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17 霧雨
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「あ、安記。」
「安記、大丈夫なの?我慢しちゃったんじゃないの?さ、早くお部屋に。」
ふらふらで目も虚な安記を母さんが抱えるようにして部屋へ連れて行く。
いつも口を返してくる安記も、今日はチラッと睨んだだけで喋る気力も無いらしい。
安記が婚家から帰ってきた。今回は相当具合が悪そうである。半月くらい居んのかな。
安記は四ヶ月に一度の間隔で帰ってくる。
狐憑き特有の体調不良で、安記は不調が出始めると、動けなくなる前にと急いで実家に帰ってくる。今回は婚家の法事と重なりギリギリになってしまった。そのため化粧もせず普段着のまま足袋も替えずに家に上がった。
先月まであかりが使っていた部屋には既に布団が敷かれている。
そこに倒れ込むように、着替えもせず寝てしまった。辛さより眠気が勝ったようだ。
でもきっと夜中に目が醒めて、いつもの如く呻きながらのたうち回るのだろう。
祥庵が来てすぐに安記の診察をする。
眠っている安記の脈をとり、聴診器をあて心音を聴いた後、採血をした。血液を温度計のような目盛りの付いた細長いガラスの筒に数滴入れ、そこに透明の液を数滴加え、筒を左右に振って中で混ぜる。
すると、液体が金粉が入ったようにきらきらしたあと増えていく。いちばん下の目盛り以下だった液体が、みるみる目盛りを増やしてゆき、五の少し上で止まった。
「力の溜め過ぎだな。放出技法を教えているのに、こいつはなんでやらないんだ。今回はいつもより強く出てるから長引くかも知れない。あと、この部屋は駄目だ、旦那様、客間に寝てるんだろ。近すぎる、みんな駄目になるぞ。蒼助の部屋に移動した方が良い。薬も出しとくから飲ませて。」
医者の時の祥庵は人が変わる。いつも粗暴でいい加減で、おやじの前になると大人しくなる情けない男なのに。
安記は狐憑きが持っている力を外に出す事が苦手な体質で、兄さんのようにふつうに生活していて自然に出ていく事が出来ず、身体に溜まっていってしまう。
するとこんな感じで具合が悪くなり、発熱や全身痛、全身発汗、食欲不振と、とにかくいろんな症状が出る。
この症状を婚家の人には生まれ付きの持病とざっくり説明し、定期的に実家に帰る事を許してもらっている。
半月ものたうち回り何もできない嫁を、家に置いておく方が面倒なのだろう。帰ると言うと二つ返事で、毎回車を出して貰っているそうだ。
「やっぱり安記は毎度測っても朱。朱の五。今は力が溜まって五・五だが、平常時で三という事はない。奥様、桃色は本当ですか。」
「…祥庵さんに隠しても仕方のない事ですから申し上げます。生まれた時、確かに安記は五ありました。将来五・五になるだろうと朱を言い渡されましたが…」
「細工をしたのか。」
「…はい。」
「朱の五だと離れだからな。」
「一生ひとりで外にも出られず結婚もできずでは不憫で…。」
「恭亮の事もあるしな、ふたりも手離すなんて酷だ。蒼助もまだ手のかかる時だったろうし。」
「はい。どうか本家には…ご当主様の耳に入ったら安記は。安記には黙っていて欲しいのです、どうか…」
麻記は深くお辞儀し、おでこを畳に付けた。
「や、やめてくれ。大丈夫だ、安記の面倒はみるから。朱だと知っているのは本家の医者だけか。」
「はい。」
麻記が顔を上げる。涙目になっている。
「口止めは。」
「…それ相当のものを。」
「そうか。安記の娘は大丈夫なのか。」
「はい、間違いなく白でございます。」
「そうか。もし二人目が出来たら注意しろよ。女狐憑きには生まれないと言われているが、生まれた実例はある。安記の場合自然放出が出来ないから、妊娠中影響が出やすい。腹の中で吸収して狐憑きになる可能性は低くない。」
「わかりました、心に留めておきます。」
「あと、あかりだけど。」
「はい。」
「安記の世話をさせないように。あかりの子に影響が出るかも知れないからな。」
「私がやりますので大丈夫です。」
「わかった。あ、蒼助とあかりはもう一緒の部屋なのか。」
「はい、蒼助の部屋で寝起きしております。ですがこれから寒くなりますので、どうしようかと。ストーブはありますが、元々物が多く狭い部屋ですのにあかりさんの嫁入り道具でだいぶ手狭で…厠も遠いので。」
「そうか、広間を使ったらどうだ。」
「客間ですか。客間を夫婦の部屋にするというのは。それにあちらは今、夫が使っていますし。」
「だったら、あかりの部屋をふたりの部屋にしたらどうだ。厠も近くなるし。それで空いた蒼助の部屋で安記を休ませるんだな。」
「…そうですね。夫は花鳥風月側の部屋にしていただいて。そしたらあかりさんとの距離も多少とれます。そういたします。」
ふつうの家だったら六畳一間で六人暮らしてる家族だっているのに。まあ、ふつうの家に狐憑きはいないのだが。
「あかりは旦那様と安記に注意して、旦那様と安記は近くにしない様に。奥様、苦労が絶えませんな。」
「本当に。」
安記が来た次の日、家の中で引っ越しが行われた。
安記はあかりの部屋から俺の部屋に、俺達は自室からあかりの部屋に、おやじは襖挟んで隣の部屋に移動した。
もともと一時的な予定で客間にいたが、安記の世話で寝室に戻っても母さんが夜中に何度も起きて、おやじがゆっくり休めない。
ならばしばらく戻らぬつもりで、と、移動してから着替えなど私物を持ち込んだ。
書斎での寝起きも考えたが、安記の隣の部屋になるし、本ばかりで布団が敷けない。
部屋数があっても上手くいかないものである。
「あ、あかり重い物はいいから。軽い物を運べ。あとは、男衆に運んでもらえ。」
妊娠四ヶ月。屈むとお腹が苦しい。
最近急激にお腹が出っ張ってきた。こんなに早く大きくなるものなのだろうか。
背筋を伸ばしてお腹を摩る。
その姿を見て麻記は自分の妊娠を振り返る。
妊娠期間は十ヶ月と十日。
四ヶ月ではそれほどお腹の膨らみは気にならない。だが、あかりのお腹は更に二ヶ月経ったくらいの大きさだった。
私は妊娠に敏感になっていたので、月のものが無いとすぐに医者に診てもらっていた。
恭亮は桜が咲き始めた頃にわかり、月のきれいな秋に生まれた。
安記はそろそろ梅の季節という頃にわかり、生まれたのは夏の初め頃。
狐憑きの胎児は成長が早い。恭亮も安記もそうだった。
妊娠四ヶ月。きっと、あと三ヶ月で生まれてくるだろう。
麻記は廊下の陰で、密かに笑った。
「安記、大丈夫なの?我慢しちゃったんじゃないの?さ、早くお部屋に。」
ふらふらで目も虚な安記を母さんが抱えるようにして部屋へ連れて行く。
いつも口を返してくる安記も、今日はチラッと睨んだだけで喋る気力も無いらしい。
安記が婚家から帰ってきた。今回は相当具合が悪そうである。半月くらい居んのかな。
安記は四ヶ月に一度の間隔で帰ってくる。
狐憑き特有の体調不良で、安記は不調が出始めると、動けなくなる前にと急いで実家に帰ってくる。今回は婚家の法事と重なりギリギリになってしまった。そのため化粧もせず普段着のまま足袋も替えずに家に上がった。
先月まであかりが使っていた部屋には既に布団が敷かれている。
そこに倒れ込むように、着替えもせず寝てしまった。辛さより眠気が勝ったようだ。
でもきっと夜中に目が醒めて、いつもの如く呻きながらのたうち回るのだろう。
祥庵が来てすぐに安記の診察をする。
眠っている安記の脈をとり、聴診器をあて心音を聴いた後、採血をした。血液を温度計のような目盛りの付いた細長いガラスの筒に数滴入れ、そこに透明の液を数滴加え、筒を左右に振って中で混ぜる。
すると、液体が金粉が入ったようにきらきらしたあと増えていく。いちばん下の目盛り以下だった液体が、みるみる目盛りを増やしてゆき、五の少し上で止まった。
「力の溜め過ぎだな。放出技法を教えているのに、こいつはなんでやらないんだ。今回はいつもより強く出てるから長引くかも知れない。あと、この部屋は駄目だ、旦那様、客間に寝てるんだろ。近すぎる、みんな駄目になるぞ。蒼助の部屋に移動した方が良い。薬も出しとくから飲ませて。」
医者の時の祥庵は人が変わる。いつも粗暴でいい加減で、おやじの前になると大人しくなる情けない男なのに。
安記は狐憑きが持っている力を外に出す事が苦手な体質で、兄さんのようにふつうに生活していて自然に出ていく事が出来ず、身体に溜まっていってしまう。
するとこんな感じで具合が悪くなり、発熱や全身痛、全身発汗、食欲不振と、とにかくいろんな症状が出る。
この症状を婚家の人には生まれ付きの持病とざっくり説明し、定期的に実家に帰る事を許してもらっている。
半月ものたうち回り何もできない嫁を、家に置いておく方が面倒なのだろう。帰ると言うと二つ返事で、毎回車を出して貰っているそうだ。
「やっぱり安記は毎度測っても朱。朱の五。今は力が溜まって五・五だが、平常時で三という事はない。奥様、桃色は本当ですか。」
「…祥庵さんに隠しても仕方のない事ですから申し上げます。生まれた時、確かに安記は五ありました。将来五・五になるだろうと朱を言い渡されましたが…」
「細工をしたのか。」
「…はい。」
「朱の五だと離れだからな。」
「一生ひとりで外にも出られず結婚もできずでは不憫で…。」
「恭亮の事もあるしな、ふたりも手離すなんて酷だ。蒼助もまだ手のかかる時だったろうし。」
「はい。どうか本家には…ご当主様の耳に入ったら安記は。安記には黙っていて欲しいのです、どうか…」
麻記は深くお辞儀し、おでこを畳に付けた。
「や、やめてくれ。大丈夫だ、安記の面倒はみるから。朱だと知っているのは本家の医者だけか。」
「はい。」
麻記が顔を上げる。涙目になっている。
「口止めは。」
「…それ相当のものを。」
「そうか。安記の娘は大丈夫なのか。」
「はい、間違いなく白でございます。」
「そうか。もし二人目が出来たら注意しろよ。女狐憑きには生まれないと言われているが、生まれた実例はある。安記の場合自然放出が出来ないから、妊娠中影響が出やすい。腹の中で吸収して狐憑きになる可能性は低くない。」
「わかりました、心に留めておきます。」
「あと、あかりだけど。」
「はい。」
「安記の世話をさせないように。あかりの子に影響が出るかも知れないからな。」
「私がやりますので大丈夫です。」
「わかった。あ、蒼助とあかりはもう一緒の部屋なのか。」
「はい、蒼助の部屋で寝起きしております。ですがこれから寒くなりますので、どうしようかと。ストーブはありますが、元々物が多く狭い部屋ですのにあかりさんの嫁入り道具でだいぶ手狭で…厠も遠いので。」
「そうか、広間を使ったらどうだ。」
「客間ですか。客間を夫婦の部屋にするというのは。それにあちらは今、夫が使っていますし。」
「だったら、あかりの部屋をふたりの部屋にしたらどうだ。厠も近くなるし。それで空いた蒼助の部屋で安記を休ませるんだな。」
「…そうですね。夫は花鳥風月側の部屋にしていただいて。そしたらあかりさんとの距離も多少とれます。そういたします。」
ふつうの家だったら六畳一間で六人暮らしてる家族だっているのに。まあ、ふつうの家に狐憑きはいないのだが。
「あかりは旦那様と安記に注意して、旦那様と安記は近くにしない様に。奥様、苦労が絶えませんな。」
「本当に。」
安記が来た次の日、家の中で引っ越しが行われた。
安記はあかりの部屋から俺の部屋に、俺達は自室からあかりの部屋に、おやじは襖挟んで隣の部屋に移動した。
もともと一時的な予定で客間にいたが、安記の世話で寝室に戻っても母さんが夜中に何度も起きて、おやじがゆっくり休めない。
ならばしばらく戻らぬつもりで、と、移動してから着替えなど私物を持ち込んだ。
書斎での寝起きも考えたが、安記の隣の部屋になるし、本ばかりで布団が敷けない。
部屋数があっても上手くいかないものである。
「あ、あかり重い物はいいから。軽い物を運べ。あとは、男衆に運んでもらえ。」
妊娠四ヶ月。屈むとお腹が苦しい。
最近急激にお腹が出っ張ってきた。こんなに早く大きくなるものなのだろうか。
背筋を伸ばしてお腹を摩る。
その姿を見て麻記は自分の妊娠を振り返る。
妊娠期間は十ヶ月と十日。
四ヶ月ではそれほどお腹の膨らみは気にならない。だが、あかりのお腹は更に二ヶ月経ったくらいの大きさだった。
私は妊娠に敏感になっていたので、月のものが無いとすぐに医者に診てもらっていた。
恭亮は桜が咲き始めた頃にわかり、月のきれいな秋に生まれた。
安記はそろそろ梅の季節という頃にわかり、生まれたのは夏の初め頃。
狐憑きの胎児は成長が早い。恭亮も安記もそうだった。
妊娠四ヶ月。きっと、あと三ヶ月で生まれてくるだろう。
麻記は廊下の陰で、密かに笑った。
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