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3.好きだった男
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ある。
慶太朗とわかれたかどうかなんて関係のない理由が、ある。
それは、蜂谷さんだってわかっているはずだ。
それとも、三年以上前のたった一度のキスは忘れた!?
かもしれない。
でも、私は忘れていないし、忘れたフリもできない。
「行きたくない、は理由にはなりませんか」
蜂谷さんが私を見た。
私も彼を見ている。
私がこだわり過ぎなのかもしれない。
けれど私は、たった一度だから、三年も前だから、なんて割り切れるほど気安くキスなんてしない。
蜂谷さんは割り切れるんでしょうけど……。
「大熊」
蜂谷さんがゆっくりと私のすぐ目の前まで歩いてきて、思わず視線を逸らした。
三年半前まで、好きだった男。
いや、いつまでかはわからない。
少なくとも、三年半前は好きだった。
恋人が、婚約者がいるとも知らず、好きだった。
そして、彼もまた私に部下以上の感情を抱いてくれていると思った。
そう思わせる『何か』は確かにあった。
視線だったり、表情だったり、言葉だったり。
だから、気持ちが通じてるのだと思って、キスを受け入れた。
私の勘違いだったわけだけど……。
「支倉とは別れたんだよな?」
「……」
否定も肯定もしなかった。
どうして素直に答えてやらなきゃいけないんだと、意地になって。
私はただ、爪先を見ていた。
私と、彼の爪先を。
「大熊」
低く穏やかに鼓膜を抜ける声。
私を鬼主任に育てた人だ。
日頃は少し威圧的なきつい口調なのに、二人きりの時に不意に今のように優しい声になるから、勘違いした。
今はもう、この彼の声に特別な意味などないと知っている。
とはいえ、無言でやり過ごすのも無理がある。
「どうして……知ってるんですか。私と慶太――支倉くんのこと」
「一緒にいるのを見た」
偶然とは恐ろしい。
人事部と営業部はフロアが違うから、私と慶太朗が社内で顔を合わせることはまずない。
エレベーターやエントランスで偶然、という程度だ。
だから、二人きりでいて、恋人のように見えたとしたら、仕事終わりに食事をしていたか、休日のことだろう。
それも、付き合っていたのは八か月で、蜂谷さんが本社に戻ってきたのは半年前。
よりによって、としか思えない。
「嘘を吐いて合コンに行ってたくらいで、別れると思います?」
「それだけじゃないんじゃないか」
「え?」
「あれだけで怒って別れる女もいるだろうが、お前が話も聞かずに決めたのは、他にも理由があったからじゃないのか」
ムカついた。
さも私を理解しているような口ぶりに。
「どうでしょうね」
可愛くない言い方をした。
わざとではなく、無意識に。
「大熊」
「たとえ慶太朗と別れたとしても、蜂谷さんと食事に行く理由にはならないですよね」
「合コン相手がいるからか?」
「それも――っ! 関係ないじゃないですか!!」
優しい口調で尋問のような質問を投げられ、イライラする。
彼を睨みつけて言えない自分にも。
「恋人がいるくせに合コンして、その相手が恋人よりハイスペックだったから乗り換えた。それだけかもしれないでしょう!? その人を逃がさないように、蜂谷さんの誘いは断るんですよ。もっとハイスペックな男以外は!」
ムキになってなる必要、ない。
無視すれば、いい。
食事になんか行きたくないと言って、帰ればいい。
なのに、足が動かない。
慶太朗とわかれたかどうかなんて関係のない理由が、ある。
それは、蜂谷さんだってわかっているはずだ。
それとも、三年以上前のたった一度のキスは忘れた!?
かもしれない。
でも、私は忘れていないし、忘れたフリもできない。
「行きたくない、は理由にはなりませんか」
蜂谷さんが私を見た。
私も彼を見ている。
私がこだわり過ぎなのかもしれない。
けれど私は、たった一度だから、三年も前だから、なんて割り切れるほど気安くキスなんてしない。
蜂谷さんは割り切れるんでしょうけど……。
「大熊」
蜂谷さんがゆっくりと私のすぐ目の前まで歩いてきて、思わず視線を逸らした。
三年半前まで、好きだった男。
いや、いつまでかはわからない。
少なくとも、三年半前は好きだった。
恋人が、婚約者がいるとも知らず、好きだった。
そして、彼もまた私に部下以上の感情を抱いてくれていると思った。
そう思わせる『何か』は確かにあった。
視線だったり、表情だったり、言葉だったり。
だから、気持ちが通じてるのだと思って、キスを受け入れた。
私の勘違いだったわけだけど……。
「支倉とは別れたんだよな?」
「……」
否定も肯定もしなかった。
どうして素直に答えてやらなきゃいけないんだと、意地になって。
私はただ、爪先を見ていた。
私と、彼の爪先を。
「大熊」
低く穏やかに鼓膜を抜ける声。
私を鬼主任に育てた人だ。
日頃は少し威圧的なきつい口調なのに、二人きりの時に不意に今のように優しい声になるから、勘違いした。
今はもう、この彼の声に特別な意味などないと知っている。
とはいえ、無言でやり過ごすのも無理がある。
「どうして……知ってるんですか。私と慶太――支倉くんのこと」
「一緒にいるのを見た」
偶然とは恐ろしい。
人事部と営業部はフロアが違うから、私と慶太朗が社内で顔を合わせることはまずない。
エレベーターやエントランスで偶然、という程度だ。
だから、二人きりでいて、恋人のように見えたとしたら、仕事終わりに食事をしていたか、休日のことだろう。
それも、付き合っていたのは八か月で、蜂谷さんが本社に戻ってきたのは半年前。
よりによって、としか思えない。
「嘘を吐いて合コンに行ってたくらいで、別れると思います?」
「それだけじゃないんじゃないか」
「え?」
「あれだけで怒って別れる女もいるだろうが、お前が話も聞かずに決めたのは、他にも理由があったからじゃないのか」
ムカついた。
さも私を理解しているような口ぶりに。
「どうでしょうね」
可愛くない言い方をした。
わざとではなく、無意識に。
「大熊」
「たとえ慶太朗と別れたとしても、蜂谷さんと食事に行く理由にはならないですよね」
「合コン相手がいるからか?」
「それも――っ! 関係ないじゃないですか!!」
優しい口調で尋問のような質問を投げられ、イライラする。
彼を睨みつけて言えない自分にも。
「恋人がいるくせに合コンして、その相手が恋人よりハイスペックだったから乗り換えた。それだけかもしれないでしょう!? その人を逃がさないように、蜂谷さんの誘いは断るんですよ。もっとハイスペックな男以外は!」
ムキになってなる必要、ない。
無視すれば、いい。
食事になんか行きたくないと言って、帰ればいい。
なのに、足が動かない。
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