、少しくらいなら大丈夫かな。
 私だってそんなに明確に覚えてるわけじゃないし。


「えと、遠い国ではカラスは太陽の神様の遣いだって話を聞いたことがありまして」
「……そう、なのかい?」
「私も正確に覚えてないですけどね」


 一瞬きょとりとした彼は、すぐにその表情を崩し少し嬉しそうにはにかむ。


「太陽の神の遣いか…素敵だね」


 …そっか。
 彼の髪色も黒だから忌避されるだけじゃなくて、迎合される場所があるって知れて嬉しいのかな。
 そう思うとなんだか私も嬉しく思えて、口元が緩む。




 そんな他愛のない話を交えつつ、私たちの王都への旅路は驚くほど順調だった。

 それもそうだ。
 この道はあの街から唯一王都へ続く道。
 冒険者たちの評判や活躍のある圏内はかなり治安も良く、あの街から護衛をつけてきたであろう馬車を襲う野盗などほぼ皆無なのだ。

 魔物もかなり数を管理されており、人的被害を及ぼさない限りは冒険者が討伐しにくることもない。
 自然の営みに必要な作用をもたらすのも魔物だ。片端から討伐せず、被害を出す魔物だけを処理するのを徹底しているあの街の意向は現状最適解と言えるんだろう。

 その流れの中にアラスターや、些細ではあるけれど私も尽力出来ていることが誇らしい。

 目前に迫る街を取り囲む大きな壁を見据えながら、私は胸を高鳴らせながら見据えた。





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