愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以

文字の大きさ
15 / 191
3.好きだった男

しおりを挟む


 神海さんの行きつけだというバーは、会社から地下鉄で二駅離れていた。

 駅から徒歩十分かかるかかからないかの場所にある飲食店ばかり入った三階建てのビルの一階の角にあり、ビルの共有のものとは別の入口があった。

 バーの看板は出ていない。

 代わりにドアの横に『SHINFOシンフォ』と一般住宅の物と変わりない大きさの表札が掛けられている。

 表札の下のインターフォンを押すと、一般住宅同様に「はい」と応答があった。

 奈都が神海さんの名前を出すと、カチャリとドアのロックが回る金属音がした。

「いらっしゃいませ」

 奈都がドアノブに手をかけるより先にドアが開き、自分の身長から推測して、およそ百八十センチの女性が顔を出した。

 横の髪を撫でつけたショートヘアに、バーテンダーがよく着るであろう黒のベストに蝶ネクタイ、黒のスラックスという、某歌劇団の男役のような男装の麗人。

「どうぞ、お好きな席へ」

 店内には一人掛けのソファ四つが配置されているテーブル席が五つと、ハイチェアのカウンター席が六つあり、テーブル席二つが埋まっていた。

 奈都と顔を見合わせて、カウンター席に座った。

 奥のふた席に座ろうとしたら、今は客が少ないからと、一番奥の席を空けて座らせてもらった。

「ようこそいらっしゃいました。私、マスターのミノリと申します。メニューをどうぞ」

 しっとりとした口調のハスキーボイスで、おしぼりとメニューを渡された。

 片面にアルコールとノンアルコールと、ソフトドリンク、片面に軽食とスイーツのメニューが書かれたA4用紙が、ラミネートされている。

「お好みでお作りすることもできますよ」

「じゃあ、テキーラサンライズを」

「私はモヒートを。軽めで」

「かしこまりました」

「ナッツの盛り合わせとサンドイッチも」

「あ、クラッカーも」

「少々お待ちください。こちら、レモン水とチャームのチョコレートです。それから、よろしければこちらをご記入いただけますか?」

 ミノリさんから差し出されたのは、コースターくらいの厚紙。

『氏名(愛称でも結構です)、誕生月日、お好みのドリンク』を書くようになっている。

 私と奈都は、それぞれ用紙と一緒に置かれたペンを持ち、書き込んでいく。

 どうせ神海さんには知られているのだからと、本名を書いた。誕生日も。

 それから、さっぱりした味のお酒が好きだが、あまり強くないことを書いて、ペン先を引っ込めた。

 レモン水を一口飲んで、これにほんの少しアルコールが入っているだけ、私には十分だなと思った。

 小鉢にチョコレート三粒は、色も形も大きさも違うけれど、どれも見るからに高級そう。

「素敵なお店ね」

「うん。成り行きで合コンしただけの私たちに教えてもらっちゃって、良かったのかな」

「それなりに気に入られたってことでしょ」

「それは、奈都がってことでしょ? 私まで――」

「――お待たせいたしました」

 ミノリさんがテキーラサンライズを奈都の前に置く。

「こちら、テキーラサンライズでございます」

「ありがとうございます」

 次に、私の前にモヒートが置かれる。

「モヒートです。アルコール軽めにお作りしております。調整が必要でしたら、遠慮なく仰ってください」

「ありがとうございます」

 グラスの底のミントと、口に添えられたライムの間を、無色透明なソーダの気泡が揺れている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

優しい彼

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
私の彼は優しい。 ……うん、優しいのだ。 王子様のように優しげな風貌。 社内では王子様で通っている。 風貌だけじゃなく、性格も優しいから。 私にだって、いつも優しい。 男とふたりで飲みに行くっていっても、「行っておいで」だし。 私に怒ったことなんて一度もない。 でもその優しさは。 ……無関心の裏返しじゃないのかな。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

幼馴染の許嫁

山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

初恋だったお兄様から好きだと言われ失恋した私の出会いがあるまでの日

クロユキ
恋愛
隣に住む私より一つ年上のお兄さんは、優しくて肩まで伸ばした金色の髪の毛を結ぶその姿は王子様のようで私には初恋の人でもあった。 いつも学園が休みの日には、お茶をしてお喋りをして…勉強を教えてくれるお兄さんから好きだと言われて信じられない私は泣きながら喜んだ…でもその好きは恋人の好きではなかった…… 誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。 更新が不定期ですが、よろしくお願いします。

処理中です...