愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以

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6.恋が始まる前に

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「部屋を探してる時に、ちょうどこの部屋だけ空いていてね。モデルルームになっていたから、家具もそのまま買い取ったんだ」

「そうなんですか」

 モデルルームだった時から物が増えたかわからないほど、広いのに物がなくて、自分の声がやけに響いて聞こえる。

「この部屋に来たのは、きみが初めてだよ」

「え?」

「一年前に引っ越してきたんだ。それから、この部屋には誰も呼んだことがなくて」

「神海さんは?」

「あいつとは店でしか会わないな。俺もあいつの部屋に入ったことないし」

「そうなんですね」

「うん」

 ガガガガガとコーヒーマシンが熱々のコーヒーを抽出し、カップに注ぐ音がする。

 私はマシンが任務を終えるまで、じっとソファに座っていた。

 恐らくモデルルームの時に飾られていたであろう真っ白なマグカップに、泡立ったコーヒー。

 渡されたそれを両手で持つと、早速一口飲んだ。


 こうしてこの部屋で成悟さんとコーヒーを飲んだのは、私が初めてなんだ……。


 あの秘書――日向さんも足を踏み入れたことのない場所。

 そう思うと、コーヒーはより一層美味しく感じた。

 ふと視線を感じて横を向くと、成悟さんと目が合った。

 じっと私を見つめるその表情は、やはりどこか緊張気味に思える。

 私はカップをテーブルに置いた。

「よくない話ですか?」

「……そうだね」

「でも、話したい?」

「ああ。話さなきゃいけない」

 成悟さんの手が私の頬をかすめ、後頭部に添えられる。

 彼の力に頼らずに、私は自ら彼の胸に身体を預けた。

「きみのマンションできみを抱きしめた時、キスしたかった」

 彼の鼓動を間近で聞いて、その力強さと速さに、私まで鼓動が加速する。

「美空さん、俺の恋人になってほしい」

 きっと、私は待っていた。

 だから、答えは決まっている。

『はい』と言うつもりで口を開いたが、それを言うより先に遮られてしまった。

「俺の話を聞いてから、返事がほしい」

 成悟さんの腕に力がこもる。

 痛いほど強く抱きしめられ、これからどんな話をされるのか、不安になる。


 私が答えを変えるような話……?


「俺は、不倫していたんだ」


 不倫……?


 どんな話をされるのかと身構えていた私は、予想していなかった告白にもかかわらず、あまり驚いていなかったと思う。

 いや、驚きはした。

 不倫を嫌悪するとか、倫理観を疑うとか、そういうのではなく、成悟さんが不倫するような人に思えなくて。

 まだ数回しか会っていないけれど、私の知る成悟さんは誠実で、優しくて、気持ちを真っ直ぐに伝えてくれる人。

 その彼が、後腐れがないからとか、スリルがあるからとか、身体の相性がいいから、なんて理由で不倫するとは思えなかった。


 なによりも――。


「一年前まで、結婚指輪をはめた女性と付き合っていた」

 一年前は、このマンションに引っ越した時期。

 不倫相手と別れて、引っ越したということだろう。

「不倫なんて珍しくもないって言う人もいるだろうけど、俺は――」

「――後悔してるんですか?」

「え?」

 私は彼の肩を手で押すように身体を離すと、成悟さんと向き合った。

「不倫してたこと、後悔してるんですか?」

 彼の視線が揺れる。

「ああ」

 本心だろうか。

 わからない。

 でも、彼にとって苦い記憶だとはわかる。


 そして、きっと――。

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