クロッカ・マーガレット・ハイランスの婚約破棄は初恋と共に

佐原香奈

文字の大きさ
114 / 130
婚約破棄

6

しおりを挟む
ベイリー•ハワードは、重い腰を上げフェリペ殿下の執務室へと向かった。
アルベルトの名前での面会要求であったが、こちらから行くと伝えて指定されたのが殿下の執務室なのだ。
これはただの現状報告では済まないだろうことは明らかだった。


「ベイリー、お前だけ入れ」

待ちくたびれたかのようにドアの前に立っていたのは護衛だけではなく、フェリペ本人だった。
秘書を帰らせ、挨拶をする間もなくドアを潜ると、誰もいない執務室があった。
その様子に思わず眉を曲げる。


「あぁ、悪い。今日は奥の部屋へ案内する」


不信感を読み取ったように、フェリペはベイリーを振り返った。


「奥、とは…?」


目の前に広がるのは、少しばかり広さのあるごく普通の執務室だ。
窓があり、壁のどこにもドアはない。


「これから目にすることを他者に漏らすことは許されない。いいね」


「は、はい…」


会話の最中にも部屋の奥へと進むフェリペの後ろで戸惑いながらも返事をしたのは、覚悟が出来ていたからではない。
それでも、長く王宮に勤め、王家が信用するに値すると信じているからこそ漏れた返事だった。

フェリペは最初から切れ目が入っていたのだろう毛並みのしっかりとした絨毯に手にかけ、さらになんの変哲もないと思った床板を簡単に取り外し、やっと現れた取手を持ち上げると、灯りが階段を照らす空間が見えた。

「先に行ってくれ」


本棚の下を抜けるように続く階段は、本来の使い方が出来る程高さのある空間にはない。
ベイリーは未知の空間を腹這いになって降りていった。


やっと階段を本来の形で降りられるようになったはいいが、狭い階段はいつまでも続いていた。
それでも誘われるように下へ下へ足が進んでいた。


途中、ドアが一枚あったが、決して開かなかった。
漸くフェリペが追いついてきて、足元を照らされると、壁につけられた灯りだけでは気付けなかった行き止まりの扉が見えた。

何度壁を折り返したか分からないが、その距離からここが地下であることだけは想像がついた。


「ベイリー、そのドアだ」


押し出すように目の前のドアをゆっくりと開けると、淡く照らされていただけの薄暗い空間からは眩しく感じる程の光が漏れた。


「あぁベイリー、すまなかったね」


まず声をかけてきたのはアルベルトだった。
目が慣れてくると、その奥には第一王子であるユーエラン殿下の姿が見えた。
この狭い空間に第一王子と第二王子、そして次期宰相に最も近いと言われているアルベルトが揃うと言うことが、これから明かされる内容に恐怖すら覚える。


「アルベルト、それからユーエラン殿下久方振りにございます」


「ベイリー、挨拶はいい。こちらへ座ってくれ」


「はい」


窓もなく殺風景な煉瓦で覆われただけの空間は少し異様にも思えた。
中央に置かれた大きなテーブルには大陸が描かれた紙が広げられていた。


「フェリペ、お前執務室に戻っていろ」

「やっぱりそうなるか…ここまで降りてきたのに酷い話だ」

「誰もいないことが分かれば困るのはお前だろう」

「はいはい。今は仕方ないね」


ドアの前に立っていたフェリペはすぐに薄暗がりの階段へと向かっていた。


「クロッカ・ハイランスは恐らく殺されていない」


ドアの外のフェリペの足音を聴きながら今最も知りたかった情報が齎されてベイリーは思わずユーエランを見上げた。


「それは本当ですか」

「憶測の域は出ない。しかし、カルビン補佐官の遺体が東のエナ村で見つかった」

「南ではなく東…」

アルベルトが指差すエナ村はとても小さく、名前を聞いたのは初めてだった。



「襲撃されたハフマン伯爵領からマリジェラに最短距離で抜けるには、王都より西側を行くしかない。そして南のカーソン山を超えるのが一番早いはずだ。それでもどんなに急いでも2週間はかかる。今回の犯行声明を届けるのに使われたのは鳥だ。それを考えてもこの道以外にこの短期間で移動できる方法はないだろう」


「目的のクロッカだけ連れて行かれたのでは?」

「もちろんそれも考えられる。しかし、2日前にクロッカをマリジェラに連れ帰ったとは到底思えない。カーソン山はこの1週間、濃霧や雨だ。まともに身動きが取れる状態だったとは考えられない」

「どこからそんな情報を…」


マリジェラから犯行声明の書かれた紙をくくりつけた鳥を放ったのは2日前だろうというのにも納得がいく。
問題はそこではなかった。
詳しい天気を調べるのに人を派遣したとしても到底戻って来られるはずもない。王都からでも1週間はかかる道のりだ。


「私の協力者は各地にいる。たとえばこのカーソン山の麓の村、それから中腹にある山小屋だ。必要な時は情報を得られる」


当たり前のように指差すアルベルトに頭痛すら覚えた。
彼は一体この国に何人の協力者を持っているのかと考えれば恐ろしくなる。


「カルビンは殺されたのか?」

「あぁ。背中を斬られていた」

「そうか…殺されたのはいつ頃だ?」

「3日前と推察される」


少なくとも追手は東に行っていた。
それも国境の近くの村で、王都から大きく離れているわけでもない地だ。


「助けられる命だった…」


「そうだ。しかも一つ疑惑が出てくる」


ユーエラン殿下がエナ村に置かれた手でトントンと音を立てる。


「このエナ村へ行くのに王都の外れを抜けたのではないか…とね」



王都の厳重な警備を抜けて東へ逃げる必要があったと言うならば、それはこの国にまだ大きな膿が残っているということだ。
崩れ落ちた保守派にまだ仲間がいたのか、いや、もっと中枢に力をかけられる人物でないとそれは不可能だ。


「殿下、まさか…」


この部屋へ連れてこられたのは、疑いをかけられたのかと頭を過ったが、すぐに別の考えが浮かんだ。
ここにいる者以外信用するなと言われているのだ。
しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリエット・スチール公爵令嬢18歳 ロミオ王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...