最後の男

深冬 芽以

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5 恋愛ごっこ

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 智也の家は、いつ来ても片付いている。

 正確には、散らかるほど家にいない。

 三日前に私が干した洗濯物は掛ったままで、畳んでおいたソファの上の洗濯ものが三日分、減っている。シンクには私が作り置きしておいたタッパが水没している。
 本来、男の一人暮らしなんてこんなのもなんだろう。

 私は洗濯機を回し、カラカラになった洗濯物を下ろし、畳んだ。

 タッパを洗い、すき焼きの材料を切る。

 すき焼き用の鍋がなかったので、フライパンで作ることにした。

 二十一時二十分。

 初めて私から電話をかけた。

 五回呼び出して出なければきるつもりだったが、三回目で呼び出し音は止まった。

『はい』

「あ、お疲れさまです」

 ついつい敬語になってしまう。

『どうした?』

 智也の声の向こうで、キーボードを叩く音がする。

 平野さんはまだいるのだろうか。

『……彩?』

 名前を呼ばれて、彼が一人なのだとわかった。

「まだ、遅くなりそうですか?」

『……もしかして、来てる?』

「はい……」

『まだ、いられるか?』

「はい」

『すぐ帰る』

「……はい」

 やっぱり一分にも満たない会話。

 なのに、なぜかとても緊張したし、心が弾んだ。

 私はフライパンに肉や野菜を並べ、火にかけた。

 こんな風に元夫あの人を待っていた頃もあった。

 どんなに遅くても、起きて待っていた。

 温かいご飯を用意してあげたかった。

 けれど、妊娠してそうすることが辛くなり、ベッドの中で彼が少し乱暴に電子レンジの扉を開け閉めする音を聞くようになった。

 子供が生まれてからはそれが当たり前になった。

 そんなことを考えていると、玄関の鍵が回る金属音がした。

 私は火加減を弱に下げて、玄関に出た。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 二人の声が重なった。

『恋人』というより『夫婦』みたいだな、と思った。

「お疲れさまです」

「ああ……」

 智也が素っ気なく呟いた。

「ごめんなさい」と、私は条件反射で謝ってしまった。

「え?」

「来るなって言われてたのに……」

 食事だけ作って帰れば良かった、と思った。

「来るな、なんて言ってないだろう」

「けど……」

「せっかく作ってもらっても、無駄になるかもしれないと思っただけだ」

「はぁ……」

 気を遣わせてしまったことに、少し自己嫌悪する。

「腹減ってたから、助かった」

「すぐに食べられますから、着替えてきてください」

 自分の成長のなさに、情けなくなる。

 相手の顔色を見て、勝手に思い込んで早々に謝ってしまう癖。

 長年沁みついた癖は、一年や二年で治せない。

「あん――彩は食べたのか?」

「いえ……」

「もしかして、待ってた?」と言いながら、智也が冷蔵庫から缶ビールを二本出す。

 一本を差し出され、受け取った。

「そういう……わけでは……」

「違うんだ」

「……」

『待っていた』と言うのが、恥ずかしく思えた。

 食事はいらないと言われていたのに押しかけて、その上帰りを待っていたなんて、重いんじゃないだろうか。

「……ま、いいや。食おーぜ」

 智也に釣られて、缶を開けた。

 私は普段、ビールを飲まない。

 お酒自体強くないし、ビールは美味しいと思わない。

 けれど、何となく一口飲んだ。

 美味しいそうに喉を鳴らす智也を見たら、ほんの少し美味しく感じた。
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