狐に幸運、人に仇

藤岡 志眞子

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9 宿の夜

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祝言が終わり、花嫁衣装から解放され風呂に入り化粧と汗を落とす。髪も解いて洗い、濡れ髪のままくるっと後ろにまとめた。

初夜。
花江さんから大まかな流れを聞いたが、同じ部屋に夫と布団を並べ、寝る。
何をされても抗わず、されるがままに。
そんなことを言われたが、何のことやらさっぱりだ。口付けはするだろうからと、いつもより丹念に房楊枝を使って磨いたが、それだけのようには思えない。
抗うな、されるがままに…?
痛い事なのだろうか。きっと子供を作るための事ではあるのだろうが、仕組みがわからない。
療養所に妊婦は来なかったし、産婆もいなかった。実を言うと、出産の現場に立ち会った事もない。
生まれてから見に行ったりはしたけれど、どうやって腹の中に赤子ができるのかは知らない。
恥ずかしいが、人間も鶏のように卵から生まれるものと思っていた。
月のものは十二歳の時に来たけれど、花江さんから赤ちゃんを産むために大切な事なのよ、とだけ言われ、その時卵から生まれるのではないと知り、直後、飼い猫が仔猫を産んで確信に繋がった。これくらいの知識しかない。
しかし、男がいなければ子供はできない。
きっと今夜わかるはず。
勇足で部屋へ戻ると布団は一対しか敷かれていなかった。

あれ。

蒼助さんはどこで寝るのだろう、もしかしてひとつの布団でふたり寝るのか。
布団に入り、灯りを消して待ってみたが、待てども待てども蒼助さんは現れない。
そのうち眠ってしまって、目が覚めたら朝になっていた。

どういう事…?

家の中が少しずつ騒がしくなり始め、あかりも布団をたたみ押し入れに片付け、着替えて部屋を出た。顔を洗うため洗面所に向かうと、扉が開き蒼助さんが出てきた。

「おはようございます、眠れましたか。」

「はい。」 

しっかり眠れました。

それだけ言って廊下を歩いていく。角を曲がって姿が見えなくなると、あかりは何やら腹立たしくなった。


お義父様、蒼助さんが並んで座り、向かってお義母様、安記さん、私の順番で座って膳が並べられた。
朝飯の支度も配膳も全て女中さんがやってくれる。まるでお姫様だ。
朝飯の内容は焼鮭、青菜のお浸し、沢庵、豆腐の味噌汁、白米。雪庵先生の時よりかなり豪華である。ちょっといい日の晩飯にしてもいいくらい。さすが大店、久尾屋の朝飯。
私以外はいつも通り、と、私のような感動はないようで一様に眠そうな顔をして味噌汁を啜る。
隣に座る安記さんは寝巻きのままだ。髪はボサボサだし、目脂もついているが美人である。私がしっかり化粧をしても、今の安記さんには残念ながら足元にも及ばないだろう。
実際、祝言の時の安記さんは目を見張るほどの美しさで、私より注目されていたと思う。
もし玄関先まで安記さんが出ていたら、私そっちのけで近所の人達は安記さんに見惚れていただろう。
金持ちで美人で、お母さん、お兄さんまで美形で…私は安森に合っているのだろうか。そう考えながら無意識に、箸を持つ手で右頬の火傷跡を触った。

「危ない。箸が顔に刺さるわよ。」

寝起きとは思えないはっきりした声で注意をされた。思わずびっくりして、箸を落としてしまった。

「安記、うるさい。大人なんだから刺すわけないだろう。顔近くに蚊でもいたかね。蚊取り線香焚いてくれ。」

お義父様が庭で洗濯をする女中さんに指図する。どうやらお義父様と安記さんは、あまり仲良くなさそうである。
朝飯前も何か言い争っていて、お義母様がお義父様をいなしていた。お義母様と安記さんは仲が良く、今も笑いながら話をしている。それをお義父様がなんとも言えない顔で見聞きしながら飯を食べる。
蒼助さんは、誰とも喋らずもくもくと飯を食べている。食べる食べる、すごい食べる。いただきますをして、まだ五分ほど。
既に二杯目のごはんがなくなりそうである。細いその体のどこに入っていくのだろうか。最終的に四杯(約二合)食べていた。
痩せの大食いとはこの事か。しかし食べ終わった膳を見ると、青菜のお浸しが手付かずだった。葉物野菜が苦手なのかな。

「蒼助、野菜も食べなければいけませんよ。」

お義母様の注意が入る。まるで子供だ。

「このくらい食べても食べなくても変わりありませんよ、ご馳走様でした。あ、今日は薬種問屋の寄合がありますので朝から留守にします。おやじ、店よろしく。」

最後、急に砕けた物言いになりびっくりする。

「はいよ。よろしくさん。」

お義父様はふつうに返す。もしかして最後の一言がいつもの蒼助さんなのだろうか。膳が女中さんによって下げられる。
お義父様は店に向かい、お義母様は隣の部屋へ行き探し物を始めた。安記さんは縁側に座って欠伸をしている。
これといって毎日やる習慣的なものはなさそうで、皆自由だ。掃除も洗濯も買い物も、みんな女中さんがやってくれるというし。
では、私は何をしたら…?
そうだ、安記さんが今日婚家に帰ると言っていたので少し話しかけてみよう。祝言の時は挨拶だけで、全く会話ができなかったし。それでいろいろ聞いてみよう。何を聞こうかな…
話の種を考えていると、安記さんから話しかけてきた。

「ねぇ。」

「え、はい。」

「あかりって呼んでいい?私達、同い年だよね。私、寅年。」

「そうです、寅年です。あかりって呼んで下さい。」

「じゃあ私のことも安記でいいよ。さん、とかいらないから。」

「はい。」

さっぱりした人だ。キツそうだと思ってたけど、案外仲良くなれるかも。

「あ、敬語も嫌なの。うん、でいいよ。あとぉ、たまに私帰って来ることあるのね。母さん独り占めしちゃうけど、ヤキモチ妬かないでね。」

…めんどくさい子なのかも。
その日の昼過ぎ安記さんは婚家に帰って行った。というか、婚家から迎えの車が来て、まだ居るまだ居る、と駄々を捏ね、お義母様に宥められてようやく帰った。玄関先で軽く一時間。
やっぱりめんどくさい子だ。二歳の娘さんが心配になってくる。
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