狐に幸運、人に仇

藤岡 志眞子

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西の国の医学塾を卒業した年の春、医学を教えてくれていた先生の娘、花江と結婚した。すぐに小夜が生まれた。
可愛くて可愛くて、目に入れても痛くないとはこの事かと幸せを噛み締めた。
しかし小夜が十五歳になった頃、突然消えた。
花江は悲しみ、下の息子達に見向きもしなくなった。まあ、元々可愛がっている感じはなかったが。あかりがうちにやってきて元に戻ったが、ふと思い出して泣いている花江を見た事がある。辛いものだ。
小夜は何処かで幸せに暮らしている、そう信じる事にした。






あいつは、生きていたら何歳だろう。
寺でやる、まぁ、たまにやる説教で言ってる事だが、死んだ子の歳は数えるもんじゃないってな。でもさ、生まれた季節、死んだ季節が来ると考えちまう。

息子が小さい頃に、母親だったあいつは頭がおかしくなって川に飛び込んじまった。
息子を連れて、俺もなんとか立ち直ろうと東の国に戻って町医者やってさ、金だって今よりぜんぜん持ってたんだぜ。まぁ、博打をやってなかったってぇのもあるけど。
そんで、通ってた飯屋の女と結婚して娘が生まれてさ。あぁ、人生軌道に乗ってきたよって調子こいたら、余所に男作って蒸発しちまった。
娘育てながら西の国で医者やってたら、今度は息子が死んじまった。
とうとう何もやる気起きなくなっちまってよ、そしたら借金ばかり膨らんで。それを噂で聞いた親父に寺帰ってきて坊主やれって言われてよ。
借金肩代わりしてやるから、娘は親戚にやって修行僧からやれって。娘置いて出てく女の子供になんか敷居跨がせるかってな。坊主なのに血も涙もねぇよ。まぁ、医者続けてても、男やもめが子育てなんかできないし。だから、娘は親戚に預けてさ…もう暫く会ってない。こんな親父、嫌だよなぁ。あぁ、嫌だよなぁ…俺だって最悪だよ。







昔よく訪ねてきたあの子らふたりは、ちゃんと生活してるかね。最初に来てた方はまだ餓鬼で、いつもひとりで汚くってガリガリで。
逆にそいつが連れてきた子は、歳は女になる手前。十四、十五歳くらいかな。身なりはちゃんとしててお嬢さんって感じだったよ。何処の娘かまでは知らないな。名前も知らん。ただ、村中みんな知ってたから他の奴に聞いてみな。
雰囲気が何とも言えなくてね。でもいつも具合悪そうで。目が変に碧くてよ、髪も赤くて。病気のせいだったんじゃないかな。どこか患ってたんだろうな。
汚い方に、こいつ字もろくすっぽ読めないんだろうなって、昔の仕事を思い出して手習いやらせたら、飲み込みが早くて。一年もしないうちに全部覚えたっけな。字書ければ、算盤弾ければ女だって何とか暮らせる。
だけどなぁ、あっちの娘はどうだかなぁ。拐かされたとか遊郭に売られたとか、って話だ。家が借金こさえたからとか、面倒見きれなくなったから里子に出したとかって話もあったな。
いなくなってすぐ、河原とか神社で一緒に歩いてた若い男は死んじまったし、あの時は村中その話ばっかりだった。そしたら汚い方もぱたっと姿を見なくなってね。幸せになってるといいんだが。
あぁ、これかい?オレが作った痛み止めの薬だよ。息子が薬の仕事をしていてね、教えてもらったんだよ。
え、名前?何て名前だったかな。忘れちまったな…あぁ、確か渾名はあったよ、ムジナだったかな。女の子にムジナってね、でもちゃんとした可愛い名前だった気ィするよ。
何だったかな。あぁ、ハルだよ。ハルちゃん。名前のような子じゃなかったけど、今は晴れ晴れ生きていればいいよ、うん。







なんだい。紗南をご指名かい。懐かしい名前だね、いろいろ考えちゃうよ。
残念だけど五年前くらいに持病悪くして、あっと言う間に逝っちまったよ。
そうだね、色が白くて、美人でね。唄も上手くて字もきれいでさ。
何てったってあの碧い目だよ。最初は気味が悪かったけど、あの目見たさに客が来るようになってね。美人で若いってのもあったけど、なんかこう、色気があるというか、そこらの妓と違うっていうか。
紗南が禿(かむろ)で店に馴染んできた頃からさ、急に客足増えてね、しかもみんな大店のご当主とかご隠居さんとか。いやぁ、儲かったね。お城からも偉いお人がたくさんみえて。みんな良いお客さんばかりでさ。
紗南が花魁になってドカンと儲かり始めてさ、太夫になる頃にはお店も立て替えて大きくなって、他所にも何軒も建てて景気が良かったよ。
でもその頃から床に臥せるようになっていってね。何の病気かわかんないけど、飯も食わずに声殺して一日中苦しんでたよ。
そんで紗南が逝っちまったら途端こうだよ。他所の店は火事で失くなるし、流行り病でバタバタ死ぬし。なんとかもってるうちだって急に客足途絶えてさ、もう毎日閑古鳥が鳴いてるよ。
あの子はなんだったんだろうね。招き猫かね、いや、狐憑きかね。
夜中さ、紗南の部屋覗いた事が一回あるんだけどさ。怖がらせるつもりじゃないけど、あの子尻尾生えてたんだよ、しかも一本じゃないよ、九本さ。九尾の狐だったんじゃないのかね。嘘じゃないよ、良い事もあったけどさ、紗南が居る時から火事もけっこうあってね。呪いかもしれないってね…他で話さないでおくれよ。これ以上客足遠のいたら、わっちら日干しだよ。
此処は苦界だ、地獄だよ。一度くらい外の世界でふつうに暮らしてみたかったよ。
紗南は今頃あっちで幸せに暮らしてるんじゃないかい。投げ込み寺に仏さんあるからさ、手合わせてやっておくれよ。
何処の寺?何処ってここらで投げ込み寺っていったら、あそこだよ。名前はなんだったっけなぁ。あぁ、坊主がさ、祥庵っていうんだよ、そこだよ。
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