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二
第十五話
しおりを挟む「瑞樹っ、いくよー!」
初心者同志のキャッチボールはそう上手くはいかない。投げられず、取れず、コロコロと転がるボールをただ拾い続ける母子がいる週末の河川敷。
一球成功すれば、踊躍歓喜。夏には触れない昆虫採集に野山で力戦奮闘。そればかりでなく、些細な児戯に於いても仲睦まじく遊んでいた。
肝心なのは何をするかではなく、この朗らかな雰囲気を味わうこと。父は仕事で留守が多かったが、それほど寂しさを感じなかったのは、こうして母が傍にいてくれたから。
いつも明るく笑っていた。だから、縋って号泣した時は、衝撃だった。
母を守れ、という言葉の意味を痛感したのはその時だったのかもしれない。精一杯家事をこなし、宿題も率先して行い、唯々諾々と従った。それが子供ながらに考える、守る術だった。
すぐに笑顔を取り戻した母親も、ただの抜け殻に過ぎないことを見抜いていた。
何故なら、自分もそうだったから。
あの横顔を垣間見てからというもの、胸騒ぎが一向に治まらない。幼き頃の瑞樹から、ゆさゆさと揺さぶられているようだった。
「ねぇ、疲れちゃった?」
母は進行方向を逸らさず、そう聞いた。
「海、行かない? 初日の出」
後ろに置かれていた厚手のブランケット、その意図がようやくわかった。素直に頷くと、車はそのまま高速に進入した。
眠らない都会の街を通り過ぎると見えるのは道路照明と車線くらいになる。こんな真夜中にドライブなど、更に遠い日の記憶だ。とは言っても、後部座席ですやすやと寝ていただけであるが。
キャンプや旅行の帰り、父はこの運転席でハンドルを握っていた。そして帰宅すれば、自分を抱き上げて、ベッドまで運んでくれる。たまに起きてしまった時は、うっすらと目を開けて、寝たふりをしていた。お父さん、運転で疲れていただろうに、可哀想だったな。
口角がすっと上がる。
家族との温かい思い出はこうして至る所に散りばめられている。数が多ければ多い程苦痛は度重なり、落差が大きければ大きい程深い傷を負う。
それは正に浮き沈みの激しい己の人生と同じである。お前にはその方がお似合いだよ、と悪魔にせせら笑われているように。
ふとため息が零れる。窓にその仕草が映ると、避けるようにしてそっと目を閉じた。
ブルルル……
と唸るエンジンの音に、爽やかな芳香料が漂う。
こうして視界を絶つと、実はこれは全て夢で、まだ旅行の帰り道なのではないか、と甘い幻想に誘われる。そして起きればベッドの上で朝を迎えており、リビングに猛ダッシュすると父がスーツ姿で、「おはよう、瑞樹。どうだった、楽しかったか、旅行?」と満面の笑みで迎えてくれる。
そうだったら、どんなにいいだろう。
「……瑞樹」
腕に感触を覚えると、母が優しく見つめていた。
「もうすぐだよ、日の出」
窓の外を見ると、空はうっすらと白みがかっていた。
見覚えのない場所。馴染みの海岸ではないようだ。車から降り松林の小道を抜けると、そこには海が広がっていた。
「ここ、静かでいいでしょ」
人ひとりおらず、落ち着いた雰囲気である。母はこの場所を知っていたのだろうか。
浜辺に座り、陽を待つ。
寄せては返す波の音が心地良い。昨夜もあの賑わいの中、気分も高揚した。なのに何でクラスの喧騒だけ酷く萎えるのか。
そんな問いに返事をするように、波はザブンザブンと打ち付けた。
「あっ」
と傍らで声が漏れると、ピカッと閃光が辺りへ走った。
それが徐々に力を増し、直視できない程の輝きになっていく。
二人はその朝焼けを、いつまでも眺めていた。
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