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6 二人の距離
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しおりを挟む「降りろ」
「課長、どうして――」
「見られたくないんだろう?」
「それは――」
「いい年して、ラブホテルで言い争ってたら、恥ずかしいぞ」
『恥ずかしい女だな』
忘れたい声が、言葉が、脳内で響く。
怖い。
有無を言わさぬ口調。
見下すような視線。
智也は元夫とは違うのに、逆らえない。
私はシートベルトを外し、車から降りた。黙って智也の後に続く。
エレベーターでフロントに上がり、タッチパネルで部屋を選ぶ。再びエレベーターで選んだ部屋に上がる。
その間中、私は俯いていた。
智也がどんな部屋を選んだのかも、何階の部屋を選んだのかも、わからない。
ただ、黙ってついて行くだけ。
二年前までの地獄の再現のよう。
「ごめんなさい……」
部屋に入るなり、思わず口をついた。
条件反射。
『謝るしか出来ないとか、馬鹿なのか?』
それでも、私には謝るしか出来ない。
「ごめんなさい…………」
「なにが?」
「口答えを……して……」
「彩、顔を上げろ」
そう言われて、私はゆっくりと顔を上げた。目の前の窓の向こうには、一面の海。
波が打ちつけられる音が聞こえる。
「ラブホにしてはすげーな」
智也は私の手を引いて部屋を進み、窓辺に立った。
怒って……ない……?
「俺が怖いか?」
「え……?」
「怖いか?」
私を見る智也は、記憶の中の私を蔑む元夫とは全然違った。
どちらかと言えば、叱られた後の子供たちが、不安そうに私を見る表情に似ていた。
母親に嫌われたんじゃないかと、怯える顔。
どうして、元夫と重ねてしまったのか――。
「怖くない」
「……本当に?」
智也の手が、私の頬に触れる。
私はその手に頬ずりした。
「本当に」
とても自然に腰を抱き寄せられ、頬を持ち上げられ、唇が重なる。
私の反応を探るような、優しくて、もどかしいほど軽いキス。
元夫に、こんなに優しく触れられたことなんかない――。
頭だけじゃなく、身体がそれを認識すると、自然とキスを受け入れ、応えていた。
智也の下唇を軽く咥える。
はにかんだ智也を、可愛いと思った。
「彩、『恋人ごっこ』しよう――」
冷静に考えれば、こんなふざけた口説き文句はない。
智也は、今までの女とは毛並みの違う私に興味があるだけ。
結婚を意識して、それがどんなものかを知りたいだけ。
わかっていて、それでも、いいと思った。
たった一度で『ごっこ』を解消されても、いいと思った。
少なくとも、元夫が最後の男ではなくなる――。
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