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4 忘れ物
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縁側の端に植わってる紫陽花が、手鞠のように今が盛りと咲いている。
庭前方に広がる背の高い青々とした若竹が、風に煽られ揺れている。
毎日のように雨が降って、今も空が曇ってて湿気てるのに、葉が擦れてザワザワと乾いた音が鳴る。
見飽きた景色と聴き飽きた音。
それ以外の音はほとんどない。
雨音やスズメの鳴き声なんかは聴こえるが、竹と風が鳴らす音にかき消されてだいたい聴こえない。風がないと無音だ。
家の中にいると、三食飯が届いた時に鳴る鈴の音と、僕が歩く畳擦れの足音、本を捲る音。それくらいだ。
会話も、時々来る清吉と話すくらい。
と、言っても、
「今日は天気が良いですね。」
「今日は顔色がよろしいですね。」
が、だいたい。
たまに清吉の奥方が掃除に来る事もあるけれど、その時は掃除の邪魔にならないように僕は庭に出てしまうから話す事はない。
二十一歳になっても変わらぬ日々。
でも、もうすぐ変わりそう。
久しぶりにお父様の訪問があった。
会うのは本家の集まり以来。ちょっと歳を取って疲れているように見えたけど、なんだか嬉しそうだったから安心した。
居間として使っている八畳の部屋を後ろに、縁側にふたり並んで座った。お茶など淹れなくていいと言われたが、そもそもお茶の淹れ方などわからなかった。
「恭亮、元気にしていたかね。お店も麻記も蒼助も、たぶん安記(あき)も元気だよ。安記の子供の絢音もね、もう二歳なんだよ。安記に似て、なんだか気が強そうで嫌になるよ。」
なんて言いながら顔はとろけている。
安森家の初孫なのだから、可愛い末娘の子供なのだから可愛いに決まっている。
「…で、だな。嫁候補に良い娘さんがいてね。会うのはちょいと先になるけれど、歳は十八歳で働き者の良い娘さんなんだ。雪庵先生のところで八歳からお世話になっていたみたいで。雪庵先生ならうちの事も知ってるし。」
「へぇ、良かったじゃないですか。おめでとうございます。」
「おめでとうって、自分を祝ってどうする。まぁ、めでたくなるように話を進めるから。」
「え、蒼助の話ではない、の…ですか。」
「恭亮、おまえの話だ。」
…お父様は何歳で結婚したのだろう。
僕も結婚して、安記のようにお父様に孫を見せる日が来るのだろうか。
(遡る事、梅の季節。)
祥庵があかりの話を持って来た翌々日。
鳳右衛門は男衆に籠を引かせ、雪庵の所へ向かった。
雪庵の仕事場兼住居は、久尾屋から徒歩で二十分、籠で十分かからないくらいにある。
街を抜けて大川の橋を渡る。松が植って日が差さない、昼でも暗い真っ直ぐの道を進んで行くと、いきなり拓けて日の当たる十字路に出る。
その、右角に雪庵の母屋入り口がある。療養所の入り口は十字路を真っ直ぐ進み、右手に門がある形で、土地面積は久尾屋に及ばずとも結構な広さである。
数寄屋造りの引き戸を開け、声をかけると花江が出てきた。男衆達は敷地内の東屋で待ってもらうことにした。話は長くなりそうだが、雪庵の丁稚を使いに出して呼ばせるのは可哀想だ。
六畳の客間に通された。床の間に掛け軸、高そうな茶器が飾られていた。
花江がお茶と菓子を持ってくる。今日は饅頭だったが、桜の頃来るといつも桜餅を出してくれたなぁ、などと数年前の記憶を思い出していた。
「突然押しかけてすまないね。久しぶりに会うのに申し訳ないが、実は祥庵が先日、雪庵先生のところで世話になっている娘を恭亮の相手にどうかと、血迷った事を話に来たんだよ。何のこっちゃと言われるのを承知で聞きたいんだが、あいつが言ってることは本当なのかい?」
鳳右衛門と雪庵は、十年前医者が不在だった療養所に、雪庵が家族を連れて引っ越してきた時からの知り合いだ。ちなみに祥庵は雪庵が紹介した医者だった。
ずっと通ってた専属の医師が、急に西の国に帰る事になり困っていた時の話であった。
ぶっ飛んだ奴ではあるものの、狐憑きの診察治療のできる、特殊医学を学んだ者である。
そこをかって専属医師として雇ってはいるものの、金遣いは荒いし約束は平気で破る。
坊主なのに離婚歴があり、確か息子と娘がいるはずだ。雪庵の知り合いでなければとっくに切っている。
鳳右衛門はそういった所は潔癖で、話を聞いたり見たりすると嫌悪する。しかし狐憑きを診てくれる医者などそうそういないので、どうにか我慢している状態だ。
「早速行きましたか。実は私から話をしたかったんだが。祥庵が十年前にやった娘は元気か?なんて急に尋ねて来てね。顔を見に来いと言って十年間一度も来なかったのに何だろうってね。まあ、すぐ分かったけどさ。」
「博打だろ。」
「相当スッたみたいだね。場所だけ貸してればいいのに一緒になってやっちゃうから。ショバ代引いても足らなかったみたいだよ。」
「相変わらず馬鹿でどうしようもないな。」
「ちゃんと飯食ってるかなぁ。」
「死んでしまえ。そんで生臭修行僧にお経を読んでもらうんだね。」
祥庵の悪口を散々言った後、祥庵から聞いた話とさして変わらない話をされた。
歳は十八歳、名前は言わなかったから、祥庵があかりと名前を付けた。十年間育てている間、親族らしい人どころか知人さえ尋ねて来なかった。
ふむ。
右頬に割と目立つ火傷跡がある。
それは初耳だ、でも構わん。
小柄だが、安産型である。
望ましい。
働き者で明るいし、物怖じする性格ではない。
狐憑きの嫁になるのだからそうでなければ。
雪庵先生は、嫁に寄越して構わないのか?
ふたりが幸せになるのなら結構。
大変、結構。
恭亮とあかりの話は、ほぼ纏まってしまった。
庭前方に広がる背の高い青々とした若竹が、風に煽られ揺れている。
毎日のように雨が降って、今も空が曇ってて湿気てるのに、葉が擦れてザワザワと乾いた音が鳴る。
見飽きた景色と聴き飽きた音。
それ以外の音はほとんどない。
雨音やスズメの鳴き声なんかは聴こえるが、竹と風が鳴らす音にかき消されてだいたい聴こえない。風がないと無音だ。
家の中にいると、三食飯が届いた時に鳴る鈴の音と、僕が歩く畳擦れの足音、本を捲る音。それくらいだ。
会話も、時々来る清吉と話すくらい。
と、言っても、
「今日は天気が良いですね。」
「今日は顔色がよろしいですね。」
が、だいたい。
たまに清吉の奥方が掃除に来る事もあるけれど、その時は掃除の邪魔にならないように僕は庭に出てしまうから話す事はない。
二十一歳になっても変わらぬ日々。
でも、もうすぐ変わりそう。
久しぶりにお父様の訪問があった。
会うのは本家の集まり以来。ちょっと歳を取って疲れているように見えたけど、なんだか嬉しそうだったから安心した。
居間として使っている八畳の部屋を後ろに、縁側にふたり並んで座った。お茶など淹れなくていいと言われたが、そもそもお茶の淹れ方などわからなかった。
「恭亮、元気にしていたかね。お店も麻記も蒼助も、たぶん安記(あき)も元気だよ。安記の子供の絢音もね、もう二歳なんだよ。安記に似て、なんだか気が強そうで嫌になるよ。」
なんて言いながら顔はとろけている。
安森家の初孫なのだから、可愛い末娘の子供なのだから可愛いに決まっている。
「…で、だな。嫁候補に良い娘さんがいてね。会うのはちょいと先になるけれど、歳は十八歳で働き者の良い娘さんなんだ。雪庵先生のところで八歳からお世話になっていたみたいで。雪庵先生ならうちの事も知ってるし。」
「へぇ、良かったじゃないですか。おめでとうございます。」
「おめでとうって、自分を祝ってどうする。まぁ、めでたくなるように話を進めるから。」
「え、蒼助の話ではない、の…ですか。」
「恭亮、おまえの話だ。」
…お父様は何歳で結婚したのだろう。
僕も結婚して、安記のようにお父様に孫を見せる日が来るのだろうか。
(遡る事、梅の季節。)
祥庵があかりの話を持って来た翌々日。
鳳右衛門は男衆に籠を引かせ、雪庵の所へ向かった。
雪庵の仕事場兼住居は、久尾屋から徒歩で二十分、籠で十分かからないくらいにある。
街を抜けて大川の橋を渡る。松が植って日が差さない、昼でも暗い真っ直ぐの道を進んで行くと、いきなり拓けて日の当たる十字路に出る。
その、右角に雪庵の母屋入り口がある。療養所の入り口は十字路を真っ直ぐ進み、右手に門がある形で、土地面積は久尾屋に及ばずとも結構な広さである。
数寄屋造りの引き戸を開け、声をかけると花江が出てきた。男衆達は敷地内の東屋で待ってもらうことにした。話は長くなりそうだが、雪庵の丁稚を使いに出して呼ばせるのは可哀想だ。
六畳の客間に通された。床の間に掛け軸、高そうな茶器が飾られていた。
花江がお茶と菓子を持ってくる。今日は饅頭だったが、桜の頃来るといつも桜餅を出してくれたなぁ、などと数年前の記憶を思い出していた。
「突然押しかけてすまないね。久しぶりに会うのに申し訳ないが、実は祥庵が先日、雪庵先生のところで世話になっている娘を恭亮の相手にどうかと、血迷った事を話に来たんだよ。何のこっちゃと言われるのを承知で聞きたいんだが、あいつが言ってることは本当なのかい?」
鳳右衛門と雪庵は、十年前医者が不在だった療養所に、雪庵が家族を連れて引っ越してきた時からの知り合いだ。ちなみに祥庵は雪庵が紹介した医者だった。
ずっと通ってた専属の医師が、急に西の国に帰る事になり困っていた時の話であった。
ぶっ飛んだ奴ではあるものの、狐憑きの診察治療のできる、特殊医学を学んだ者である。
そこをかって専属医師として雇ってはいるものの、金遣いは荒いし約束は平気で破る。
坊主なのに離婚歴があり、確か息子と娘がいるはずだ。雪庵の知り合いでなければとっくに切っている。
鳳右衛門はそういった所は潔癖で、話を聞いたり見たりすると嫌悪する。しかし狐憑きを診てくれる医者などそうそういないので、どうにか我慢している状態だ。
「早速行きましたか。実は私から話をしたかったんだが。祥庵が十年前にやった娘は元気か?なんて急に尋ねて来てね。顔を見に来いと言って十年間一度も来なかったのに何だろうってね。まあ、すぐ分かったけどさ。」
「博打だろ。」
「相当スッたみたいだね。場所だけ貸してればいいのに一緒になってやっちゃうから。ショバ代引いても足らなかったみたいだよ。」
「相変わらず馬鹿でどうしようもないな。」
「ちゃんと飯食ってるかなぁ。」
「死んでしまえ。そんで生臭修行僧にお経を読んでもらうんだね。」
祥庵の悪口を散々言った後、祥庵から聞いた話とさして変わらない話をされた。
歳は十八歳、名前は言わなかったから、祥庵があかりと名前を付けた。十年間育てている間、親族らしい人どころか知人さえ尋ねて来なかった。
ふむ。
右頬に割と目立つ火傷跡がある。
それは初耳だ、でも構わん。
小柄だが、安産型である。
望ましい。
働き者で明るいし、物怖じする性格ではない。
狐憑きの嫁になるのだからそうでなければ。
雪庵先生は、嫁に寄越して構わないのか?
ふたりが幸せになるのなら結構。
大変、結構。
恭亮とあかりの話は、ほぼ纏まってしまった。
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