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2.別れ話
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「わかった! じゃ、定時で上がったら一階のエントランスで待ってる」
ランチタイムから戻った私は、定時退社できるように急ぎの仕事を片付けた。
先月から就業している派遣社員の面談と評価を任せた部下の、評価リストの不備について指導していたら、定時を十五分過ぎてしまった。
急いで人事部のある三階からエントランスまで階段で下りようと、エレベーター横の階段室のドアを開けると、呼び止められた。
「大熊」
声のした方に目を向けると、エレベーターから降りてきた蜂谷さんが足を止めていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ。帰るのか?」
「はい」
「約束?」
「はい。なにかありましたか?」
「いや。飲みに行かないかと思って」
「え?」
彼が本社に戻って半年、業務以外の話をしたのは初めてだ。
私は驚きを隠せず、けれどすぐに、反射的に、というか本能的に返事をした。
「草下が下で待ってるので」
「草下? 本当に?」
彼にプライベートの誘いを受けたのは三年半以上振りで、その間の三年間は会ってもいない。
そんな状況で飲みに誘われて断ったら、疑われるって?
よくわからないが、なんだか不愉快だ。
「どうして疑われているのかわかりませんが、とにかく飲みには行けません。失礼します」
「あっ! おい、おおく――」
乱暴にしなくても、少し重めのドアがバタンッと閉じて、蜂谷さんの声を遮断する。
なんなのよ!
階段を駆け下りて、一階のエレベーター横に飛び出した。
はあっと肩を上下して息を吐くと、従業員用のゲートに社員証をかざして出る。
見回して奈都の姿を探すと、自動ドアの向こう側に見つけた。
足早に自動ドアに向かう。
「み――大熊!」
今度は誰!? と振り返ると、ゲートを出てくる慶太朗。
割と大きな声で呼ばれて無視するわけにもいかず、立ち止まる。
駆けてくる慶太朗が私に向かって口を開いた。
「大熊、俺――」
「――支倉さん!」
背後から、私にとっては背後、慶太朗には正面から高くて弾むような女性の声がして、同時に慶太朗の目が大きく見開いた。
更に、私が振り向くより先に、私の脇を甘い香りが走り抜ける。
そして、その香りは慶太朗に絡みついた。
「えっ?! 小花……ちゃん!? なんで――」
「――来ちゃった。電話してくれないから」
慶太朗の肩くらいまでしかない小花ちゃんは、彼の腕に自分の腕を絡めると、ぴょんっと飛び跳ねた。
二人の姿を映した眼球から、全身が冷えていく気がした。
「困るよ。ここは――」
慶太朗は本当に困っていて、小花ちゃんの腕を解こうとしながら、ちらちらと私を見ている。
慶太朗の肩越しに、蜂谷さんの姿が見えた。
なんなのよ……。なんなのよ!
蜂谷さんも慶太朗も、私の気持ちをかき乱す。
週末、泣いて、崩れたお弁当を食べて、眠って、掃除をして、また少し泣いた。
日曜は腫れた目元を冷やした。
もう、泣きたくない。
泣き疲れた。
私はすうっと顎を上げながら口で息を吸うと、慶太朗を見据えた。
「さようなら、支倉くん」
「えっ!? 美空! 待って、みそ――」
「――さようなら」
もう一度言った私は、ビルを脱出するための装置に向かった。
「美空!」
顎を上げて背筋を伸ばし、ゆっくりと歩く。
いつもより少し強いヒールの音が、鼓膜を叩く。
これで、いい。
ビルを出ると奈都が笑っていた。
ランチタイムから戻った私は、定時退社できるように急ぎの仕事を片付けた。
先月から就業している派遣社員の面談と評価を任せた部下の、評価リストの不備について指導していたら、定時を十五分過ぎてしまった。
急いで人事部のある三階からエントランスまで階段で下りようと、エレベーター横の階段室のドアを開けると、呼び止められた。
「大熊」
声のした方に目を向けると、エレベーターから降りてきた蜂谷さんが足を止めていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ。帰るのか?」
「はい」
「約束?」
「はい。なにかありましたか?」
「いや。飲みに行かないかと思って」
「え?」
彼が本社に戻って半年、業務以外の話をしたのは初めてだ。
私は驚きを隠せず、けれどすぐに、反射的に、というか本能的に返事をした。
「草下が下で待ってるので」
「草下? 本当に?」
彼にプライベートの誘いを受けたのは三年半以上振りで、その間の三年間は会ってもいない。
そんな状況で飲みに誘われて断ったら、疑われるって?
よくわからないが、なんだか不愉快だ。
「どうして疑われているのかわかりませんが、とにかく飲みには行けません。失礼します」
「あっ! おい、おおく――」
乱暴にしなくても、少し重めのドアがバタンッと閉じて、蜂谷さんの声を遮断する。
なんなのよ!
階段を駆け下りて、一階のエレベーター横に飛び出した。
はあっと肩を上下して息を吐くと、従業員用のゲートに社員証をかざして出る。
見回して奈都の姿を探すと、自動ドアの向こう側に見つけた。
足早に自動ドアに向かう。
「み――大熊!」
今度は誰!? と振り返ると、ゲートを出てくる慶太朗。
割と大きな声で呼ばれて無視するわけにもいかず、立ち止まる。
駆けてくる慶太朗が私に向かって口を開いた。
「大熊、俺――」
「――支倉さん!」
背後から、私にとっては背後、慶太朗には正面から高くて弾むような女性の声がして、同時に慶太朗の目が大きく見開いた。
更に、私が振り向くより先に、私の脇を甘い香りが走り抜ける。
そして、その香りは慶太朗に絡みついた。
「えっ?! 小花……ちゃん!? なんで――」
「――来ちゃった。電話してくれないから」
慶太朗の肩くらいまでしかない小花ちゃんは、彼の腕に自分の腕を絡めると、ぴょんっと飛び跳ねた。
二人の姿を映した眼球から、全身が冷えていく気がした。
「困るよ。ここは――」
慶太朗は本当に困っていて、小花ちゃんの腕を解こうとしながら、ちらちらと私を見ている。
慶太朗の肩越しに、蜂谷さんの姿が見えた。
なんなのよ……。なんなのよ!
蜂谷さんも慶太朗も、私の気持ちをかき乱す。
週末、泣いて、崩れたお弁当を食べて、眠って、掃除をして、また少し泣いた。
日曜は腫れた目元を冷やした。
もう、泣きたくない。
泣き疲れた。
私はすうっと顎を上げながら口で息を吸うと、慶太朗を見据えた。
「さようなら、支倉くん」
「えっ!? 美空! 待って、みそ――」
「――さようなら」
もう一度言った私は、ビルを脱出するための装置に向かった。
「美空!」
顎を上げて背筋を伸ばし、ゆっくりと歩く。
いつもより少し強いヒールの音が、鼓膜を叩く。
これで、いい。
ビルを出ると奈都が笑っていた。
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