愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以

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3.好きだった男

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「ならその合コン相手と付き合うのか?」

「……蜂谷さんには――」

「――答えろ」

 俯いていた私は、正面から伸びてきた手に気づくのが遅くて、肩を抱き寄せられても抵抗できなかった。


 なん……で――。


 強く抱きしめられ、もしかしたら抱き寄せられる前に気づいても抵抗できなかったかもしれない。

 とにかく、私は蜂谷さんに抱きしめられている。

 三年半前のキスの時のように、終業時間後の人事部で。

「蜂谷さ――」

「――いつから付き合ってた?」

「え?」

「支倉のこと、いつから好きになった?」

 深く考えなければ聞き流せたその言い回しを、私は聞き流せなかった。

 以前は、三年半前は違っただろうと言われているように思ったのは、私の問題だろう。

 まるで、いつ自分への気持ちを吹っ切ったのかと聞かれているようで、カッとなった。

「そんなこと――っ」

 私は力いっぱい彼を押し退けると、三歩後退った。

 とはいえ、私の力いっぱいなんて蜂谷さんを突き飛ばすほどじゃない。

 ほんの少し仰け反って私を手離しただけ。

「――蜂谷さんには関係ないでしょうっ!」

 私が大きな声を出したせいで、その後の静寂は息遣いも憚られるほど。

 そして、そんな気まずい沈黙の中で、彼はただじっと私を見ている。

 見つめて、いる。

 それも気まずくて視線を逸らそうとした。

 が、させてもらえなかった。

 彼の私を見る目が、逸らすなと言っているようで。

「大熊。支倉を好きだったか」

 答えたくない。

 答えたくないし、答える必要なんてないけれど、彼がやけにこだわっているこの問いから逃れられる気がしない。

「……好きじゃなきゃ、付き合ってません」

「本気で?」

「どういう――」

「――結婚を、考えていたか?」

「――っ! 答える必要、ありますか!?」

 どうして、過去に好きだった男に、他の男と結婚したかったかと聞かれなければならないのか。

 そして、私に期待させるようなキスをしておきながら、次に会った時には結婚するとかしたとかいう話をした男でもある。

 奈都に彼とのキスは話していないけれど、きっと知ったら、私が怒るのは当然だと言ってくれるはず。

「なんなんですか!? 私が誰を好きだろうと、誰と付き合おうと蜂谷さんには関係ないでしょう!? 蜂谷さんが誰と結婚しようと、どこに転勤しようと関係なかったように!」

「してない」

「はっ!?」

「結婚、してないよ」

「え――?」


 だって、あの時部長は確かに『嫁さん』って言った。

 蜂谷さんも頷いていた。

「なぁ、大熊」

 コツと靴音が響く。

 私の三歩は、彼には一歩半てところで、あっさりと距離を詰められてしまう。

 もう一度伸ばされた彼の手から逃れなければと思うのに、なぜか私以上に思いつめた表情でそうされると、動けなくなった。

 蜂谷さんの大きな手が、そっと私の肩に触れ、髪を一束指ですくった。

「支倉を本気で好きだったか?」

 好きだったと、答えればいい。

 本気だなんだと、目に見えないものは嘘かどうかもわからない。

 なのに、唇がうまく開かない。

 コツ、とまた一歩近づく彼。

 金縛りのように身体が動かない。

 声も出ない。

 瞬きすらできない。

 が、金縛りはすぐに解けた。

 彼の言葉によって。

「お前は、本気で男を愛したことがあるか?」

「――――っ!」


 どうしてあなたがそんなこと――!


 パチンッと小気味いい乾いた破裂音に似た音が響く。

 私が彼の手を叩き払った音。

「あなたにだけは言われたくない!!」

 私は机の引き出しからバッグを持ち出すと、パソコンの電源を切るのも、引き出しを閉めるのも忘れて走り出した。

「大熊!」

 蜂谷さんの声にも振り返らず、頬を伝う涙も拭わず、転げ落ちそうな勢いで、階段を駆け下りていた。
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