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飛躍篇
第三十一話:太陽、堕つる日
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壮麗を誇ったボーモン侯爵家の屋敷は、今や、主が放った太陽の炎によって、断末魔の叫びを上げるかのように、激しく燃え上がっていた。
その業火の中心である執務室で、レジナルドは静かに、しかしどこか満足げに、眼下で倒れ伏す騎士たちを見下ろしていた。
「…もうこの国での私の計画はお終いか。ユリウスには悪いが、私はヴァルカス帝国で、新たな計画を進めるとしよう」
「ぐ…っ」
瓦礫の下で、かろうじて意識を保っていたアランは、その言葉に絶望した。王国最強の火の魔術師が、国に仇なす存在となった。彼の離反は、敵国との軍事バランスを崩壊させ、このシルベリア王国に計り知れない危機をもたらすだろう。
(早く…早く、このことを、騎士団長や、陛下に伝えなければ…!)
しかし、彼の体はぴくりとも動かない。この場所に来たことが、間違いだったのかもしれない。アランの意識は、後悔と共に闇に沈みかけていた。
屋敷の正面玄関に、一台の豪華な馬車が到着した。中から現れたのは、レジナルドの嫡男であるユリウスと、その母である第一夫人エレオノーラだった。
「これは…一体…!」
目の前の惨状に、ユリウスは絶句する。エレオノーラは、我が家が燃え盛る光景に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「…嘘でしょう…? あなた…」
そこへ、屋敷の奥から、数人の影がよろめきながら現れた。顔は煤で真っ黒になり、高価なはずの制服は焼け焦げてボロボロになった、執事と召使いたちだった。彼らは激しく咳き込み、ある者は腕に火傷を負い、皆、恐怖に引きつった顔をしている。
先頭にいた執事が、ユリウスたちの姿を認めると、かろうじて声を振り絞った。
「ユリウス様! 奥方様! お、お逃げください! 騎士団の方々が旦那様を…! そ、その直後に、屋敷中が火の海に…!」
「父上!」
(何かの間違いだ…! 父上が、こんなことをするはずがない!)
ユリウスは、信じがたい現実に思考が追いつかないまま、自らも炎の魔力をその身に纏うと、燃え盛る屋敷の中へと、父の姿を求めて突入していった。
◇
その頃、王都の一角にある宿屋の一室。ルシアンは、蝋燭の灯りだけが揺れる薄暗い部屋で、静かに目を閉じていた。彼の意識は、その肉体を離れ、遥か彼方へと飛んでいる。
【鷹の目】。そのスキルは、彼の研ぎ澄まされた集中力と合わさることで、王都の夜景を、まるで手のひらの上の地図のように描き出していた。
やがて、彼の視界の先、壮麗な貴族街の一角で、巨大な魔力の奔流が爆発的に噴き出すのを捉えた。一瞬にして、ボーモン家の屋敷が業火に包まれる。
「…暴走したか」
ルシアンは、深く溜息をつくと、静かに目を開いた。
彼は、共にいたエリアナとレンに、簡潔に告げる。
「少し行ってくる」
「ルシアン!?」
エリアナが制止する。だが、彼の瞳に宿る、ただならぬ決意の色を見て、レンが彼女の肩をそっと押さえた。
「…急ぐのですね」
「ああ」
「分かりました。私たちと一緒では、あなたの速度を殺してしまいます。後から追いかけます」
レンの言葉に、エリアナもこくりと頷いた。
「心配はいらない」
その言葉を残し、ルシアンの姿は、まるで陽炎のように、その場から掻き消えた。
燃え盛るボーモン邸の執務室。アランをはじめとする騎士団員たちは、火傷と外傷で瀕死の状態だった。かろうじて展開した魔法障壁も、屋敷を飲み込む業火の前では、もはや時間の問題だった。
レジナルドは、そんな彼らにはもう気も介さず、一人、悦に入ったように思索に耽っていた。
(帝国としても、私のこの力は有用だろう。これまではただのビジネスだったが、これからはさらに深い関係…いや、帝国側で厚遇もあり得るか。そうなれば、このシルベリア王国も、そう長くはないやもしれんな。…触れてはいけないものもあるのだよ、アラン)
彼は、全てが自分の思い通りに進むかのように、静かに高笑いを漏らした。
その時、炎を切り裂いて、一人の若者が執務室に飛び込んできた。自らも炎の魔力で障壁を纏った、ユリウスだった。
「父上!」
レジナルドは、息子に気づくと、冷徹な声で告げた。
「ユリウスか。私の息子よ。お前をうまく次期当主に据え、私は裏から権力を維持しつつ、私欲を満たそうと思っていたが…もう無理だな」
父の威厳、その圧倒的な力、当主としての気高い振る舞い。ユリウスは、その全てを尊敬し、いつか自分も王国の貴族として、父のようになりたいと憧れていた。だが、今、目の前で自分を見る父の目は、まるで価値のなくなった道具を見るかのように、冷え切っていた。体の底から、冷たいものがせり上がってくる。自分の知っている父は、もういない。ユリウスは、それを悟ってしまった。
「なぜ…こんなことに…」
絞り出すようなユリウスの問いに、レジナルドは淡々と語る。
「時が来てしまった。ただ、それだけのことだ。元より、こうなることも想定はしていた」
父が、もはや王国の敵なのだと理解したユリウスは、絶望の中で、しかし、確かに一つの覚悟を決めた。
「…もう、ダメなのですね」
彼は、涙をこらえ、父に剣を向ける。
「私は、王国貴族としての父上を、尊敬していました。…ですが、今のあなたは違う」
その姿に、レジナルドは、ほんの少しだけ面白そうに、そして憐れむように笑った。
「ほう。お前は、純粋なのだな。あれ(エレオノーラ)の息子とは思えん。…お前をアステリアの視察に行かせていれば、こうもなっていなかったのかもな。いや、そうではないな。今のお前を見ればわかる。いずれ、私に剣を向ける運命だったのだな」
「うおおおおっ!」
ユリウスは、ボーモン家の血に恥じぬ、全力の炎の魔法を父に放つ。
しかし、レジナルドは、その炎を、まるで鬱陶しい羽虫でも払うかのように、片手でいなした。
「ユリウス、終わりにしよう。殺しはせん。ただ、もう会うこともないだろう」
レジナルドの手のひらの上に、これまでとは比べ物にならないほど、高密度に濃縮された、灼熱の炎が生み出される。
ユリウスは、その絶対的な力の前に、逃げることすらできなかった。
◇
ユリウスが覚悟した、その瞬間。
彼を飲み込むはずだった灼熱の炎は、その目の前で、まるで見えない壁に阻まれたかのように、静かに霧散した。
炎が消えたその場所に、いつの間にか、一人の銀髪の少年が立っていた。
ルシアンだった。
「お前は…ルシアンッ!」
どこからともなく、一瞬で現れたその姿に、レジナルドは驚愕と、そして全ての計画を狂わせた元凶への強烈な敵対心を剥き出しにする。彼の全身から放たれる炎の魔力が、さらにその勢いを増していった。
燃え盛る炎の中心で、ルシアンは静かにユリウスへと問いかけた。
「そこの騎士団の人たちを、助けてあげられますか?」
その、あまりにも場違いなほど穏やかな声と、真剣な眼差しに、ユリウスは圧倒される。しかし、彼はすぐに我に返ると、力強く頷いた。
「…! ああ、わかった。私が、責任を持って助ける」
ユリウスは、目の前の少年に、人ならざる何かを感じていた。そして、自らの無力さと、父への最後の情を振り払うように、静かに、しかしはっきりと告げた。
「父上を…倒してください」
その言葉を残し、彼は自らも炎を纏い、熱気に涙を巻き上げられながら、瀕死の騎士たちの救出を開始した。
◇
ルシアンは、レジナルドに向き直ると、静かに提案した。
「ここで戦えば、屋敷が崩れる。中庭で、決着をつけましょう」
「なぜ、貴様の提案に、この私が従う必要がある」
レジナルドが、そう言いかけた、その時だった。
「そうか」
ルシアンが、そう呟いたかと思うと、ヒュンッ! という空気を切り裂く音と共に、彼の姿がレジナルドの眼前から消えた。
次の瞬間、レジナルドの胴体に、凄まじい衝撃が叩き込まれる。ルシアンの、静かな掌底が。
レジナルドの体は、屋敷の壁を紙のように突き破り、外の中庭まで吹き飛ばされた。
彼は、咄嗟に展開した魔法障壁でダメージを最小限に留めたものの、そのあまりの速度に、回避することすらできなかったという事実に驚愕する。
(馬鹿な…! 魔法障壁を貫通はせずとも、この衝撃…! そして、目で追うことすらできぬ、あの速度…! だが、面白い。ボーモン家の当主たる私が、こんな得体の知れぬ小僧に遅れを取るわけにはいかん!)
「…やはり、化け物だったか」
瓦礫の中から立ち上がったレジナルドがそう呟くと、彼の目の前には、既に、音もなく佇むルシアンの姿があった。
◇
中庭に降り立ったレジナルドの全身から、王国最強と謳われた魔力が、陽炎となって噴き出した。
「面白い…! 我が全力をもって、その化けの皮を剥いでくれるわ!」
壮絶な戦いの火蓋が、切って落とされた。
「まずは小手調べだ、小僧!」
レジナルドが手をかざせば、灼熱の炎の槍が数十本と現れ、空気を灼きながらルシアンに殺到する。しかし、ルシアンは神速の身のこなしでその全てを躱し、時には地面から土壁を隆起させて攻撃を受け止め、時には蔦を操って槍を叩き落とす。
「…ほう。やるではないか」
「あなたの力は、その程度ですか?」
ルシアンの静かな挑発に、レジナルドの眉がピクリと動いた。
(これが、王国一の火の魔術師…! これまでに戦った誰とも、出力も、攻撃の質も、まるで違う…!)
ルシアンは驚きつつも、それ以上に、自分の中に揺るぎない余裕があることに、さらに驚いていた。
レジナルドもまた、戦慄していた。熟練の戦闘技術と、強大な火魔法を高度に連携させ、常人では捉えることすらできぬ攻撃を繰り返す。だが、その全てが、まるで子供の遊びのように、いなされていく。
(化け物が…! 全く、攻撃に手応えを感じん…! 打開策は…!)
焦りを隠せなくなったレジナルドは、大きく距離を取ると、その身に宿る全ての魔力を解放した。
ゴオオオオオッ!
彼の足元から、まるで火山が噴火するかのように、凄まじい熱量を持った魔力の奔流が天へと噴き出した。中庭の空気が歪み、空間そのものが悲鳴を上げる。噴き出した炎は、ただの炎ではない。それは、レジナルドという一人の人間の器に収まりきらなかった、純粋な破壊の意思そのものだった。
「見せてやろう…! これが、ボーモン家の力だ!」
その炎の奔流が、彼の背後でゆっくりと形を成していく。頭が生まれ、四肢が形作られ、鋭い牙が剥き出しになる。やがて、それは巨大な虎の形となり、無音の咆哮を上げた。そして、その炎は極限まで高度に濃縮され、その色を、赤から、黄金へ、そして、太陽そのもののような純白へと変えていった。その姿は、神々しいまでの白虎だった。
「火は、その温度によって色を変える。この純白の炎を出せる魔術師は、この国に私以外にはおらん。これぞ、『太陽の炎』と言われる所以よ!」
最大火力の魔法が、ルシアンへと放たれる。その熱波だけで、周囲の木々は自然発火し、地面はガラスのように溶け始めた。
(これが、太陽の炎…。確かに、凄まじい力だ)
だが、ルシアンは、その圧倒的な力を前に、ただ静かに、エリアナの炎を思い出していた。
(だけど、エリアナの炎のような、温かさはない。ただ熱いだけの、空っぽの火の玉だ)
白虎がルシアンに迫るにつれて、不可思議な現象が起きた。
あれほど巨大だった炎が、まるで、その存在を許されないかのように、星の理へと還っていく。その色も、白から黄色へ、黄色から赤へと、みるみるうちに輝きを失い、ルシアンの目の前で、フッ…と、まるで焚火の残り火のように、静かに消滅した。
ルシアンは、その熱風を受けて、前髪がわずかに揺れただけだった。
「……な…ぜ…?」
自らの最強の一撃が、赤子の手をひねるように消滅させられた。その光景を、レジナルドは全く理解できずに、ただ呆然と見つめていた。
その、一瞬の隙。
眼前に迫っていたルシアンの、渾身の一撃が、彼の鳩尾に叩き込まれた。
ズドンッ!!!
魔法障壁は紙のように吹き飛ばされ、拳が、レジナルドの体を貫通したかのような衝撃を生む。遅れて、その衝撃波が、天高く、夜空の雲を円形に吹き飛ばした。
レジナルドは、白目を剥き、完全に意識を失っていた。
その業火の中心である執務室で、レジナルドは静かに、しかしどこか満足げに、眼下で倒れ伏す騎士たちを見下ろしていた。
「…もうこの国での私の計画はお終いか。ユリウスには悪いが、私はヴァルカス帝国で、新たな計画を進めるとしよう」
「ぐ…っ」
瓦礫の下で、かろうじて意識を保っていたアランは、その言葉に絶望した。王国最強の火の魔術師が、国に仇なす存在となった。彼の離反は、敵国との軍事バランスを崩壊させ、このシルベリア王国に計り知れない危機をもたらすだろう。
(早く…早く、このことを、騎士団長や、陛下に伝えなければ…!)
しかし、彼の体はぴくりとも動かない。この場所に来たことが、間違いだったのかもしれない。アランの意識は、後悔と共に闇に沈みかけていた。
屋敷の正面玄関に、一台の豪華な馬車が到着した。中から現れたのは、レジナルドの嫡男であるユリウスと、その母である第一夫人エレオノーラだった。
「これは…一体…!」
目の前の惨状に、ユリウスは絶句する。エレオノーラは、我が家が燃え盛る光景に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「…嘘でしょう…? あなた…」
そこへ、屋敷の奥から、数人の影がよろめきながら現れた。顔は煤で真っ黒になり、高価なはずの制服は焼け焦げてボロボロになった、執事と召使いたちだった。彼らは激しく咳き込み、ある者は腕に火傷を負い、皆、恐怖に引きつった顔をしている。
先頭にいた執事が、ユリウスたちの姿を認めると、かろうじて声を振り絞った。
「ユリウス様! 奥方様! お、お逃げください! 騎士団の方々が旦那様を…! そ、その直後に、屋敷中が火の海に…!」
「父上!」
(何かの間違いだ…! 父上が、こんなことをするはずがない!)
ユリウスは、信じがたい現実に思考が追いつかないまま、自らも炎の魔力をその身に纏うと、燃え盛る屋敷の中へと、父の姿を求めて突入していった。
◇
その頃、王都の一角にある宿屋の一室。ルシアンは、蝋燭の灯りだけが揺れる薄暗い部屋で、静かに目を閉じていた。彼の意識は、その肉体を離れ、遥か彼方へと飛んでいる。
【鷹の目】。そのスキルは、彼の研ぎ澄まされた集中力と合わさることで、王都の夜景を、まるで手のひらの上の地図のように描き出していた。
やがて、彼の視界の先、壮麗な貴族街の一角で、巨大な魔力の奔流が爆発的に噴き出すのを捉えた。一瞬にして、ボーモン家の屋敷が業火に包まれる。
「…暴走したか」
ルシアンは、深く溜息をつくと、静かに目を開いた。
彼は、共にいたエリアナとレンに、簡潔に告げる。
「少し行ってくる」
「ルシアン!?」
エリアナが制止する。だが、彼の瞳に宿る、ただならぬ決意の色を見て、レンが彼女の肩をそっと押さえた。
「…急ぐのですね」
「ああ」
「分かりました。私たちと一緒では、あなたの速度を殺してしまいます。後から追いかけます」
レンの言葉に、エリアナもこくりと頷いた。
「心配はいらない」
その言葉を残し、ルシアンの姿は、まるで陽炎のように、その場から掻き消えた。
燃え盛るボーモン邸の執務室。アランをはじめとする騎士団員たちは、火傷と外傷で瀕死の状態だった。かろうじて展開した魔法障壁も、屋敷を飲み込む業火の前では、もはや時間の問題だった。
レジナルドは、そんな彼らにはもう気も介さず、一人、悦に入ったように思索に耽っていた。
(帝国としても、私のこの力は有用だろう。これまではただのビジネスだったが、これからはさらに深い関係…いや、帝国側で厚遇もあり得るか。そうなれば、このシルベリア王国も、そう長くはないやもしれんな。…触れてはいけないものもあるのだよ、アラン)
彼は、全てが自分の思い通りに進むかのように、静かに高笑いを漏らした。
その時、炎を切り裂いて、一人の若者が執務室に飛び込んできた。自らも炎の魔力で障壁を纏った、ユリウスだった。
「父上!」
レジナルドは、息子に気づくと、冷徹な声で告げた。
「ユリウスか。私の息子よ。お前をうまく次期当主に据え、私は裏から権力を維持しつつ、私欲を満たそうと思っていたが…もう無理だな」
父の威厳、その圧倒的な力、当主としての気高い振る舞い。ユリウスは、その全てを尊敬し、いつか自分も王国の貴族として、父のようになりたいと憧れていた。だが、今、目の前で自分を見る父の目は、まるで価値のなくなった道具を見るかのように、冷え切っていた。体の底から、冷たいものがせり上がってくる。自分の知っている父は、もういない。ユリウスは、それを悟ってしまった。
「なぜ…こんなことに…」
絞り出すようなユリウスの問いに、レジナルドは淡々と語る。
「時が来てしまった。ただ、それだけのことだ。元より、こうなることも想定はしていた」
父が、もはや王国の敵なのだと理解したユリウスは、絶望の中で、しかし、確かに一つの覚悟を決めた。
「…もう、ダメなのですね」
彼は、涙をこらえ、父に剣を向ける。
「私は、王国貴族としての父上を、尊敬していました。…ですが、今のあなたは違う」
その姿に、レジナルドは、ほんの少しだけ面白そうに、そして憐れむように笑った。
「ほう。お前は、純粋なのだな。あれ(エレオノーラ)の息子とは思えん。…お前をアステリアの視察に行かせていれば、こうもなっていなかったのかもな。いや、そうではないな。今のお前を見ればわかる。いずれ、私に剣を向ける運命だったのだな」
「うおおおおっ!」
ユリウスは、ボーモン家の血に恥じぬ、全力の炎の魔法を父に放つ。
しかし、レジナルドは、その炎を、まるで鬱陶しい羽虫でも払うかのように、片手でいなした。
「ユリウス、終わりにしよう。殺しはせん。ただ、もう会うこともないだろう」
レジナルドの手のひらの上に、これまでとは比べ物にならないほど、高密度に濃縮された、灼熱の炎が生み出される。
ユリウスは、その絶対的な力の前に、逃げることすらできなかった。
◇
ユリウスが覚悟した、その瞬間。
彼を飲み込むはずだった灼熱の炎は、その目の前で、まるで見えない壁に阻まれたかのように、静かに霧散した。
炎が消えたその場所に、いつの間にか、一人の銀髪の少年が立っていた。
ルシアンだった。
「お前は…ルシアンッ!」
どこからともなく、一瞬で現れたその姿に、レジナルドは驚愕と、そして全ての計画を狂わせた元凶への強烈な敵対心を剥き出しにする。彼の全身から放たれる炎の魔力が、さらにその勢いを増していった。
燃え盛る炎の中心で、ルシアンは静かにユリウスへと問いかけた。
「そこの騎士団の人たちを、助けてあげられますか?」
その、あまりにも場違いなほど穏やかな声と、真剣な眼差しに、ユリウスは圧倒される。しかし、彼はすぐに我に返ると、力強く頷いた。
「…! ああ、わかった。私が、責任を持って助ける」
ユリウスは、目の前の少年に、人ならざる何かを感じていた。そして、自らの無力さと、父への最後の情を振り払うように、静かに、しかしはっきりと告げた。
「父上を…倒してください」
その言葉を残し、彼は自らも炎を纏い、熱気に涙を巻き上げられながら、瀕死の騎士たちの救出を開始した。
◇
ルシアンは、レジナルドに向き直ると、静かに提案した。
「ここで戦えば、屋敷が崩れる。中庭で、決着をつけましょう」
「なぜ、貴様の提案に、この私が従う必要がある」
レジナルドが、そう言いかけた、その時だった。
「そうか」
ルシアンが、そう呟いたかと思うと、ヒュンッ! という空気を切り裂く音と共に、彼の姿がレジナルドの眼前から消えた。
次の瞬間、レジナルドの胴体に、凄まじい衝撃が叩き込まれる。ルシアンの、静かな掌底が。
レジナルドの体は、屋敷の壁を紙のように突き破り、外の中庭まで吹き飛ばされた。
彼は、咄嗟に展開した魔法障壁でダメージを最小限に留めたものの、そのあまりの速度に、回避することすらできなかったという事実に驚愕する。
(馬鹿な…! 魔法障壁を貫通はせずとも、この衝撃…! そして、目で追うことすらできぬ、あの速度…! だが、面白い。ボーモン家の当主たる私が、こんな得体の知れぬ小僧に遅れを取るわけにはいかん!)
「…やはり、化け物だったか」
瓦礫の中から立ち上がったレジナルドがそう呟くと、彼の目の前には、既に、音もなく佇むルシアンの姿があった。
◇
中庭に降り立ったレジナルドの全身から、王国最強と謳われた魔力が、陽炎となって噴き出した。
「面白い…! 我が全力をもって、その化けの皮を剥いでくれるわ!」
壮絶な戦いの火蓋が、切って落とされた。
「まずは小手調べだ、小僧!」
レジナルドが手をかざせば、灼熱の炎の槍が数十本と現れ、空気を灼きながらルシアンに殺到する。しかし、ルシアンは神速の身のこなしでその全てを躱し、時には地面から土壁を隆起させて攻撃を受け止め、時には蔦を操って槍を叩き落とす。
「…ほう。やるではないか」
「あなたの力は、その程度ですか?」
ルシアンの静かな挑発に、レジナルドの眉がピクリと動いた。
(これが、王国一の火の魔術師…! これまでに戦った誰とも、出力も、攻撃の質も、まるで違う…!)
ルシアンは驚きつつも、それ以上に、自分の中に揺るぎない余裕があることに、さらに驚いていた。
レジナルドもまた、戦慄していた。熟練の戦闘技術と、強大な火魔法を高度に連携させ、常人では捉えることすらできぬ攻撃を繰り返す。だが、その全てが、まるで子供の遊びのように、いなされていく。
(化け物が…! 全く、攻撃に手応えを感じん…! 打開策は…!)
焦りを隠せなくなったレジナルドは、大きく距離を取ると、その身に宿る全ての魔力を解放した。
ゴオオオオオッ!
彼の足元から、まるで火山が噴火するかのように、凄まじい熱量を持った魔力の奔流が天へと噴き出した。中庭の空気が歪み、空間そのものが悲鳴を上げる。噴き出した炎は、ただの炎ではない。それは、レジナルドという一人の人間の器に収まりきらなかった、純粋な破壊の意思そのものだった。
「見せてやろう…! これが、ボーモン家の力だ!」
その炎の奔流が、彼の背後でゆっくりと形を成していく。頭が生まれ、四肢が形作られ、鋭い牙が剥き出しになる。やがて、それは巨大な虎の形となり、無音の咆哮を上げた。そして、その炎は極限まで高度に濃縮され、その色を、赤から、黄金へ、そして、太陽そのもののような純白へと変えていった。その姿は、神々しいまでの白虎だった。
「火は、その温度によって色を変える。この純白の炎を出せる魔術師は、この国に私以外にはおらん。これぞ、『太陽の炎』と言われる所以よ!」
最大火力の魔法が、ルシアンへと放たれる。その熱波だけで、周囲の木々は自然発火し、地面はガラスのように溶け始めた。
(これが、太陽の炎…。確かに、凄まじい力だ)
だが、ルシアンは、その圧倒的な力を前に、ただ静かに、エリアナの炎を思い出していた。
(だけど、エリアナの炎のような、温かさはない。ただ熱いだけの、空っぽの火の玉だ)
白虎がルシアンに迫るにつれて、不可思議な現象が起きた。
あれほど巨大だった炎が、まるで、その存在を許されないかのように、星の理へと還っていく。その色も、白から黄色へ、黄色から赤へと、みるみるうちに輝きを失い、ルシアンの目の前で、フッ…と、まるで焚火の残り火のように、静かに消滅した。
ルシアンは、その熱風を受けて、前髪がわずかに揺れただけだった。
「……な…ぜ…?」
自らの最強の一撃が、赤子の手をひねるように消滅させられた。その光景を、レジナルドは全く理解できずに、ただ呆然と見つめていた。
その、一瞬の隙。
眼前に迫っていたルシアンの、渾身の一撃が、彼の鳩尾に叩き込まれた。
ズドンッ!!!
魔法障壁は紙のように吹き飛ばされ、拳が、レジナルドの体を貫通したかのような衝撃を生む。遅れて、その衝撃波が、天高く、夜空の雲を円形に吹き飛ばした。
レジナルドは、白目を剥き、完全に意識を失っていた。
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ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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