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みんなの傷
しおりを挟む朝起きると約束の時間をとうに過ぎていたから、ゆっくりとホットミルクを淹れてしまった。逆に、というやつだ。ううむ、間に合いそうなときは慌てるものの、遅刻が確定していると変に落ち着いてしまうこの不思議。
さてさて、ニーナを怒らせずに行くにはどうしたら良いだろう。
以前ジルのおじさんの店に来ていた放浪者の話で聞いた外の世界の遅刻理由を検討してみよう。よし。
「すまん!道が混んでいて!」
これはさすがに使えない、この村の道が混むはずがないからな。
「すまん!大荷物を持ったおじいちゃんが大変そうに…」
これは…うーん、どうだろうか。おじいちゃんは村にはゴウルさんしかいないからな。この時間はいつも森で座禅を組んでいるし。
ズズズ。ゴクゴク…。
「うん、言い訳を考えるのはやっぱり良くないな!ここは誠心誠意しっかりと謝るべきだ」
…怖いなあ。いざ、お叱りの場へ。
◇◇◇
「遅い!」
謝ろうとした瞬間に女の子とは思えないスピードで距離を詰めてきておしりを叩かれた。
「いっ!これでもダッシュで来たんだよ、叩くのが早いよニーナ!」
「一体何度遅刻すれば済むのよ!ジェドはまだ大人じゃないんだから時間ぐらい守りなさいよ」
「…ぐう」
「ぐうの音ギリ出てるじゃない!こういう時はぐうの音も出ないのよ!」
「さすが、欲しい突っ込みをくれるぜ…」
「もう、今日はイリスを私達が盛大にお祝いしてあげるんだから」
「僕達ぐらいにしか祝ってもらえなさそうだもんな兄貴」
「それでいいの、皆には期待もしてないわよ」
「相変わらずの大人嫌いなこった」
「あら、別に嫌いじゃないわよ。期待しなくなっただけ」
「ん…まぁ、そこに関しては、俺も変わらないな」
大人に期待しなくなった。ニーナの大人に対する接し方、思いの向け方とでも言うのか。それは僕や兄貴以上に強い気がする。
そしてニーナは必ず…ほら。大人の話をした後は髪を掻きあげる。
それを僕は、聞いたことはないけれど、彼女を保つ強がりの表れなんだという事に、薄々気付いている。
「よし、じゃあ僕も来た事だし、行きますかね」
「私のセリフよ!」
ぽか、と今度は軽く俺の肩を小突く。
言葉こそ強いものの、ニーナが少しだけ微笑むのが僕には嬉しかった。
◇◇◇
村を抜けて森に入る。木々は両手を広げているかの様に空を覆い隠していて、相変わらず光が届かない。風が葉を擦り鳴らす音が、くらい世界の中でうめき声の様に聞こえて僕とニーナは兄貴にひっつきながら森の中心へと向かっていたのを思い出す。
森の真ん中には開けた空間があり、さらに真ん中には一本とても大きな大木がある。僕らが生まれる何百年も前からあるんだよ、と教えられた大木。この村が出来るよりもずっと前からこの土地にいる守り神。神様を信じているか、と言われるとわからないけれど、一年に一度この神樹に家族でお祈りに行く事は、なんとなく大事な事なんだと子供ながらに感じていた。
そんな神樹の広場で僕ら三人は毎日遊んでいた。唯一森の中に光が差し込む神樹の広場。その明りが白から赤色に変わる時に、僕らにとっての一日のすべてはおしまいになった。
「懐かしいね~、相変わらずおっきい!」
「そうだな、変わらない」
「きっと変わっているんだろうけどね、この森も。私達には気が付かないぐらいはやく、ゆっくりと」
「毎日のように来てたよね…ほら、あそこ見て!」
「ん?」
「あの傷!」
「あ!」
子犬に駆け寄るようにるんるんと向かっていくニーナの背中を急いで追いかける。
「見てほら、みんなで背比べして付けた傷ね」
「ほんとだ、まだちゃんと残ってる」
「これがイリスで、これが私、これがジェド。みてこれ、初めてここを見つけた日のやつよ、みんなちっちゃい」
しゃがみ混みながらふふふ、と笑って傷を撫でているニーナ。たまに無邪気になるニーナをみるとなんだか心臓のあたりがキュッとする。
「ん、なに突っ立ってるのよ。ははーん、まだ私の背丈を越せてないのを気にしてるな?」
「んや、そんなんじゃないよ!ってかそんな事は気にしてない、俺はまだまだ伸びる予定なんだ。今日だって牛乳をたっぷり飲んできたからな」
「ほ~う?たっぷりと」
「ああ、たっぷりとだ」
「たっぷりする時間はどこにあったのかしら?」
「な、しまった、はめられた!」
「あんたが勝手にはまったのよ」
ぐぬぬ。同い年のくせにどこかニーナに毎日転がされている気がする。
「ニーナには敵わないや…。それよりさ、またここに今の傷つけとかない?俺がこれからニーナを越していく記録をちゃんと残しておきたい」
「あら、良いこと言うじゃない。越すかどうかは置いといて名案ね!」
「ふふふ、だろう。良いことばかり思いついてしまうのが僕だよ」
「このお調子者。でもなら、それは今晩にしましょう。イリスと三人で、ね」
「ああ、それは良いな、さらに上をいかれた」
「ていうかなんで思いつかないのよそんなこと。あんたってお兄ちゃんの事になるとなんというか、関心が薄い?気がたまにするのよね」
「そうか?兄弟ってこういうもんなんじゃないか?」
「そういうものなのかしら。私には兄弟いないし、あなた達二人しか知らないからね」
「そういうもんだよ」
そういうもんだよ。と言ったものの、なんとなく、ざわりとする。
兄貴との距離感。それは、いつからか変わってしまった気がする。大好きな兄である事は変わりない。尊敬する兄。兄が困っていたら、どんな場合であろうとも僕は助けになるだろう。けれどなんだか、一枚の、不透明の壁が、いつからか間に挟まっていた。
僕にだけ立つ壁なんだろうか。兄の方からもその壁は見えるのだろうか。
考えるとそれがはっきりとしてしまいそうで、考えるのをまた、やめた。
「あ~あ、また三人でただただここで遊んでいる毎日に戻りたいよ」
考えている間にニーナは地べたに寝ころんでいて、空から差し込む日に手を伸ばしていた。つられて僕も隣りに寝ころび、真似をする。
「ニーナはさ、村から出たいっていつから思い始めた?」
「私は……そうね」
ニーナは上を見上げたまま手を下す。
「村のみんながこうなってからかな」
「うん…もう十年ぐらいになるかね」
「私はさ、仕方がないとも思った事があったんだ。あの川の氾濫でたくさんの人達が死んじゃって、なにも出来なくなる気持ちは痛いほどわかる」
「……俺とニーナの両親も」
「うん。私もイリスもジェドも、皆同じ傷が残ってる。度々思い出すよ、お互いの家で遊んだ事。ジェドのお母さんが作ってくれたシチューを皆で食べたことも、お父さんと大きいテーブルを作ったことも、みんな大切な事だもん」
「俺はニーナのお父さんに皆に内緒で馬に載せて貰えたのがうれしかったな。汚れて帰ると着替えを持ってきてくれたのはいつもニーナのお母さんだった」
「うん。みんな思い出を持ってる。持ったまま、時々思い出して辛くなりながら、でも一生懸命前を向こうと頑張ってた。頑張ってたのに…」
視界の端に見えるニーナの手が、草を強く握りしめているのが、僕には見えた。
「ニーナ…」
「ん、ごめんね。やっぱり私はでも、怒っているわけじゃないの。ただ、周りの大人達皆の今の明るさは、辛さを隠しているんじゃない。前向きになったんじゃない。まるで全部無かったことみたいに平気で笑って暮らすようになったのが、私には不気味で、ちょっとだけ怖い」
全部無かったことみたいに。
ニーナの顔の陰りとその言葉に、僕は十年前の悲惨なあの日を思い出す。
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