73 / 89
番外編*十五年目の煩悩
1
世の中の子供を持つ夫婦は、いつ、どんな風にセックスしているのだろう……?
まさか自分が、四十も過ぎてこんな悩みを持つとは思ってもいなかった。
*****
「課長って怒鳴ることあります?」
四月、歓迎会の席で部下の近澤に聞かれた。
「ないことも、ない」
「どんな時ですか?」
「なんでそんなこと聞くんだよ」
「いや、なんか、想像できないっつーか……」
「そうか?」
「じゃあ、怒鳴られることってあります?」
「……思い出せるほど最近は、ないな」
「奥さんにも?」
「ない」
「マジかぁ……」
信じられないと言わんばかりに深いため息をつき、近澤がビールジョッキに口をつけ、高く持ち上げる。
俺は目の前にあったイカの一夜干しにマヨネーズをつけて口に運ぶ。
「じゃあじゃあ! 喧嘩はします?」
近澤は、なぜか楽しそうだ。
「お前の言う喧嘩の定義は?」
「はい?」
「いや、ちょっとした言い合いも喧嘩か?」
「あーーー……。ぶつぶつ言い合うのはノーカンで」
俺が入社四、五年目の頃は、上司にこんなにフランクに話したりできなかったものだが、最近の若者は勇気がある。
部下と昔の自分を比較してしまうとは、俺も年を取るはずだ。
「ないな」と、俺は言った。
「はい?」と、近澤が聞き返す。
周囲がうるさくて聞こえなかったのかと思い、もう一度言う。
「お前が言うような喧嘩を、妻とした覚えがない」
「マジでぇ!?」
「……マジで」
そんなに驚くことだろうか。
余程驚いたらしく、近澤が周囲の部下たちに広めていく。
そして、聞いた奴らはこぞって「嘘だぁ」と言う。
そんなに驚くことだろうか。
「え、それってヤバいんじゃなくて?」と、とある女性社員が言ったのが聞こえた。
敢えて、誰が言ったのかは確かめない。
俺はタコザンギを頬張る。
「喧嘩もしてもらえないって、見放されてるってことだよ」
「バカッ! 永吉課長のことだぞ」
「えっ? それを早く言ってよ!」
俺は聞こえない振りを決め込み、ビールを飲む。
そんなに驚くことだろうか。
「永吉の奥さんは、穏やかな人だしねぇ」と、落ち着いた低音に、一同が声の主に目を向けた。
部長だ。
「永吉もそうそう感情的になるタイプじゃないし、お前らが思う喧嘩にならなくても不思議はないぞ?」
部長は、結婚式に出席しているし、その後も柚葉と何度か顔を合わせている。
「冷静に話し合うのは喧嘩じゃないってことだ。な? 永吉」
「はい」
「お前らも少し見習え」
「はぁい……」
確かに、俺と柚葉はそう感情的に声を荒げたりしない。
我慢しているのだろうか……?
少なくとも、見放されてはいない。
それは、自信を持って言える。
あなたにおすすめの小説
秘められた薫り
La Mistral
恋愛
エブリスタにて、トレンド#恋愛で最高位
55位を獲得した作品です。
「愛しているよ」という夫の言葉が、今の美咲には虚しい空気にしか聞こえない。
欠けていたのは、理性を焼き尽くすような衝動。
クライアントの慎吾と交わす視線。ビジネスという仮面の下で共有される、剥き出しの欲望。
指先が触れる。名前を呼ばれる。ただそれだけで、美咲の積み上げてきた「良き妻」としての世界は音を立てて崩れ去る。
完璧なアリバイ、塗り固めた嘘。
夫の隣で微笑みながら、心は別の男の指先を求めている。
一度知ってしまった濃厚な「薫り」は、もう彼女を元の場所へは戻してくれない。
守るべき家庭と、抗えない本能。
二つの世界の境界線で、美咲が選ぶ「最後の一線」とは――。
欲望の熱に浮かされた女の、美しくも残酷な堕落の記録。
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
愛のかたち
凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。
ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は……
情けない男の不器用な愛。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。