43 / 89
6.ひとりになりたい
2
「その噂を流した母親は、なんでそんなことを言い出したんだ? 全くのデマなら、笑い事じゃないんじゃないか?」
晩ご飯を食べながら聞いていた和輝が言った。
「あれ? でも、そもそも喧嘩してたっていうのは? お祖母ちゃんの怪我とは関係ないんでしょ?」
「うん。嵐ん家の親、結構よく喧嘩してるらしいよ。お父さんが束縛系なんだって」
「……」
どちらからともなく、私と夫が顔を見合わせる。
私たちには縁がなさすぎる言葉。
「嵐のお母さん美人だから、心配なんじゃない? 浮気とか」
「……そうなんだ」
うちの息子は、浮気がどんな意味を持つのか知っているのだろうか。
聞きたいようで聞きたくない。
それは夫も同じだったようで、それ以上は何も言わなかった。
兄の話を伝えると、和葉は涙目で笑った。
安心したらお腹が空いたと、残したご飯を食べた。
あとは、何事もなく愛華ちゃんが帰って来てくれたら、いい。
「色んな家庭があるんだな」
お風呂の前にパジャマを取りに寝室に行くと、先にお風呂を終えてベッドに横になっている和輝が、タブレット片手に言った。
「そうね」
「俺たち、喧嘩らしい喧嘩、したことないな」
「え?」
「結婚前も、結婚してからも」
パジャマを抱き締めて夫を見ると、彼はタブレットを膝に置いて、私を見ていた。
真剣な表情で。
「お母さんが我慢してるんだよな」
「そんなこと――」
「――本当は色々、言いたいことあるんじゃない?」
ドクンと心臓が鈍い音を立てて揺れる。
そんなこと、初めて聞かれた。
「どうしたの、急に」
「この前からなんか……おかしいだろ、お母さん」
「なにが?」
「なんか――」
なにを言われるのだろうと、身構えてしまう。
あのカフェから見ていたことを、気持ち悪いと言われるのか。
元カノのことを知っても平然としていることを、疑われるのか。
いずれにしても、私は夫に対して何もしていない。
責められる言われはない。
「――ずっと泣きそうにしてる」
……え?
「俺、全然気が利かないし、お母さんの考えてることとかわかんないけど、さすがに……なんか考えて辛そうにしてるのは、わかるぞ」
昔から、そうだ。
和輝は、口数が少なくて、優柔不断で、気が利かないけど、大事なことはちゃんと話してくれたし、私が悩んでいる時は導いてくれた。
彼のそういうところが好きで、頼もしかった。
最近、昔のことばかり思い出すのはなんで……。
「お風呂、入ってくる」
目を伏せ、私は寝室を出た。
話の途中で逃げ出すなんて、絶対変だと思われたし、夫の言葉を認めるようなものだ。
それでも、あのまま彼の顔を見ていたら、本当に泣いてしまいそうだった。
あの腕時計を見てからだ。
あの腕時計をしている彼女を見てからだ。
ずっと忘れていた後悔が、身体中に溢れ出した。
夫が今もあの時計を持っている事実が、私を過去に連れ戻した。
彼女が今もあの時計を身につけている事実が、忘れたフリをしていた嫉妬や惨めさを思い出させた。
私は湯船の中で膝を抱え、声を殺して泣いた。
どうしたらこの苦しさが解消されるのかわからない。
和輝が元カノと会わなくなればいい?
和輝があの時計を捨てたら満足?
そうじゃない。
私の問題だ。
いつも、そう。
すべては、私が弱いからだ。
晩ご飯を食べながら聞いていた和輝が言った。
「あれ? でも、そもそも喧嘩してたっていうのは? お祖母ちゃんの怪我とは関係ないんでしょ?」
「うん。嵐ん家の親、結構よく喧嘩してるらしいよ。お父さんが束縛系なんだって」
「……」
どちらからともなく、私と夫が顔を見合わせる。
私たちには縁がなさすぎる言葉。
「嵐のお母さん美人だから、心配なんじゃない? 浮気とか」
「……そうなんだ」
うちの息子は、浮気がどんな意味を持つのか知っているのだろうか。
聞きたいようで聞きたくない。
それは夫も同じだったようで、それ以上は何も言わなかった。
兄の話を伝えると、和葉は涙目で笑った。
安心したらお腹が空いたと、残したご飯を食べた。
あとは、何事もなく愛華ちゃんが帰って来てくれたら、いい。
「色んな家庭があるんだな」
お風呂の前にパジャマを取りに寝室に行くと、先にお風呂を終えてベッドに横になっている和輝が、タブレット片手に言った。
「そうね」
「俺たち、喧嘩らしい喧嘩、したことないな」
「え?」
「結婚前も、結婚してからも」
パジャマを抱き締めて夫を見ると、彼はタブレットを膝に置いて、私を見ていた。
真剣な表情で。
「お母さんが我慢してるんだよな」
「そんなこと――」
「――本当は色々、言いたいことあるんじゃない?」
ドクンと心臓が鈍い音を立てて揺れる。
そんなこと、初めて聞かれた。
「どうしたの、急に」
「この前からなんか……おかしいだろ、お母さん」
「なにが?」
「なんか――」
なにを言われるのだろうと、身構えてしまう。
あのカフェから見ていたことを、気持ち悪いと言われるのか。
元カノのことを知っても平然としていることを、疑われるのか。
いずれにしても、私は夫に対して何もしていない。
責められる言われはない。
「――ずっと泣きそうにしてる」
……え?
「俺、全然気が利かないし、お母さんの考えてることとかわかんないけど、さすがに……なんか考えて辛そうにしてるのは、わかるぞ」
昔から、そうだ。
和輝は、口数が少なくて、優柔不断で、気が利かないけど、大事なことはちゃんと話してくれたし、私が悩んでいる時は導いてくれた。
彼のそういうところが好きで、頼もしかった。
最近、昔のことばかり思い出すのはなんで……。
「お風呂、入ってくる」
目を伏せ、私は寝室を出た。
話の途中で逃げ出すなんて、絶対変だと思われたし、夫の言葉を認めるようなものだ。
それでも、あのまま彼の顔を見ていたら、本当に泣いてしまいそうだった。
あの腕時計を見てからだ。
あの腕時計をしている彼女を見てからだ。
ずっと忘れていた後悔が、身体中に溢れ出した。
夫が今もあの時計を持っている事実が、私を過去に連れ戻した。
彼女が今もあの時計を身につけている事実が、忘れたフリをしていた嫉妬や惨めさを思い出させた。
私は湯船の中で膝を抱え、声を殺して泣いた。
どうしたらこの苦しさが解消されるのかわからない。
和輝が元カノと会わなくなればいい?
和輝があの時計を捨てたら満足?
そうじゃない。
私の問題だ。
いつも、そう。
すべては、私が弱いからだ。
あなたにおすすめの小説
秘められた薫り
La Mistral
恋愛
エブリスタにて、トレンド#恋愛で最高位
55位を獲得した作品です。
「愛しているよ」という夫の言葉が、今の美咲には虚しい空気にしか聞こえない。
欠けていたのは、理性を焼き尽くすような衝動。
クライアントの慎吾と交わす視線。ビジネスという仮面の下で共有される、剥き出しの欲望。
指先が触れる。名前を呼ばれる。ただそれだけで、美咲の積み上げてきた「良き妻」としての世界は音を立てて崩れ去る。
完璧なアリバイ、塗り固めた嘘。
夫の隣で微笑みながら、心は別の男の指先を求めている。
一度知ってしまった濃厚な「薫り」は、もう彼女を元の場所へは戻してくれない。
守るべき家庭と、抗えない本能。
二つの世界の境界線で、美咲が選ぶ「最後の一線」とは――。
欲望の熱に浮かされた女の、美しくも残酷な堕落の記録。
偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜
紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。
しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。
私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。
近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。
泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。
私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
【完結】曖昧な距離で愛している
山田森湖
恋愛
結婚4年目のアラサー夫婦、拓海と美咲。仲は悪くないが、ときめきは薄れ、日常は「作業」になっていた。夫には可愛い後輩が現れ、妻は昔の恋人と再会する。揺れる心、すれ違う想い。「恋人に戻りたい」――そう願った二人が辿り着いた答えは、意外なものだった。曖昧で、程よい距離。それが、私たちの愛の形。
私と彼の恋愛攻防戦
真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。
「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。
でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。
だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。
彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。
隣の夫婦 ~離婚する、離婚しない、身近な夫婦の話
むらさきさゆり
恋愛
オムニバス形式です。
理解し合って結婚したはずの梓、同級生との再会が思わぬことになる雅美、年下の夫のかつての妻に引け目を感じる千晴、昔の恋の後悔から前向きになれない志織。
大人の女性のストーリーです。
愛のかたち
凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。
ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は……
情けない男の不器用な愛。