愛が全てじゃないけれど

深冬 芽以

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6.恋が始まる前に

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「どうして私に言うんですか?」

「……過去の女性関係なんて、黙っていればいいことなのはわかってるんだ。でも、いつかバレるんじゃないかと怯えていたくないと思った」

 彼が、今にも泣きそうに見えた。

 これが演技なら、見抜けなかった私がバカだ。

「どうして別れたんですか?」

「え?」

「不倫の相手と」

「……彼女にとって俺は、セックスの相手でしかなかったって、やっと……わかったから」

「結婚……したかった?」

「いや」

 絞り出すようにそう呟くと、彼は前髪をかき上げて、その手を後頭部で止めた。

「ご主人と別れて俺と結婚してほしいとか、思っていたわけじゃない。ただ、彼女の気持ちが確かにあると思っていたかったんだ。だけど、気持ちなんて少しもなかった」

 成悟さんは後頭部の手でくしゃりと髪を掴み、大きくため息をついて、その手を離した。

「それを思い知ったんだ」

「それで、もう恋愛はしたくないと?」

「え?」

「前に、女性不信だって」

「ああ。うん、そう」

 神海さんが言っていた。

峰濱あいつ、恋愛に関しては見てらんないくらい不器用なんだよ。だけど、本気で好きになったらマジでドン引きするくらい一途だから』

 女性不信になるほど別れが辛かった女性。

 彼女はきっと、他人がドン引きするほど彼に愛されていた。

 そう思うと、胸の奥が真っ黒な泥で埋め尽くされていくような不快感に襲われた。

「今はもう、連絡を取っていないんですか?」

「ああ。番号をブロックしてあるし、俺はもう会いたくない。思い出したくもない」


 それは、思い出すのが辛いほど愛していたから……?


 そんな風に言葉の裏を勘繰ってしまうのは、私が卑屈な人間だからだろうか。

 違う。

 覚えがあるからだ。

 私自身、忘れたいのに忘れられない、けれど決して現在進行形ではない過去の恋がある。

 大人になるにつれ、恋に限らずそんな過去や想いは増えていく。

 あの時ああしていれば、こうしていれば、なんて考えても仕方がないと、気持ちをうまくやり過ごせるようになっただけ。


 小花ちゃんのように若くて自分の気持ちに真っ直ぐでいたら、成悟さんの言葉をそのまま受け止められるのよね。


 そうだ。

 きっと、小花ちゃんならこう言うだろう。

『会いたくないし思い出したくないくらい、大っ嫌いなんですって!』

 小花ちゃんがそう言っているのを想像したら、あれこれ考えるだけ無駄で、そんな気がしてきた。

 私は膝の上で強く握られた成悟さんの手に、自分の手を重ねた。

「私たち、とても大事なことを言っていませんね」

「え?」

「私、成悟さんが好きです」

「――――っ!」

 成悟さんがハッとしたその表情が、なんだかとても子供っぽく見えて、可愛いと思った。

 けれど、一瞬で大人の男の表情かおに戻る。

「俺も、好きだ。美空さん、俺と恋人になってほしい」

「はい」

 考える間なんていらない。

 それ自体が、答え。

 私は成悟さんが好きだ。

 彼に気がありそうな日向さんや、過去の不倫相手のことは気になるが、今は私を好きだと言ってくれる彼の気持ちを素直に喜びたい。

 成悟さんの肩から力が抜けた気がした。

 そして、彼の両手が私を抱き寄せ、私も彼の背に腕を回す。

 成悟さんが私の肩に顔を埋め、ニットの襟ギリギリの素肌に唇が押し付けられた。

 どちらからともなく互いを求める腕を緩め、顔を見合わせる。

 ゆっくりと近づく成悟さんの顔。

 遠慮がちに、ほんの一瞬だけ唇が触れ、私は目を閉じた。

 今度はしっかりと唇が押し付けられ、名残惜しそうに離れていく。

 私たちの恋が、こうして始まった。
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