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7.女神VS吸血鬼
⑥
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イーハは変わらぬ笑顔でにこにこしながら、「ねぇねぇ」と莉々子の持つ本を叩いて示した。
どうやら中を見て貰いたいらしい。
そわそわと期待するようなその仕草が微笑ましくて莉々子は促されるままにその本を開いた。
「漢字は読めるのですか?」
「すぉし」
指でちょっと、というジェスチャーをしながら彼は頷く。
病気や障害の症状などは典型例であることはほとんどなく、だいたいは損傷の部位や大きさ、年齢などによりばらつきがあるものだが、莉々子の臨床経験からすると失語の方は聴覚的な理解能力よりも漢字の読解の方が得意な人は比較的多い傾向があるように思う。
彼もそのご多分に漏れず、漢字を読むのが得意なようだった。
(果たしてこの世界で私が漢字と認識しているものがこの世界でも漢字に相当するような文字なのかどうかは知らないけど……)
おそらく、漢字ばかりが並んだタイトルのために彼にはその内容を推察することが出来たのだろう。
(この世界の認識が曖昧すぎて何もかもが仮定の上にしか成り立たない)
それを歯がゆく思う。元の居た世界、日本ならばなんの曇りもなく莉々子は考察を行えた。勿論、考察に絶対などはない。いつだって疑念はつきまとったし、足りない知識はたくさんあった。それでもその前提となる症状自体の認識や言語体系についてまで思いを巡らす必要性などはなく、それはただの事実として捉えることが出来たのに。
揺らぐ土台の上に建物など建築できるだろうか。
(きっとすぐにでも崩れてしまう)
歯がゆい思いに今は目をつぶって、目の前の本を開く。
そこには審判のなんたるかや審判者の資格を得るための情報がお堅い文体でびっしりと書かれていた。
「そういえば最近は随分と自由奔放な審判者が居るのですって」
アンナがその本を覗き込みながら不機嫌そうに零した。
「自由奔放?」
「審判者は本来中央の聖堂教会にいて、そこから各地に必要に応じて派遣されるのですわ。けれど全く中央には留まらず各地を放浪している審判者がいるそうですの」
「別にいいんじゃないですか?」
「良くありませんわ! 神聖にして厳格なる審判者が! 各地を当てもなく旅人のように放浪するなどと!」
「聖職者が旅人のように放浪してはいけないのですか?」
「いけませんわ! はしたない!!」
その剣幕に驚く。仕事をしているのならば別に各地を彷徨っていようが構わないだろうし、職務を放棄しているというのならばさっさと首にしてしまえば良いだけではないのだろうか?
「貴方、そんなことも知りませんの?」
疑問を抱いているのが目に見えてわかったのだろう、彼女は呆れたようだった。
「旅人なんて国民の義務を果たさない非国民ですわ。そんなものを真似て権力者が税金を払わずに彷徨い歩くだなんて!」
「旅人は税金を払っていないのですか?」
「各領地へ入る時などは勿論入領税を納めておりますわ。そうしないと入領が許されませんもの。でもそれ以外の年貢は納めておりませんの。当然でしょう? 彼らには居住地がなく、すぐに場所を変えてしまうのですもの!」
憤然と息巻く。
「旅人自体は仕方がありませんわ。きっと何かしらの事情があってそのような生活を選んでいるのですから。けれど本来なら食べるのに苦労せずに過ごしているはずの審判者がそのような税金逃れのような真似をするだなんて!」
なるほど、それは確かに判然としない気持ちになるのも頷ける。同じ聖職に就く者として、アンナは義憤に駆られているようであった。
「私たちだって日々苦労して税金を納めているというのに!」
どうやらこっちが本音らしい。
しかし……、と莉々子は首をひねる。
しばし考え込んだのちに口を開いた。
「一応その方も中央に家はあるのでは? だとするならば税金は払っているような気がしますが……」
「え? あら……?」
アンナは首を傾げる。イーハもその隣で「んー」と腕を組んでうなり声を上げていた。
「そう……? そうかしら……?」
「どうなんでしょう……?」
二人が見つめ合って首をひねっているとイーハがおもむろに莉々子が持っていた本を叩いて注目を促した。
「よめ!」
「ああ……」
頷いてページをめくる。審判者の職務に関しての説明を読むと気になる項目を見つけた。
「年に一度の更新……」
「中央の聖堂教会に年一度出向いて更新手続きをする必要があるのですわ」
「……ということは年に一度は中央にいるということですよね?」
「……そうですわね」
「……ということは中央に一応家はあるんじゃないですか?」
「…………そうですわねぇ……」
アンナと目線を合わすと、ふいと気まずそうに逸らされた。
「税金……払ってるんじゃありませんか?」
「……勘違いは誰にでもありますわ!」
「……はぁ」
言い捨ててアンナは「食器を片付けますわ」と声を上げながら立ち去ってしまった。それをぼんやりと目で追っていると肩を叩かれる。
振り向くとイーハが何かの紙を指さしていた。
そこには子どもが描いたらしいアンナに似た金髪くるくるの女の子の絵の横に、これまた子どもが書いたと思しき文字で「どじっ子」と書かれていた。
どうやら中を見て貰いたいらしい。
そわそわと期待するようなその仕草が微笑ましくて莉々子は促されるままにその本を開いた。
「漢字は読めるのですか?」
「すぉし」
指でちょっと、というジェスチャーをしながら彼は頷く。
病気や障害の症状などは典型例であることはほとんどなく、だいたいは損傷の部位や大きさ、年齢などによりばらつきがあるものだが、莉々子の臨床経験からすると失語の方は聴覚的な理解能力よりも漢字の読解の方が得意な人は比較的多い傾向があるように思う。
彼もそのご多分に漏れず、漢字を読むのが得意なようだった。
(果たしてこの世界で私が漢字と認識しているものがこの世界でも漢字に相当するような文字なのかどうかは知らないけど……)
おそらく、漢字ばかりが並んだタイトルのために彼にはその内容を推察することが出来たのだろう。
(この世界の認識が曖昧すぎて何もかもが仮定の上にしか成り立たない)
それを歯がゆく思う。元の居た世界、日本ならばなんの曇りもなく莉々子は考察を行えた。勿論、考察に絶対などはない。いつだって疑念はつきまとったし、足りない知識はたくさんあった。それでもその前提となる症状自体の認識や言語体系についてまで思いを巡らす必要性などはなく、それはただの事実として捉えることが出来たのに。
揺らぐ土台の上に建物など建築できるだろうか。
(きっとすぐにでも崩れてしまう)
歯がゆい思いに今は目をつぶって、目の前の本を開く。
そこには審判のなんたるかや審判者の資格を得るための情報がお堅い文体でびっしりと書かれていた。
「そういえば最近は随分と自由奔放な審判者が居るのですって」
アンナがその本を覗き込みながら不機嫌そうに零した。
「自由奔放?」
「審判者は本来中央の聖堂教会にいて、そこから各地に必要に応じて派遣されるのですわ。けれど全く中央には留まらず各地を放浪している審判者がいるそうですの」
「別にいいんじゃないですか?」
「良くありませんわ! 神聖にして厳格なる審判者が! 各地を当てもなく旅人のように放浪するなどと!」
「聖職者が旅人のように放浪してはいけないのですか?」
「いけませんわ! はしたない!!」
その剣幕に驚く。仕事をしているのならば別に各地を彷徨っていようが構わないだろうし、職務を放棄しているというのならばさっさと首にしてしまえば良いだけではないのだろうか?
「貴方、そんなことも知りませんの?」
疑問を抱いているのが目に見えてわかったのだろう、彼女は呆れたようだった。
「旅人なんて国民の義務を果たさない非国民ですわ。そんなものを真似て権力者が税金を払わずに彷徨い歩くだなんて!」
「旅人は税金を払っていないのですか?」
「各領地へ入る時などは勿論入領税を納めておりますわ。そうしないと入領が許されませんもの。でもそれ以外の年貢は納めておりませんの。当然でしょう? 彼らには居住地がなく、すぐに場所を変えてしまうのですもの!」
憤然と息巻く。
「旅人自体は仕方がありませんわ。きっと何かしらの事情があってそのような生活を選んでいるのですから。けれど本来なら食べるのに苦労せずに過ごしているはずの審判者がそのような税金逃れのような真似をするだなんて!」
なるほど、それは確かに判然としない気持ちになるのも頷ける。同じ聖職に就く者として、アンナは義憤に駆られているようであった。
「私たちだって日々苦労して税金を納めているというのに!」
どうやらこっちが本音らしい。
しかし……、と莉々子は首をひねる。
しばし考え込んだのちに口を開いた。
「一応その方も中央に家はあるのでは? だとするならば税金は払っているような気がしますが……」
「え? あら……?」
アンナは首を傾げる。イーハもその隣で「んー」と腕を組んでうなり声を上げていた。
「そう……? そうかしら……?」
「どうなんでしょう……?」
二人が見つめ合って首をひねっているとイーハがおもむろに莉々子が持っていた本を叩いて注目を促した。
「よめ!」
「ああ……」
頷いてページをめくる。審判者の職務に関しての説明を読むと気になる項目を見つけた。
「年に一度の更新……」
「中央の聖堂教会に年一度出向いて更新手続きをする必要があるのですわ」
「……ということは年に一度は中央にいるということですよね?」
「……そうですわね」
「……ということは中央に一応家はあるんじゃないですか?」
「…………そうですわねぇ……」
アンナと目線を合わすと、ふいと気まずそうに逸らされた。
「税金……払ってるんじゃありませんか?」
「……勘違いは誰にでもありますわ!」
「……はぁ」
言い捨ててアンナは「食器を片付けますわ」と声を上げながら立ち去ってしまった。それをぼんやりと目で追っていると肩を叩かれる。
振り向くとイーハが何かの紙を指さしていた。
そこには子どもが描いたらしいアンナに似た金髪くるくるの女の子の絵の横に、これまた子どもが書いたと思しき文字で「どじっ子」と書かれていた。
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