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第一章 冒険者から神官へ
幸せは受け取ろうとするから受け取れる
今日は週に一度の「特別治癒の日」だ。
欠損をも治すという治癒魔術を見学するため、治癒院には信者だけでなく、他の支部の癒し属性の神官や聖女たちも訪れていた。
本日の予約は二名。午前に一名、午後に一名だ。これ以上は、まだ俺が欠損の治癒に慣れていないうえ、魔力量的にも負担が大きいだろうと止められている。
聖者の制服は少しだけ特殊だ。
詰襟の神官服はそのままで、上から羽織るケープの丈は神官のものよりも長く、司教と同じような蔦模様が緑色の糸で刺繍されている。
仕上げに、ストラとかいう幅の狭いストールを肩に掛ける。
この服に袖を通すと、「今日は特別治癒の日だから頑張らないと」と、いつも以上に気持ちが引き締まる。
「ノア様ぁ!」
治癒院に入った所で、イザベラが駆け寄って来た。
すかさず俺の護衛の聖騎士が止めに入る。
「ちょっと! 退いてちょうだい! 私はこの教会の聖女見習いなのよ!」
「ノア聖者はこれからお勤めです。お引き取りください」
がっしりと大柄の聖騎士が、イザベラを取り押さえて言った。
「なんでその子たちはいいわけ!? おかしいじゃない! 偽の聖女見習いなのに!!」
イザベラが、リリアンの方を指差して叫んだ。
リリアンとエラは俺と同じチームだから、特別治癒の日には、身の回りのサポート役をしてもらっている。
「リリアンはちゃんと治癒魔術が使えるわ! それにとっても上手だから、たくさんの患者さんを治してきた実績もあるのよ!」
エラが胸を張って言い返した。
見学に来ていた人たちも頷いているのが見えた。
リリアンは普段真面目に治癒院でお勤めをしているから、教会関係者であれば、彼女の治癒魔術の腕前を知っている者が多い。
「なっ!!」
イザベラは怒って顔が真っ赤になった。お家の爵位が下のエラに反論されて、気に食わないらしい。
「それに、リリアンは俺の婚約者だ。これ以上彼女を侮辱するような言動はやめてもらいたい」
俺は片手でリリアンの肩を抱き寄せた。
リリアンはポッと頬を赤らめると、少しだけ恥ずかしそうに俯いて、俺に身を寄せてくれた。
そんな俺たちの様子に、見学に来ていた人たちの「初々しいねぇ」「あら、まぁ」といった囁き声が聞こえてきた。
「嘘よ、嘘っ! だって、お父様が婚約の打診をしてくださったって!」
「それはコールマン家も同じだ。きちんと彼女や家族とも合意を得て、婚約したんだ」
俺が丁寧に説明しても、まだイザベラは言い募ろうとしていた。その時──
「いい加減にしなさい! そもそもあなたはノアに惹かれたわけじゃなくて、『聖者』の肩書きに釣られただけでしょう!? そうでもなければ、常日頃から『平民が』って見下してたあなたが、こんな風に手のひら返しするわけないじゃない!」
リリアンがビシッと言い放った。
美人で貴族らしく凛とした姿勢のリリアンは、堂々としていて、とにかくカッコいい……
「なっ……そんなこと……」
「それは私も聞きましたわ」
イザベラが慌てて反論しようとするが、エラが証言する。
イザベラの普段の素行が悪いためか、あちこちで「イザベラ嬢なら、そう言うだろうな」「私も聞いたことあるわ」とヒソヒソと囁かれている。
イザベラは「ゔっ……」と言葉を詰まらせた。
「聖者は確かに教会内でも特殊な地位よ。でも、その分、仕事も大変だし、責任も重くなるわ。そんな聖者の上っ面な肩書きしか見えていないあなたが、ノアをきちんと支えられるわけがないでしょう? 私は、公私共にきちんと彼を支えるつもりよ。だって、彼を愛してるから!」
リリアンは真っ直ぐにイザベラを見据えて、堂々と宣言した。
「おぉ……」という歓声と共に、治癒院中にパチパチと拍手が巻き起こった。
あちこちから「おめでとう!」という祝いの言葉もかけられた。
イザベラは「だって……」「そんな……」と呟いて、顔を青くしたり白くしたりして、その場にへたり込んでしまった。
イザベラは、聖騎士たちに引き摺られるように回収されていった。
「お騒がせしてしまい、申し訳ございません。改めまして、聖者様に本日の特別治癒をしていただきましょう」
クラーク司教──父上が、この場をまとめるように声を張りあげた。
ざわついていた見学の席も、だんだんと静かになっていった。
午前の患者さんは、何年か前に起きた魔剣の暴発事件で脚を失った元騎士さんだそうで、今回の治癒で欠損が回復したら騎士団に復帰されるそうだ。
聖者の肩書きをいただいてから俺は、癒しの精霊のグラントさんに、こっそり欠損を治す時の魔力コントロールを習っていた。またぶっ倒れたらたまらないからな。
俺は落ち着くために、ふうっ、と大きく深呼吸した。
患者さんの脚に手を添えて、少しずつ魔力を流し始めた。
──この方の脚が良くなって、騎士団復帰の願いが叶いますように──
「ヒール」
魔術陣が患部の下にあらわれ、眩いばかりの緑色の光が患者さんと俺を包み込んだ。
光がおさまっていくと、そこにはつるりと綺麗な脚が再生した元騎士さんが、驚愕の表情で口をパクパクとさせていた。あまりにも驚きすぎて、声も出なかったらしい。
「また国を守る仕事に復帰できます。感謝してもしきれません。ありがとうございます」
元騎士さんに、涙ながらにきつく握手をされた。
彼のご家族も今日の治癒に一緒にいらしてて、涙を流して厚くお礼を言われた。
俺は、こうやって誰かの助けになれるのが嬉しくて、胸のあたりがあたたかくなるのを感じた。
一旦、休憩のために教会の方に戻ろうとした時──
「ちょっと待って……ねぇ、婚約ってどういうこと……?」
「ローラ?」
自然と、俺の声も顔も強張ったのが分かった。
何でローラがこんな所に? アンガスたちはどうしたんだ?
ローラは眉間に深い皺を寄せて、俺とリリアンの顔を交互に見ていた。
「そもそも、あなたは一体誰よ!? ノアの婚約者ってどういうこと!?」
ローラが失礼にもリリアンを指差した。
俺が何か言い返そうと口を開きかけた時、リリアンが俺を押さえて、ずいっと前に出た。
「私はミッチェル・コールマン伯爵が娘のリリアンと申します。あなた、ローラさんよね? ノアからお話は伺ってますわ。ダンジョンの十階層でノアを見捨てたのでしょう? 冒険者のあなたなら、それがどんな危険な行為かお分かりになるでしょう?」
イザベラとの喧嘩に慣れているリリアンは、キツくローラを睨みつけた。淡いラベンダー色の瞳はいつも以上に怒りがこもっていて、つり目の美人ということもあり、とことん迫力があった。
「……だって、あたしは、そんなつもりじゃ……」
ローラはリリアンの気迫に押されて、しどろもどろに何か言おうとしていた。
「それで、あなたは何をしにここにいらしたの? 今さら謝って許しを乞うため? 命の危険に晒された相手なのよ。そんなことでノアがあなたを簡単に許せると思って?」
リリアンのその言葉に、ローラは絶望的な表情になると、がっくりとその場で膝から崩れ落ちた。
ローラは「だって、だって……」と何やらブツブツ呟いていたが、聖騎士たちによって治癒院の外まで送られていった。
「リリアン、すまない。俺の元パーティーメンバーが……」
俺が小声で謝ると、リリアンはツンと澄ました顔で、
「あら。公私共に支えるって宣言したわよね? ノアが困った時はいつでも頼っていいのよ。逆にノアが頼らなかったら、辛いことを共有してくれなかったら、私でも支えきれないわ」
と言ってきた。
──リリアンの言う通りだ。
俺はアイアン・ケルベロスでは、「自分には力が無くて、こんなことぐらいしかできない」と思い込んで、何でも引き受けたし、誰にも助けを求めなかった。だからこそ、他のメンバーも「それが当たり前」だと思い込んで、つけ上がる原因にもなった。
あの時、俺が声をあげていたら、また何かが変わっていたのかもしれない……
俺が手を伸ばすから、リリアンがきちんと握り返してくれる。
幸せになりたかったら、受け取る覚悟も、手を伸ばす覚悟も必要なんだな。
「……惚れ直しました」
俺がリリアンの耳元で伝えると、彼女はボンッと顔を真っ赤にして「もう! ノアはこういうところは天然なんだから!」とごにょごにょ言っていた。
***
午後の特別治癒も、無事に終わった。
本日のお勤めも終了し、教会の方へ戻ろうとした時──
「一体、どういうことだ……何で、ノアがここにいるんだ……?」
「えっ?」
嫌というほど聞き覚えのある声に、俺は振り返った。
久々に見たアンガスは、見る影も無かった。髭は伸び放題で、髪もボサボサ。服装も、かなり旅をしてきたような汚れ具合だ。何よりも、右腕の肘から先が無かった。
「まぁ、いい。昔のよしみだ。治してくれるんだろうな? 俺たち、同じパーティーだもんな」
こいつ、何を言ってるんだ?
俺はとっくの昔にアイアン・ケルベロスは辞めてるし、脱退手続きも済ませてる。
何より、アンガスが俺を追い出したんじゃないか!
アンガスの目は、さっきまでは半分死んだ魚のような目をしていたが、今はギラギラと獲物を狙うような嫌な感じに輝いていた。
「俺はもうアイアン・ケルベロスのメンバーじゃないし、予約の順番は守ってくれ。三年後だ」
「はぁ!? 何を言ってんだ、今すぐにだよ!! 三年なんて待てるわけないだろ!!」
アンガスが、がなり立てた。
俺も含めて各国の大聖女様は、本当に予約が三年待ちになってるんだから、仕方ないだろう?
それに未だに、そうやって大声を出せば、自分の思い通りになるとでも思ってるのか……?
俺は、アンガスの何も変わっていない様子に呆れるしかなかった。
「それに、きちんと教会の方にお布施もしてもらわないと」
「俺から集ろうってのか!? 俺がパーティーに置いてやった恩を忘れたのか!?」
「話にならないな。ルールは守ってもらわないと。それに、俺はお前たちにダンジョンに置き去りにされたことを許したわけじゃない。むしろ、どの面下げてここに来たんだ?」
もちろん、謝罪の言葉すらないアンガスに、治癒魔術を施す気にはならない。
今のこいつの状態なら、ルールを守って順番を待つという考えも無さそうだし、ろくにお布施も準備できないだろう。
「んなこたぁどうでもいいんだよ! とにかく、さっさと治せよ!!」
アンガスが残ってる左腕で俺に掴み掛かろうとしてきた。
すぐさま護衛の聖騎士が、俺とアンガスの間に入り込んで、ガッチリと奴を抑え込む。
「クソッ! 離しやがれっ!!」
アンガスは暴れたが、聖騎士は微動だにしなかった。聖騎士二人がかりで、アンガスの両脇をがっしりと抱え込んで、引き摺るように治癒院の出口まで向かって行った。
「おいっ! 待てよ、話はまだ……」
聖騎士たちに引き摺られながら、アンガスがまだ何か言おうとしていた。
「俺はもうお前と話すことは何もないよ。俺はお前を治さない。あれだけのことをやっておいて謝りもしない、今の自分の状況も理解できないような奴に施せる治癒魔術は無いよ。きちんとルールに則ってくれれば、他国の大聖女様なら治してくださるだろう。それが無理なら、一生治らない。それだけだ」
バカにつける薬も治癒魔術も無いからな。
先に裏切ったのはそっちだし、自業自得だ。
俺が冷たくアンガスを睨みつけると、奴はショックを受けて呆けた顔で、がっくりと項垂れていた。
「ノア、無事か!?」
騒ぎを聞きつけた父上が、慌てて駆けつけて来てくれた。
「ノア、大丈夫?」
リリアンが俺の腕にそっと手を添えて、心配そうに俺を覗き込んだ。
「もう! さっきの人はガシュラ支部を出禁にしてもらいましょう!」
エラが俺の代わりに、リスのように頬を膨らませてプンプンと怒ってくれた。
「ノア、よく言ってやった!」
グラントさんが俺の頭をガシガシと撫でてくれた。ちょっとこそばゆい。
ありがたいことに、今の俺には俺を支えてくれる仲間や家族がいる。
みんなと一緒なら、「聖者」としてやっていけそうだ。
「ああ。みんなのおかげで、大丈夫だよ」
俺がみんなに笑いかけると、父上もリリアンもエラもグラントさんも、ホッと安堵の息を吐いた。
***
ドラゴニア王国の王都ガシュラにある聖鳳教会には、欠損を治癒できる聖者がいた。
彼の魔力量の多さ、そのコントロール力から、歴代のどんな大聖女や聖者よりもたくさんの患者を癒した。
彼自身の人柄もあり、たくさんの人々が彼を支え、彼もそれに応えるように、たくさんの人々をその治癒魔術で救っていった。
──後に彼は、「大聖者」として歴史にその名を刻むこととなった。
欠損をも治すという治癒魔術を見学するため、治癒院には信者だけでなく、他の支部の癒し属性の神官や聖女たちも訪れていた。
本日の予約は二名。午前に一名、午後に一名だ。これ以上は、まだ俺が欠損の治癒に慣れていないうえ、魔力量的にも負担が大きいだろうと止められている。
聖者の制服は少しだけ特殊だ。
詰襟の神官服はそのままで、上から羽織るケープの丈は神官のものよりも長く、司教と同じような蔦模様が緑色の糸で刺繍されている。
仕上げに、ストラとかいう幅の狭いストールを肩に掛ける。
この服に袖を通すと、「今日は特別治癒の日だから頑張らないと」と、いつも以上に気持ちが引き締まる。
「ノア様ぁ!」
治癒院に入った所で、イザベラが駆け寄って来た。
すかさず俺の護衛の聖騎士が止めに入る。
「ちょっと! 退いてちょうだい! 私はこの教会の聖女見習いなのよ!」
「ノア聖者はこれからお勤めです。お引き取りください」
がっしりと大柄の聖騎士が、イザベラを取り押さえて言った。
「なんでその子たちはいいわけ!? おかしいじゃない! 偽の聖女見習いなのに!!」
イザベラが、リリアンの方を指差して叫んだ。
リリアンとエラは俺と同じチームだから、特別治癒の日には、身の回りのサポート役をしてもらっている。
「リリアンはちゃんと治癒魔術が使えるわ! それにとっても上手だから、たくさんの患者さんを治してきた実績もあるのよ!」
エラが胸を張って言い返した。
見学に来ていた人たちも頷いているのが見えた。
リリアンは普段真面目に治癒院でお勤めをしているから、教会関係者であれば、彼女の治癒魔術の腕前を知っている者が多い。
「なっ!!」
イザベラは怒って顔が真っ赤になった。お家の爵位が下のエラに反論されて、気に食わないらしい。
「それに、リリアンは俺の婚約者だ。これ以上彼女を侮辱するような言動はやめてもらいたい」
俺は片手でリリアンの肩を抱き寄せた。
リリアンはポッと頬を赤らめると、少しだけ恥ずかしそうに俯いて、俺に身を寄せてくれた。
そんな俺たちの様子に、見学に来ていた人たちの「初々しいねぇ」「あら、まぁ」といった囁き声が聞こえてきた。
「嘘よ、嘘っ! だって、お父様が婚約の打診をしてくださったって!」
「それはコールマン家も同じだ。きちんと彼女や家族とも合意を得て、婚約したんだ」
俺が丁寧に説明しても、まだイザベラは言い募ろうとしていた。その時──
「いい加減にしなさい! そもそもあなたはノアに惹かれたわけじゃなくて、『聖者』の肩書きに釣られただけでしょう!? そうでもなければ、常日頃から『平民が』って見下してたあなたが、こんな風に手のひら返しするわけないじゃない!」
リリアンがビシッと言い放った。
美人で貴族らしく凛とした姿勢のリリアンは、堂々としていて、とにかくカッコいい……
「なっ……そんなこと……」
「それは私も聞きましたわ」
イザベラが慌てて反論しようとするが、エラが証言する。
イザベラの普段の素行が悪いためか、あちこちで「イザベラ嬢なら、そう言うだろうな」「私も聞いたことあるわ」とヒソヒソと囁かれている。
イザベラは「ゔっ……」と言葉を詰まらせた。
「聖者は確かに教会内でも特殊な地位よ。でも、その分、仕事も大変だし、責任も重くなるわ。そんな聖者の上っ面な肩書きしか見えていないあなたが、ノアをきちんと支えられるわけがないでしょう? 私は、公私共にきちんと彼を支えるつもりよ。だって、彼を愛してるから!」
リリアンは真っ直ぐにイザベラを見据えて、堂々と宣言した。
「おぉ……」という歓声と共に、治癒院中にパチパチと拍手が巻き起こった。
あちこちから「おめでとう!」という祝いの言葉もかけられた。
イザベラは「だって……」「そんな……」と呟いて、顔を青くしたり白くしたりして、その場にへたり込んでしまった。
イザベラは、聖騎士たちに引き摺られるように回収されていった。
「お騒がせしてしまい、申し訳ございません。改めまして、聖者様に本日の特別治癒をしていただきましょう」
クラーク司教──父上が、この場をまとめるように声を張りあげた。
ざわついていた見学の席も、だんだんと静かになっていった。
午前の患者さんは、何年か前に起きた魔剣の暴発事件で脚を失った元騎士さんだそうで、今回の治癒で欠損が回復したら騎士団に復帰されるそうだ。
聖者の肩書きをいただいてから俺は、癒しの精霊のグラントさんに、こっそり欠損を治す時の魔力コントロールを習っていた。またぶっ倒れたらたまらないからな。
俺は落ち着くために、ふうっ、と大きく深呼吸した。
患者さんの脚に手を添えて、少しずつ魔力を流し始めた。
──この方の脚が良くなって、騎士団復帰の願いが叶いますように──
「ヒール」
魔術陣が患部の下にあらわれ、眩いばかりの緑色の光が患者さんと俺を包み込んだ。
光がおさまっていくと、そこにはつるりと綺麗な脚が再生した元騎士さんが、驚愕の表情で口をパクパクとさせていた。あまりにも驚きすぎて、声も出なかったらしい。
「また国を守る仕事に復帰できます。感謝してもしきれません。ありがとうございます」
元騎士さんに、涙ながらにきつく握手をされた。
彼のご家族も今日の治癒に一緒にいらしてて、涙を流して厚くお礼を言われた。
俺は、こうやって誰かの助けになれるのが嬉しくて、胸のあたりがあたたかくなるのを感じた。
一旦、休憩のために教会の方に戻ろうとした時──
「ちょっと待って……ねぇ、婚約ってどういうこと……?」
「ローラ?」
自然と、俺の声も顔も強張ったのが分かった。
何でローラがこんな所に? アンガスたちはどうしたんだ?
ローラは眉間に深い皺を寄せて、俺とリリアンの顔を交互に見ていた。
「そもそも、あなたは一体誰よ!? ノアの婚約者ってどういうこと!?」
ローラが失礼にもリリアンを指差した。
俺が何か言い返そうと口を開きかけた時、リリアンが俺を押さえて、ずいっと前に出た。
「私はミッチェル・コールマン伯爵が娘のリリアンと申します。あなた、ローラさんよね? ノアからお話は伺ってますわ。ダンジョンの十階層でノアを見捨てたのでしょう? 冒険者のあなたなら、それがどんな危険な行為かお分かりになるでしょう?」
イザベラとの喧嘩に慣れているリリアンは、キツくローラを睨みつけた。淡いラベンダー色の瞳はいつも以上に怒りがこもっていて、つり目の美人ということもあり、とことん迫力があった。
「……だって、あたしは、そんなつもりじゃ……」
ローラはリリアンの気迫に押されて、しどろもどろに何か言おうとしていた。
「それで、あなたは何をしにここにいらしたの? 今さら謝って許しを乞うため? 命の危険に晒された相手なのよ。そんなことでノアがあなたを簡単に許せると思って?」
リリアンのその言葉に、ローラは絶望的な表情になると、がっくりとその場で膝から崩れ落ちた。
ローラは「だって、だって……」と何やらブツブツ呟いていたが、聖騎士たちによって治癒院の外まで送られていった。
「リリアン、すまない。俺の元パーティーメンバーが……」
俺が小声で謝ると、リリアンはツンと澄ました顔で、
「あら。公私共に支えるって宣言したわよね? ノアが困った時はいつでも頼っていいのよ。逆にノアが頼らなかったら、辛いことを共有してくれなかったら、私でも支えきれないわ」
と言ってきた。
──リリアンの言う通りだ。
俺はアイアン・ケルベロスでは、「自分には力が無くて、こんなことぐらいしかできない」と思い込んで、何でも引き受けたし、誰にも助けを求めなかった。だからこそ、他のメンバーも「それが当たり前」だと思い込んで、つけ上がる原因にもなった。
あの時、俺が声をあげていたら、また何かが変わっていたのかもしれない……
俺が手を伸ばすから、リリアンがきちんと握り返してくれる。
幸せになりたかったら、受け取る覚悟も、手を伸ばす覚悟も必要なんだな。
「……惚れ直しました」
俺がリリアンの耳元で伝えると、彼女はボンッと顔を真っ赤にして「もう! ノアはこういうところは天然なんだから!」とごにょごにょ言っていた。
***
午後の特別治癒も、無事に終わった。
本日のお勤めも終了し、教会の方へ戻ろうとした時──
「一体、どういうことだ……何で、ノアがここにいるんだ……?」
「えっ?」
嫌というほど聞き覚えのある声に、俺は振り返った。
久々に見たアンガスは、見る影も無かった。髭は伸び放題で、髪もボサボサ。服装も、かなり旅をしてきたような汚れ具合だ。何よりも、右腕の肘から先が無かった。
「まぁ、いい。昔のよしみだ。治してくれるんだろうな? 俺たち、同じパーティーだもんな」
こいつ、何を言ってるんだ?
俺はとっくの昔にアイアン・ケルベロスは辞めてるし、脱退手続きも済ませてる。
何より、アンガスが俺を追い出したんじゃないか!
アンガスの目は、さっきまでは半分死んだ魚のような目をしていたが、今はギラギラと獲物を狙うような嫌な感じに輝いていた。
「俺はもうアイアン・ケルベロスのメンバーじゃないし、予約の順番は守ってくれ。三年後だ」
「はぁ!? 何を言ってんだ、今すぐにだよ!! 三年なんて待てるわけないだろ!!」
アンガスが、がなり立てた。
俺も含めて各国の大聖女様は、本当に予約が三年待ちになってるんだから、仕方ないだろう?
それに未だに、そうやって大声を出せば、自分の思い通りになるとでも思ってるのか……?
俺は、アンガスの何も変わっていない様子に呆れるしかなかった。
「それに、きちんと教会の方にお布施もしてもらわないと」
「俺から集ろうってのか!? 俺がパーティーに置いてやった恩を忘れたのか!?」
「話にならないな。ルールは守ってもらわないと。それに、俺はお前たちにダンジョンに置き去りにされたことを許したわけじゃない。むしろ、どの面下げてここに来たんだ?」
もちろん、謝罪の言葉すらないアンガスに、治癒魔術を施す気にはならない。
今のこいつの状態なら、ルールを守って順番を待つという考えも無さそうだし、ろくにお布施も準備できないだろう。
「んなこたぁどうでもいいんだよ! とにかく、さっさと治せよ!!」
アンガスが残ってる左腕で俺に掴み掛かろうとしてきた。
すぐさま護衛の聖騎士が、俺とアンガスの間に入り込んで、ガッチリと奴を抑え込む。
「クソッ! 離しやがれっ!!」
アンガスは暴れたが、聖騎士は微動だにしなかった。聖騎士二人がかりで、アンガスの両脇をがっしりと抱え込んで、引き摺るように治癒院の出口まで向かって行った。
「おいっ! 待てよ、話はまだ……」
聖騎士たちに引き摺られながら、アンガスがまだ何か言おうとしていた。
「俺はもうお前と話すことは何もないよ。俺はお前を治さない。あれだけのことをやっておいて謝りもしない、今の自分の状況も理解できないような奴に施せる治癒魔術は無いよ。きちんとルールに則ってくれれば、他国の大聖女様なら治してくださるだろう。それが無理なら、一生治らない。それだけだ」
バカにつける薬も治癒魔術も無いからな。
先に裏切ったのはそっちだし、自業自得だ。
俺が冷たくアンガスを睨みつけると、奴はショックを受けて呆けた顔で、がっくりと項垂れていた。
「ノア、無事か!?」
騒ぎを聞きつけた父上が、慌てて駆けつけて来てくれた。
「ノア、大丈夫?」
リリアンが俺の腕にそっと手を添えて、心配そうに俺を覗き込んだ。
「もう! さっきの人はガシュラ支部を出禁にしてもらいましょう!」
エラが俺の代わりに、リスのように頬を膨らませてプンプンと怒ってくれた。
「ノア、よく言ってやった!」
グラントさんが俺の頭をガシガシと撫でてくれた。ちょっとこそばゆい。
ありがたいことに、今の俺には俺を支えてくれる仲間や家族がいる。
みんなと一緒なら、「聖者」としてやっていけそうだ。
「ああ。みんなのおかげで、大丈夫だよ」
俺がみんなに笑いかけると、父上もリリアンもエラもグラントさんも、ホッと安堵の息を吐いた。
***
ドラゴニア王国の王都ガシュラにある聖鳳教会には、欠損を治癒できる聖者がいた。
彼の魔力量の多さ、そのコントロール力から、歴代のどんな大聖女や聖者よりもたくさんの患者を癒した。
彼自身の人柄もあり、たくさんの人々が彼を支え、彼もそれに応えるように、たくさんの人々をその治癒魔術で救っていった。
──後に彼は、「大聖者」として歴史にその名を刻むこととなった。
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ヴァインベルク公爵家のエリアーナは、魔力ゼロの『出来損ない』として家族に虐げられる日々を送っていた。16歳の誕生日、兄に突き落とされた衝撃で、彼女は前世の記憶――物理学を学ぶ日本の女子大生だったことを思い出す。
「この世界の魔法は、物理法則で再現できる!」
前世の知識を武器に、虐げられた運命を覆すことを決意したエリアーナ。そんな彼女の類稀なる才能に唯一気づいたのは、『氷の悪魔』と畏れられる冷徹な辺境伯カイドだった。
彼に守られ、その頭脳で自身を蔑んだ者たちを見返していく痛快逆転ストーリー!