9 / 35
9 宿の夜
しおりを挟む
祝言が終わり、花嫁衣装から解放され風呂に入り化粧と汗を落とす。髪も解いて洗い、濡れ髪のままくるっと後ろにまとめた。
初夜。
花江さんから大まかな流れを聞いたが、同じ部屋に夫と布団を並べ、寝る。
何をされても抗わず、されるがままに。
そんなことを言われたが、何のことやらさっぱりだ。口付けはするだろうからと、いつもより丹念に房楊枝を使って磨いたが、それだけのようには思えない。
抗うな、されるがままに…?
痛い事なのだろうか。きっと子供を作るための事ではあるのだろうが、仕組みがわからない。
療養所に妊婦は来なかったし、産婆もいなかった。実を言うと、出産の現場に立ち会った事もない。
生まれてから見に行ったりはしたけれど、どうやって腹の中に赤子ができるのかは知らない。
恥ずかしいが、人間も鶏のように卵から生まれるものと思っていた。
月のものは十二歳の時に来たけれど、花江さんから赤ちゃんを産むために大切な事なのよ、とだけ言われ、その時卵から生まれるのではないと知り、直後、飼い猫が仔猫を産んで確信に繋がった。これくらいの知識しかない。
しかし、男がいなければ子供はできない。
きっと今夜わかるはず。
勇足で部屋へ戻ると布団は一対しか敷かれていなかった。
あれ。
蒼助さんはどこで寝るのだろう、もしかしてひとつの布団でふたり寝るのか。
布団に入り、灯りを消して待ってみたが、待てども待てども蒼助さんは現れない。
そのうち眠ってしまって、目が覚めたら朝になっていた。
どういう事…?
家の中が少しずつ騒がしくなり始め、あかりも布団をたたみ押し入れに片付け、着替えて部屋を出た。顔を洗うため洗面所に向かうと、扉が開き蒼助さんが出てきた。
「おはようございます、眠れましたか。」
「はい。」
しっかり眠れました。
それだけ言って廊下を歩いていく。角を曲がって姿が見えなくなると、あかりは何やら腹立たしくなった。
お義父様、蒼助さんが並んで座り、向かってお義母様、安記さん、私の順番で座って膳が並べられた。
朝飯の支度も配膳も全て女中さんがやってくれる。まるでお姫様だ。
朝飯の内容は焼鮭、青菜のお浸し、沢庵、豆腐の味噌汁、白米。雪庵先生の時よりかなり豪華である。ちょっといい日の晩飯にしてもいいくらい。さすが大店、久尾屋の朝飯。
私以外はいつも通り、と、私のような感動はないようで一様に眠そうな顔をして味噌汁を啜る。
隣に座る安記さんは寝巻きのままだ。髪はボサボサだし、目脂もついているが美人である。私がしっかり化粧をしても、今の安記さんには残念ながら足元にも及ばないだろう。
実際、祝言の時の安記さんは目を見張るほどの美しさで、私より注目されていたと思う。
もし玄関先まで安記さんが出ていたら、私そっちのけで近所の人達は安記さんに見惚れていただろう。
金持ちで美人で、お母さん、お兄さんまで美形で…私は安森に合っているのだろうか。そう考えながら無意識に、箸を持つ手で右頬の火傷跡を触った。
「危ない。箸が顔に刺さるわよ。」
寝起きとは思えないはっきりした声で注意をされた。思わずびっくりして、箸を落としてしまった。
「安記、うるさい。大人なんだから刺すわけないだろう。顔近くに蚊でもいたかね。蚊取り線香焚いてくれ。」
お義父様が庭で洗濯をする女中さんに指図する。どうやらお義父様と安記さんは、あまり仲良くなさそうである。
朝飯前も何か言い争っていて、お義母様がお義父様をいなしていた。お義母様と安記さんは仲が良く、今も笑いながら話をしている。それをお義父様がなんとも言えない顔で見聞きしながら飯を食べる。
蒼助さんは、誰とも喋らずもくもくと飯を食べている。食べる食べる、すごい食べる。いただきますをして、まだ五分ほど。
既に二杯目のごはんがなくなりそうである。細いその体のどこに入っていくのだろうか。最終的に四杯(約二合)食べていた。
痩せの大食いとはこの事か。しかし食べ終わった膳を見ると、青菜のお浸しが手付かずだった。葉物野菜が苦手なのかな。
「蒼助、野菜も食べなければいけませんよ。」
お義母様の注意が入る。まるで子供だ。
「このくらい食べても食べなくても変わりありませんよ、ご馳走様でした。あ、今日は薬種問屋の寄合がありますので朝から留守にします。おやじ、店よろしく。」
最後、急に砕けた物言いになりびっくりする。
「はいよ。よろしくさん。」
お義父様はふつうに返す。もしかして最後の一言がいつもの蒼助さんなのだろうか。膳が女中さんによって下げられる。
お義父様は店に向かい、お義母様は隣の部屋へ行き探し物を始めた。安記さんは縁側に座って欠伸をしている。
これといって毎日やる習慣的なものはなさそうで、皆自由だ。掃除も洗濯も買い物も、みんな女中さんがやってくれるというし。
では、私は何をしたら…?
そうだ、安記さんが今日婚家に帰ると言っていたので少し話しかけてみよう。祝言の時は挨拶だけで、全く会話ができなかったし。それでいろいろ聞いてみよう。何を聞こうかな…
話の種を考えていると、安記さんから話しかけてきた。
「ねぇ。」
「え、はい。」
「あかりって呼んでいい?私達、同い年だよね。私、寅年。」
「そうです、寅年です。あかりって呼んで下さい。」
「じゃあ私のことも安記でいいよ。さん、とかいらないから。」
「はい。」
さっぱりした人だ。キツそうだと思ってたけど、案外仲良くなれるかも。
「あ、敬語も嫌なの。うん、でいいよ。あとぉ、たまに私帰って来ることあるのね。母さん独り占めしちゃうけど、ヤキモチ妬かないでね。」
…めんどくさい子なのかも。
その日の昼過ぎ安記さんは婚家に帰って行った。というか、婚家から迎えの車が来て、まだ居るまだ居る、と駄々を捏ね、お義母様に宥められてようやく帰った。玄関先で軽く一時間。
やっぱりめんどくさい子だ。二歳の娘さんが心配になってくる。
初夜。
花江さんから大まかな流れを聞いたが、同じ部屋に夫と布団を並べ、寝る。
何をされても抗わず、されるがままに。
そんなことを言われたが、何のことやらさっぱりだ。口付けはするだろうからと、いつもより丹念に房楊枝を使って磨いたが、それだけのようには思えない。
抗うな、されるがままに…?
痛い事なのだろうか。きっと子供を作るための事ではあるのだろうが、仕組みがわからない。
療養所に妊婦は来なかったし、産婆もいなかった。実を言うと、出産の現場に立ち会った事もない。
生まれてから見に行ったりはしたけれど、どうやって腹の中に赤子ができるのかは知らない。
恥ずかしいが、人間も鶏のように卵から生まれるものと思っていた。
月のものは十二歳の時に来たけれど、花江さんから赤ちゃんを産むために大切な事なのよ、とだけ言われ、その時卵から生まれるのではないと知り、直後、飼い猫が仔猫を産んで確信に繋がった。これくらいの知識しかない。
しかし、男がいなければ子供はできない。
きっと今夜わかるはず。
勇足で部屋へ戻ると布団は一対しか敷かれていなかった。
あれ。
蒼助さんはどこで寝るのだろう、もしかしてひとつの布団でふたり寝るのか。
布団に入り、灯りを消して待ってみたが、待てども待てども蒼助さんは現れない。
そのうち眠ってしまって、目が覚めたら朝になっていた。
どういう事…?
家の中が少しずつ騒がしくなり始め、あかりも布団をたたみ押し入れに片付け、着替えて部屋を出た。顔を洗うため洗面所に向かうと、扉が開き蒼助さんが出てきた。
「おはようございます、眠れましたか。」
「はい。」
しっかり眠れました。
それだけ言って廊下を歩いていく。角を曲がって姿が見えなくなると、あかりは何やら腹立たしくなった。
お義父様、蒼助さんが並んで座り、向かってお義母様、安記さん、私の順番で座って膳が並べられた。
朝飯の支度も配膳も全て女中さんがやってくれる。まるでお姫様だ。
朝飯の内容は焼鮭、青菜のお浸し、沢庵、豆腐の味噌汁、白米。雪庵先生の時よりかなり豪華である。ちょっといい日の晩飯にしてもいいくらい。さすが大店、久尾屋の朝飯。
私以外はいつも通り、と、私のような感動はないようで一様に眠そうな顔をして味噌汁を啜る。
隣に座る安記さんは寝巻きのままだ。髪はボサボサだし、目脂もついているが美人である。私がしっかり化粧をしても、今の安記さんには残念ながら足元にも及ばないだろう。
実際、祝言の時の安記さんは目を見張るほどの美しさで、私より注目されていたと思う。
もし玄関先まで安記さんが出ていたら、私そっちのけで近所の人達は安記さんに見惚れていただろう。
金持ちで美人で、お母さん、お兄さんまで美形で…私は安森に合っているのだろうか。そう考えながら無意識に、箸を持つ手で右頬の火傷跡を触った。
「危ない。箸が顔に刺さるわよ。」
寝起きとは思えないはっきりした声で注意をされた。思わずびっくりして、箸を落としてしまった。
「安記、うるさい。大人なんだから刺すわけないだろう。顔近くに蚊でもいたかね。蚊取り線香焚いてくれ。」
お義父様が庭で洗濯をする女中さんに指図する。どうやらお義父様と安記さんは、あまり仲良くなさそうである。
朝飯前も何か言い争っていて、お義母様がお義父様をいなしていた。お義母様と安記さんは仲が良く、今も笑いながら話をしている。それをお義父様がなんとも言えない顔で見聞きしながら飯を食べる。
蒼助さんは、誰とも喋らずもくもくと飯を食べている。食べる食べる、すごい食べる。いただきますをして、まだ五分ほど。
既に二杯目のごはんがなくなりそうである。細いその体のどこに入っていくのだろうか。最終的に四杯(約二合)食べていた。
痩せの大食いとはこの事か。しかし食べ終わった膳を見ると、青菜のお浸しが手付かずだった。葉物野菜が苦手なのかな。
「蒼助、野菜も食べなければいけませんよ。」
お義母様の注意が入る。まるで子供だ。
「このくらい食べても食べなくても変わりありませんよ、ご馳走様でした。あ、今日は薬種問屋の寄合がありますので朝から留守にします。おやじ、店よろしく。」
最後、急に砕けた物言いになりびっくりする。
「はいよ。よろしくさん。」
お義父様はふつうに返す。もしかして最後の一言がいつもの蒼助さんなのだろうか。膳が女中さんによって下げられる。
お義父様は店に向かい、お義母様は隣の部屋へ行き探し物を始めた。安記さんは縁側に座って欠伸をしている。
これといって毎日やる習慣的なものはなさそうで、皆自由だ。掃除も洗濯も買い物も、みんな女中さんがやってくれるというし。
では、私は何をしたら…?
そうだ、安記さんが今日婚家に帰ると言っていたので少し話しかけてみよう。祝言の時は挨拶だけで、全く会話ができなかったし。それでいろいろ聞いてみよう。何を聞こうかな…
話の種を考えていると、安記さんから話しかけてきた。
「ねぇ。」
「え、はい。」
「あかりって呼んでいい?私達、同い年だよね。私、寅年。」
「そうです、寅年です。あかりって呼んで下さい。」
「じゃあ私のことも安記でいいよ。さん、とかいらないから。」
「はい。」
さっぱりした人だ。キツそうだと思ってたけど、案外仲良くなれるかも。
「あ、敬語も嫌なの。うん、でいいよ。あとぉ、たまに私帰って来ることあるのね。母さん独り占めしちゃうけど、ヤキモチ妬かないでね。」
…めんどくさい子なのかも。
その日の昼過ぎ安記さんは婚家に帰って行った。というか、婚家から迎えの車が来て、まだ居るまだ居る、と駄々を捏ね、お義母様に宥められてようやく帰った。玄関先で軽く一時間。
やっぱりめんどくさい子だ。二歳の娘さんが心配になってくる。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる