最後の男

深冬 芽以

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『ごめんなさい、突然お邪魔して』と、彩は穏やかな口調で言った。

『体調はどう?』

『別に……普通です』と、京本は不機嫌そうに言った。

『これ、良かったらどうぞ』

 スーパーの袋が擦れる音がする。

『悪阻、ツラい?』

『……』

『人それぞれだろうけど、私は果物が食べたくて仕方がなかったの。特に、イチゴ。糖分の取り過ぎだって、健診の度に叱られたけどやめられなくて』

『ありがとう……ございます』

 俺と千堂は、京本のアパート近くの駐車場で、会話を聞いていた。もちろん、録音もしている。

 京本を会社に呼べばいい、と言った俺に、そんなんじゃ警戒しまくりで話してくれない、と彩は言った。

 京本より先に近藤と豊沢の話を聞いた方がいいのでは、と言った千堂に、二人はきっと何も話さないだろう、と彩は言った。

『溝口課長に言われてきたんですか』

『ううん』

『嘘!』と、京本の感情的な甲高い声。

『こんなこと、嘘をついてどうするの? あ、カフェインレスのコーヒーと麦茶、どっちがいい?』と、彩にしては素っ気ない声。

 いや、俺は知っている。

 胸と腹を間違えた後の彩は、今より抑揚のない声だった。感情的じゃない分、怖かった。

『……コーヒー……を』

『良かった。コーヒーが飲めるなら、体調は悪くなさそうね』

 ごそごそと紙袋からコーヒーを出す音。アパートここに来る前、すぐ近くのカフェで買ったもの。俺と千堂のコーヒーも買ってくれた。路駐で降りられない千堂を置き去りにして俺が彩とカフェに入ると、背中に殺気を感じた。

『何も、話しませんよ』

『別に、いいよ? 体調が気になったから来てみただけだし』

 今日の彩は、いつもの彩らしからぬ話し方。千堂も同じことを思っているようで、食い入るように聞いている。

 車中、どうやって話を聞きだすつもりかと聞いたが、彩は教えてはくれなかった。ただ、覚悟して聞いていて、とだけ。

『笑いに来た、の間違いでしょ』

『そう思ってくれてもいいけど』

『なら、もういいでしょ! 帰って!』

『そ? じゃ、お邪魔しました』

「はっ!?」

 俺と千堂が、同時に言った。ついでに顔を見合わせる。

 こちらの声が、向こうには聞こえないようになっていて良かった。

 微かに、彩の足音が聞こえる。



 本当に帰るつもりか?




『あ、大事なことを忘れてた』

 少しわざとらしい、声。

『産むつもり?』

『は?』

『その子』

『関係ないでしょ』

 声だけでも、京本の生意気さに腹が立つ。もし、京本が俺の目の前にいたら『何だ、その言い方は!』と怒鳴ってしまうだろう。

『ま、ね。産むつもりなら、葉酸を飲んだ方がいいよ。その袋に入ってるから』

『もう……飲んでるし』

『そ。じゃ、産むんだ』

『産むわよ! 悪い!?』

 産むのか、と思った。千堂も、思っただろう。少し、驚いた顔をしている。

 会社としては、産まないでほしい。

 もちろん、相手の男も社長である父親もそう思っているだろう。

 だから、『女の処分』を急ぐ。

 正確には、『子供の処分』を。
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