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3 出発当日
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店と倉庫に繋がる廊下には左右の壁に棚が設けられている。店に並べられた薬の備蓄や依頼品の一時置き場所である。
その廊下と店の境目に、長い藍色無地の暖簾が下げられている。その陰で依頼品である薬袋を抱えて、暖簾の隙間から店内入り口にいるあかりを確認する。
所在なさげに入り口近くの柱で、もじもじと突っ立っている。
奉公人や他の客に比べて小さいが、久尾屋の客層から見て若いため、いるだけで存在感がある。店に出入りする者たちが一様にあかりに目を留める。
手には小さな桃色の、使い古して毛羽だった巾着袋を持っていたが、両手で強く持ち過ぎて手拭いに見える。
着ている物も全体的に使用感があり、十八歳の年頃にしては地味な赤茶の着物に、黒と白の細縞模様の帯を締めている。ふだん袖を括っているのか、右脇下あたりの帯に朱色の紐が挟まっていた。
夏になるというのに生地は厚めで、襟の辺りにはうっすら塩が浮いていた。
「お待たせ致しました、こちらになります。不足がないかご確認いただけますか?」
そう声を掛けながら、三和土から小上がりにあかりを促す。
聞こえるか聞こえないかくらいの返事をして、小上がりに置いた茶色の巾着袋に手を伸ばす。
巾着袋の中には、薬種別に白い紙袋に小分けされたものが五袋入っていた。
その紙袋から、更に油紙で小分けになった包みがざっと二十、三十包出てきて、それをひとつひとつ数える。
包みを手に取るその手も小さく、水仕事が多いためか指先はうっすら赤い。指の節、手の甲は荒れていた。
冬場になったらもっと赤くなり、痛々しいのだろう。
再び廊下に戻り、棚に置いてある籠から商品(だった物)をひとつ取り出し、あかりの元に戻る。
「数、種類は間違いなかったでしょうか?」
「はい、大丈夫です。数も種類も揃っております、ありがとうございます。」
包みを紙袋に、紙袋を巾着袋に戻したあかりの手を取り、そっと渡した。
あかりの右掌に、白い蛤のような合わせ貝が載せられた。
よく見ると、紅色で小さく桜が描いてあり、細長い薄茶色の油紙で封がされている。油紙には(久尾屋)と書いてあった。
「そちらは春に売っていた物なのですが、手荒れに効く軟膏が入っています。夜寝る前にお使い下さい。」
「え… あの、ありがとうございます…。おいくらになりますか?」
戸惑いながらも手に載った貝殻を、珍しそうに眺めながら言った。
療養所でも軟膏は使っていると思うが、絵が描かれた物は珍しいのだろう。
「お代は結構です。その、売れ残りといいますか。これから暑くなってきますと溶けて商品にはなりませんので、機会があるとお客様などに配っているんです。どうぞ。」
「いいんですか?可愛いですね。使わせていただきます。ありがとうございます。」
笑顔はなかったが、重ね重ね礼を言うあかりは好印象だった。
貝殻を桃色の巾着袋に納め、置いてあった薬袋を抱えた。
薬袋はあかりが持つと思いの外大きく、顎下から下腹まで隠れてしまった。重くはないが、ずっと抱えてるのは大変そうだ。
深くお辞儀をして、店を出て行くあかりについて一緒に外に出た。
風はなく、強い日差しが降り注いでいる。あと少しもすると梅雨になるので、貴重な晴天である。
「あの、失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい、あかりと申します。えっと、平仮名で。あなたのお名前は…?」
「あっ、失礼いたしました、手前から名乗らず聞いてしまって。私は蒼助(そうすけ)と申します。」
「蒼助さんですね。」
「はい、字は蒼天の蒼に助けるです。」
「あら、素敵な名前ですね。今日の、お天気みたいですね。」
「そうですか?でも私、冬生まれでして…なんか寒々しい名前だなって思っていたんですが。褒められてちょっと変わりました。」
店先で軽く笑い合い、また深々とお辞儀をし、あかりは店を後にした。
あかりは帰り道、手代なのにしっかりしていて、如才がなくて立派だな、と、歳が近そうな蒼助に尊敬の意を感じていた。
かっこいいとは思ったが、近所に住む友達のようにははしゃげなかった。
恋愛をしたことがまだなかった。男性に声を掛けられることも、祭りに誘われたこともない。
きっと、火傷跡を見て気が引けるんだ、性格が他の子達より明るくないからだと蔑んだ。
あかりという名も、祥庵というガサツな坊主が適当に付けた名前だ。
残念ながら名前のようにはならなかった。きっと本当の名前は、根暗でジメジメした名前なんだろう。
そんな事を考えながら、帰路に着いた。
「おやじ、例の子、会ったよ。」
だいぶ端折った言い方で、取り敢えず報告する。
悪くはない女だが、手を触れても俺どころか軟膏に興味を持っていたな…変な女。
「どうだった?好感触だったか?」
「悪くはないと思う。餌付けもしといたしな。」
「餌付けって…言葉を選びなさい。見た目が良くてもそんなんじゃ、いつかボロが出て相手にされなくなるぞ。」
店では客の手前、人の良さそうな言葉遣いと振る舞いで、女子供だけでなく男性客からも評判を呼んでいる。だが、実際は口が悪く、感情が態度や顔に出やすい。鳳右衛門は本気で心配していた。
女にモテているのは知ってはいるが、とんと興味はなさそうだし、付き合ってるだとか、一緒に出掛けただとかの話も聞かない。
恭亮の心配もあるが、蒼助も心配だった。
とにかく、出だし蒼助がしくじったら元も子もない。
自分に全く似ず、見た目だけ色男に育った息子の後ろ姿を見ながら、鳳右衛門は深く溜め息をついた。
あかりが久尾屋に初めて訪れてから一週間ほど経った頃、あかりのいる大川療養所から、依頼の連絡を店の丁稚が持ってきた。
薬を頼む期間としては早いが、これも雪庵先生とおやじの策略だ。
なんやかんや用事を作って、久尾屋へあかりを使いに出す。
数日後あかりは店にやって来た。前回より幾分生地の薄い、夏らしい色合いの着物を着ていたが、いつ作ったのかと思うような使用感であった。
きっと奥方の着物を解いて作り直し、毎年夏になったら着ているのだろう。
依頼品の薬袋を受け取り、帰ろうとするあかりを引き留めた。
「よろしかったら、冷えた麦湯でも飲んで行かれませんか?だいぶ暑くなってきましたし、家に着くまでにバテてしまうでしょう。」
苦笑いのような笑みを浮かべて店裏の、奉公人達が休憩で使っている長椅子にあかりを促した。用意していた麦湯を手渡す。
ふつうだったら喜び、もじもじしたり質問攻めしてくるのに、この女は何も言わずに麦湯を飲んでいる。
変わった女なのかな。
なぜ私は、ここで麦湯を…?
他の客の様子も見ていたけれど、太客っぽい人は店の奥に通されていたし、他の客は店先で麦湯を勧められていた。
喉が渇いていたので期待していたが、蒼助の手に麦湯はなくガッカリした。店を後にしようとしたら、身内が使う場所に通されてしまった。
身内と言っても家族の者でなく、奉公人用という感じだが、なんだか居心地が悪い。
特別扱いされる理由が見当たらないし、会話も見つからない。早く飲んでさっさと帰ろう。
「ご馳走様でした。では、その…また。」
立ち上がろうとすると、横に立っていた蒼助が隣に座ってきた。
なに。
横に並んで座って見ると、背の高さから考えるに座高がもっとありそうなもの。なのにさほど視線の高さが変わらない…脚が長いということか。
確かに膝下が長いのか、座っている長椅子の高さよりだいぶ上に膝がある。ありあまっているという感じだ。
足の指まで長く、いちいちきれいで嫌気が差してくる。
「あかりさんは、療養所ではどういったお仕事をなされているんですか?」
「仕事と言えるような事では…。包帯を巻いたり、器具を洗ったり、脚が悪い人には肩を貸したり。そんな程度です。」
「いえいえ、ちゃんとしたお仕事ですよ。雪庵先生も助かっている事でしょう。むしろ私なんて、お客様に言われたままの物を用意するだけで。調合や処方は、お医者さんのお仕事ですからね。」
「いえ、薬種問屋さんがいなければ、お医者仕事は成り立ちません。蒼助さんの仕事こそ立派なお仕事ですよ。そのお歳で自分より上のお客様を、如才なくご案内してらっしゃるし。…あの、おいくつから久尾屋に?」
「え、何歳… そうですね、五歳くらいからですかね?」
「今は手代ですか?私とさほど歳は変わらないように見えますが、こんな大店で立派にお店を回してるなんて。」
…手代?
あぁ、こいつは俺を奉公人だと思っているのか。奉公人のお仕着せと、ぜんぜん違う成りなのに。
そうか、自分の着物にも頓着しないくらいだ、人の格好なんて気にならないんだな。
これ、けっこう良い露の着物なんだけどな。
「ええ、昨年手代になりまして。来年二十歳になるので、箔を付けてやるなんて言って。仕事もたいしてできないのに、手代にしてもらいました。」
意外とさらさら嘘って付けるもんだな。
「ゆくゆくは暖簾分けなど視野に入れてらっしゃるのですか?楽しみですね。」
いや、俺この店の次期当主だし。
「そうですね…ゆくゆくは。暖簾分けした際には是非いらして下さいね。」
下らない。
「はい、是非。」
…なんかめんどくさくなってきたな。
でも、兄さんの奥さんになったら家にいるわけだし、仲良くしておいた方が…いや、百日経ったらいなくなるんだし。
まぁちょっとの間、合わせとけばいいのか。
…やっぱりめんどくさいな。
「……では、麦湯ご馳走様でした。」
なんやかんや考え事をしていると、何かを察したのかあかりは立ち上がった。空になった夏用の茶器を蒼助に渡して礼を言った。
「いえ、たいしたお構いもできませんで…。」
「失礼いたします。」
蒼助に見送られながら、あかりは久尾屋を後にした。なんか最後つまらなそうだったな。話がなくなったっていうか、暖簾分けの話がまずかったのかな…。
あかりも蒼助も、何かもやもやとした気持ちで別れた後、何とも言えない後味の悪さを感じた。
その廊下と店の境目に、長い藍色無地の暖簾が下げられている。その陰で依頼品である薬袋を抱えて、暖簾の隙間から店内入り口にいるあかりを確認する。
所在なさげに入り口近くの柱で、もじもじと突っ立っている。
奉公人や他の客に比べて小さいが、久尾屋の客層から見て若いため、いるだけで存在感がある。店に出入りする者たちが一様にあかりに目を留める。
手には小さな桃色の、使い古して毛羽だった巾着袋を持っていたが、両手で強く持ち過ぎて手拭いに見える。
着ている物も全体的に使用感があり、十八歳の年頃にしては地味な赤茶の着物に、黒と白の細縞模様の帯を締めている。ふだん袖を括っているのか、右脇下あたりの帯に朱色の紐が挟まっていた。
夏になるというのに生地は厚めで、襟の辺りにはうっすら塩が浮いていた。
「お待たせ致しました、こちらになります。不足がないかご確認いただけますか?」
そう声を掛けながら、三和土から小上がりにあかりを促す。
聞こえるか聞こえないかくらいの返事をして、小上がりに置いた茶色の巾着袋に手を伸ばす。
巾着袋の中には、薬種別に白い紙袋に小分けされたものが五袋入っていた。
その紙袋から、更に油紙で小分けになった包みがざっと二十、三十包出てきて、それをひとつひとつ数える。
包みを手に取るその手も小さく、水仕事が多いためか指先はうっすら赤い。指の節、手の甲は荒れていた。
冬場になったらもっと赤くなり、痛々しいのだろう。
再び廊下に戻り、棚に置いてある籠から商品(だった物)をひとつ取り出し、あかりの元に戻る。
「数、種類は間違いなかったでしょうか?」
「はい、大丈夫です。数も種類も揃っております、ありがとうございます。」
包みを紙袋に、紙袋を巾着袋に戻したあかりの手を取り、そっと渡した。
あかりの右掌に、白い蛤のような合わせ貝が載せられた。
よく見ると、紅色で小さく桜が描いてあり、細長い薄茶色の油紙で封がされている。油紙には(久尾屋)と書いてあった。
「そちらは春に売っていた物なのですが、手荒れに効く軟膏が入っています。夜寝る前にお使い下さい。」
「え… あの、ありがとうございます…。おいくらになりますか?」
戸惑いながらも手に載った貝殻を、珍しそうに眺めながら言った。
療養所でも軟膏は使っていると思うが、絵が描かれた物は珍しいのだろう。
「お代は結構です。その、売れ残りといいますか。これから暑くなってきますと溶けて商品にはなりませんので、機会があるとお客様などに配っているんです。どうぞ。」
「いいんですか?可愛いですね。使わせていただきます。ありがとうございます。」
笑顔はなかったが、重ね重ね礼を言うあかりは好印象だった。
貝殻を桃色の巾着袋に納め、置いてあった薬袋を抱えた。
薬袋はあかりが持つと思いの外大きく、顎下から下腹まで隠れてしまった。重くはないが、ずっと抱えてるのは大変そうだ。
深くお辞儀をして、店を出て行くあかりについて一緒に外に出た。
風はなく、強い日差しが降り注いでいる。あと少しもすると梅雨になるので、貴重な晴天である。
「あの、失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい、あかりと申します。えっと、平仮名で。あなたのお名前は…?」
「あっ、失礼いたしました、手前から名乗らず聞いてしまって。私は蒼助(そうすけ)と申します。」
「蒼助さんですね。」
「はい、字は蒼天の蒼に助けるです。」
「あら、素敵な名前ですね。今日の、お天気みたいですね。」
「そうですか?でも私、冬生まれでして…なんか寒々しい名前だなって思っていたんですが。褒められてちょっと変わりました。」
店先で軽く笑い合い、また深々とお辞儀をし、あかりは店を後にした。
あかりは帰り道、手代なのにしっかりしていて、如才がなくて立派だな、と、歳が近そうな蒼助に尊敬の意を感じていた。
かっこいいとは思ったが、近所に住む友達のようにははしゃげなかった。
恋愛をしたことがまだなかった。男性に声を掛けられることも、祭りに誘われたこともない。
きっと、火傷跡を見て気が引けるんだ、性格が他の子達より明るくないからだと蔑んだ。
あかりという名も、祥庵というガサツな坊主が適当に付けた名前だ。
残念ながら名前のようにはならなかった。きっと本当の名前は、根暗でジメジメした名前なんだろう。
そんな事を考えながら、帰路に着いた。
「おやじ、例の子、会ったよ。」
だいぶ端折った言い方で、取り敢えず報告する。
悪くはない女だが、手を触れても俺どころか軟膏に興味を持っていたな…変な女。
「どうだった?好感触だったか?」
「悪くはないと思う。餌付けもしといたしな。」
「餌付けって…言葉を選びなさい。見た目が良くてもそんなんじゃ、いつかボロが出て相手にされなくなるぞ。」
店では客の手前、人の良さそうな言葉遣いと振る舞いで、女子供だけでなく男性客からも評判を呼んでいる。だが、実際は口が悪く、感情が態度や顔に出やすい。鳳右衛門は本気で心配していた。
女にモテているのは知ってはいるが、とんと興味はなさそうだし、付き合ってるだとか、一緒に出掛けただとかの話も聞かない。
恭亮の心配もあるが、蒼助も心配だった。
とにかく、出だし蒼助がしくじったら元も子もない。
自分に全く似ず、見た目だけ色男に育った息子の後ろ姿を見ながら、鳳右衛門は深く溜め息をついた。
あかりが久尾屋に初めて訪れてから一週間ほど経った頃、あかりのいる大川療養所から、依頼の連絡を店の丁稚が持ってきた。
薬を頼む期間としては早いが、これも雪庵先生とおやじの策略だ。
なんやかんや用事を作って、久尾屋へあかりを使いに出す。
数日後あかりは店にやって来た。前回より幾分生地の薄い、夏らしい色合いの着物を着ていたが、いつ作ったのかと思うような使用感であった。
きっと奥方の着物を解いて作り直し、毎年夏になったら着ているのだろう。
依頼品の薬袋を受け取り、帰ろうとするあかりを引き留めた。
「よろしかったら、冷えた麦湯でも飲んで行かれませんか?だいぶ暑くなってきましたし、家に着くまでにバテてしまうでしょう。」
苦笑いのような笑みを浮かべて店裏の、奉公人達が休憩で使っている長椅子にあかりを促した。用意していた麦湯を手渡す。
ふつうだったら喜び、もじもじしたり質問攻めしてくるのに、この女は何も言わずに麦湯を飲んでいる。
変わった女なのかな。
なぜ私は、ここで麦湯を…?
他の客の様子も見ていたけれど、太客っぽい人は店の奥に通されていたし、他の客は店先で麦湯を勧められていた。
喉が渇いていたので期待していたが、蒼助の手に麦湯はなくガッカリした。店を後にしようとしたら、身内が使う場所に通されてしまった。
身内と言っても家族の者でなく、奉公人用という感じだが、なんだか居心地が悪い。
特別扱いされる理由が見当たらないし、会話も見つからない。早く飲んでさっさと帰ろう。
「ご馳走様でした。では、その…また。」
立ち上がろうとすると、横に立っていた蒼助が隣に座ってきた。
なに。
横に並んで座って見ると、背の高さから考えるに座高がもっとありそうなもの。なのにさほど視線の高さが変わらない…脚が長いということか。
確かに膝下が長いのか、座っている長椅子の高さよりだいぶ上に膝がある。ありあまっているという感じだ。
足の指まで長く、いちいちきれいで嫌気が差してくる。
「あかりさんは、療養所ではどういったお仕事をなされているんですか?」
「仕事と言えるような事では…。包帯を巻いたり、器具を洗ったり、脚が悪い人には肩を貸したり。そんな程度です。」
「いえいえ、ちゃんとしたお仕事ですよ。雪庵先生も助かっている事でしょう。むしろ私なんて、お客様に言われたままの物を用意するだけで。調合や処方は、お医者さんのお仕事ですからね。」
「いえ、薬種問屋さんがいなければ、お医者仕事は成り立ちません。蒼助さんの仕事こそ立派なお仕事ですよ。そのお歳で自分より上のお客様を、如才なくご案内してらっしゃるし。…あの、おいくつから久尾屋に?」
「え、何歳… そうですね、五歳くらいからですかね?」
「今は手代ですか?私とさほど歳は変わらないように見えますが、こんな大店で立派にお店を回してるなんて。」
…手代?
あぁ、こいつは俺を奉公人だと思っているのか。奉公人のお仕着せと、ぜんぜん違う成りなのに。
そうか、自分の着物にも頓着しないくらいだ、人の格好なんて気にならないんだな。
これ、けっこう良い露の着物なんだけどな。
「ええ、昨年手代になりまして。来年二十歳になるので、箔を付けてやるなんて言って。仕事もたいしてできないのに、手代にしてもらいました。」
意外とさらさら嘘って付けるもんだな。
「ゆくゆくは暖簾分けなど視野に入れてらっしゃるのですか?楽しみですね。」
いや、俺この店の次期当主だし。
「そうですね…ゆくゆくは。暖簾分けした際には是非いらして下さいね。」
下らない。
「はい、是非。」
…なんかめんどくさくなってきたな。
でも、兄さんの奥さんになったら家にいるわけだし、仲良くしておいた方が…いや、百日経ったらいなくなるんだし。
まぁちょっとの間、合わせとけばいいのか。
…やっぱりめんどくさいな。
「……では、麦湯ご馳走様でした。」
なんやかんや考え事をしていると、何かを察したのかあかりは立ち上がった。空になった夏用の茶器を蒼助に渡して礼を言った。
「いえ、たいしたお構いもできませんで…。」
「失礼いたします。」
蒼助に見送られながら、あかりは久尾屋を後にした。なんか最後つまらなそうだったな。話がなくなったっていうか、暖簾分けの話がまずかったのかな…。
あかりも蒼助も、何かもやもやとした気持ちで別れた後、何とも言えない後味の悪さを感じた。
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