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1 五歳年下の上司
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翌日。
俺はコーヒーを淹れる彼女の背中に言った。昨日とは違い、今日はまた髪を束ねている。
彼女はチラッと振り返り、笑った。
「良かったです」
俺は自分のカップを彼女の手元に置いた。
「俺にももらえますか」
「はい」
彼女の手元には、既に三つのカップが並んでいた。それぞれに、ゆっくりと黒い液体を注いでいく。
「コ〇ン、面白かったですか?」
「はい。亮にはちょっと難しかったみたいですけど」
「そういえば、お兄ちゃんは何て名前なんですか?」
「真です」と言って、彼女は八分目までコーヒーが入った俺のカップを差し出した。
俺は礼を言って受け取り、その場で一口飲む。
「しっかりした子ですね」
「ありがとうございます」
自慢の息子たちなんだな、と思った。
その週は課に留まらず部全体が忙しかった。
大口の契約に大幅な変更が加えられたことと、新規の契約が取れたこと、納期を直前に不備が見つかったことが重なった。
俺は新規契約の打ち合わせでほとんど社を出ていた。だから、金曜に社に戻って、その惨状に驚いた。
「なんか……殺気立ってるな」
空気が淀んでいた。
みんな疲れ切った顔でデスクに向かっている。
「見積書を作ったの、誰だよ!」
二課の溝口課長の怒鳴り声がフロアに響く。
「私……です」
女性社員が怯えた様子で課長のデスクの前に立った。
「足し算と掛け算も出来ないのか!」と、課長が見積書の束をデスクに叩きつける。
「やる気がねぇなら、やめちまえ!!」
フロアがシンッと静まり返る。
「すいませ――」
「どうやった全部間違えるんだよ!」
女性社員が肩を震わせ、俯く。
泣くな、と思った。
泣かせたら余計に効率が下がるだろうに……。
案の定、泣き出した。そして、課長の機嫌が更に悪くなる。
「泣いて見積もりの数字が変わるのか!」
溝口課長は俺より三才年上で、ヤリ手だがかなり強引で部下に厳しい。俺も一年ほど彼の部下をしていたが、何度も辞めたいと思った。
一課まで空気が悪くなるから、やめてくれよ。
実際、フロア全体の意識が溝口課長に集中し、手が止まっている。
堀藤さんも、キーボードを叩く手が止まっていた。
俺は同行した風間から議事録を受け取ると、ざっと目を通して堀藤さんのデスクに近づいた。
「忙しいですか?」
声を掛けた瞬間、彼女の肩がビクッと強張ったのがわかった。首を九十度回して俺を見た彼女の顔は青ざめていた。
「堀藤さん?」
「は……い」
様子がおかしい。
彼女はいつも、話す相手の顔を見る。なのに、今は全く視線が交わらない。
怯えるように肩を竦め、デスクの上で両手をしっかりと組んで、爪が白くなるほど力が入っている。
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