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第一章 誘惑
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しおりを挟む「お前、マジで天然なの?」
「はい? さっきから――」
唐突に掴まれた腕をグイッと引き寄せられた。目の前には部長の顔。
抵抗する間もなく、部長の唇が私の唇に触れた。
な――!
私は慌てて力いっぱい部長の身体を押したが、びくともしない。それどころか、部長の腕は私の腰を抱き、更に身体が密着する。
なん……で――。
唇にぬるっと柔らかくて湿った部長の舌が触れ、私は咄嗟に噛みついた。
「――って!」
ようやく、部長の腕から解放された。
部長が指で唇を拭う。
下唇に少し、血が滲んでいた。
「噛みつくとか、ひどくね?」
「ひどいのはどっちですか! 何するんですか!!」
「お前が鈍いから?」
「は? 悪ふざけも大概にしてください! セクハラですよ!」
一瞬、部長が目を細めて私を睨み、私は後退った。
何なの……一体……。
「部長が……言ったんですよ……。噂は困るって……。なのに! なんでこんな――」
「お前が困るだろうって意味だよ」
「え?」
「俺は別に困らない。けど、お前は色々やりにくくなるだろう? 道の真ん中でやらかした俺が言うのもなんだけどな」
部長が前髪をかき上げて言った。
「ま、噂になったら俺が何とかしてやるよ」
見られて困るようなことしておいて、何その偉そうな態度!!
てか、なんでキスなんか!?
無性に腹が立ってきた。
ただでさえ今日は体調が悪くて、忙しくて、とにかく苦しいのに、輪をかけるように部長にからかわれて振り回されて、うんざりだ。
早く帰りたい。
もう、何も考えたくない。
「結構です。噂は噂ですから。くだらない」
早く今日を終えたい。
今日は……嫌だ……。
脳裏に『三年前の今日』の光景がよみがえる。
階段。
横たわる義父。
無表情で義父を見る妹。
腕時計に目をやると、視界がかすんだ。
二十一時三十五分。
「言うねぇ。けど、こういう時は素直に――って、おい! 大丈夫か?」
「え……?」
足に力が入らない。呼吸が苦しい。汗が吹き出し、シャツがべとつく。
「おい! 那須川!」
ふらついた私は部長に抱き留められた。
温かい……。
『桜!?』
桜はうつろな目で座り込む。
私は義父に駆け寄り、首筋に指を押し当てる。
脈が触れない。
目は見開き、ピクリとも動かない。
義父は冷たくなっていた。
急に肺に空気を吹き込まれ、私は目を見開いた。
「はっ――」
「しっかりしろ、那須川!」
部長が私を腕に抱き、心配そうに名前を呼んでいた。
心臓がとにかくめちゃくちゃに飛び跳ねて、今にも口から飛び出してきそう。
「ぶちょ――」
「しゃべるな。ゆっくり息をしろ」
言われた通り、ゆっくり酸素を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
「落ち着いたか?」
ようやく心臓がスキップ程度の動きに戻った。けれど、耳に響く鼓動は強く早いまま。
部長の鼓動……。
「焦らすなよ……」と言って、私を抱く腕に力がこもる。
「すみません……」
「動かすぞ。つかまってろ」
「え?」
突然、身体がふわっと浮いた。
「ぶ、部長!」
俗にいう、お姫様抱っこ。
「暴れたら落ちるぞ」
過呼吸で倒れかけた私に暴れる気力はなく、不本意ながら大人しく部長に連れ去られる羽目になった。
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