最後の男

深冬 芽以

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5 恋愛ごっこ

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「信じるもなにも――」

「年下の上司が年上の部下にこんな提案をしてる時点で、かなり痛いんだけど」



 確かに……。



「それに、俺だってかなり不安なんだぞ。キスしてみて、やっぱり無理とか言われたら、俺もさすがに立ち直れないからな」

「お互いにハイリスクなら、やめておいた方が――」

 言いかけた言葉は、あっけなく課長の唇に跳ね返された。

 強引に首を引き寄せられたら、抵抗できるはずもない。

 それどころか、久し振りの、本当に久し振りの感触に、抵抗しようという考え自体が溶かされてしまった。



 男の人の唇って、こんなに柔らかかったっけ――。



 そう思った次の瞬間、生温かいザラリとした湿った感触に替わり、私は反射的に課長を突き飛ばした。

 私の腕がテーブルにぶつかって、カップがぐらりと傾き、コーヒーが数滴こぼれた。

「嫌だった?」

「え?」

 課長はパッと背を向け、自分のコーヒーを手に取った。

「やっぱ、無理そう?」

 声が、震えたような気がした。

 無理だなんて、思わなかった。

 無理だと思わなかったことに、驚いた。



 欲求不満なんだろうか……。



 確かに、長らくご無沙汰。

「生理的に無理ってなら――」

「無理ではっ――ないです……けど……」

「けど?」

「カレーを……食べた後だし……」

 言っていて、恥ずかしくなる。

 顔を上げられず、カップを握りしめ、中の黒い液体をじっと見つめていた。熱いのは掌のはずなのに、顔が火照っているのがわかる。

「ふ……。――はははっ!」

 課長の笑い声に、思わず顔を上げてしまった。

「なんで笑うんですか!」

「いや……。確かにカレーの後のキスは嫌だよな」

 馬鹿にされたように思えて、ムッとした。

「そうですよ! カレーの後のキスは、無理! です」

「無理、言うな」

 課長が、嬉しそうに見えた。



 こんなおばさんのどこがいいんだか……。



 真を産んだ時はまだ二十代で、子供がいても自分を『おばさん』だなんて思わなかった。けれど、亮が生まれて、真が幼稚園に通うようになり、真のお友達に自分のことを『おばちゃん』と言うようになって、すっかり気持ちまで『おばちゃん』になってしまった。

「ま、でも、これで、俺たちが付き合っていくのが無理じゃないってわかったな?」

 なんとなく。

 本当になんとなく、流されてみてもいいんじゃないかと思った。



 キス、嫌じゃなかったし……。



「とりあえず、通いの家政婦は引き受けます」

「……とりあえず、今はそれでいいよ。恋人になれるかは追々ってことで」

 課長は一口コーヒーを飲むと、立ち上がった。寝室に行き、一分ほどで戻ってきた。

「じゃ、これ」と言って、テーブルに封筒と鍵を置いた。
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