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二
第二十話
しおりを挟む「はい、どうぞ。ありがとうございます」
画材屋から外に出るともう昼過ぎ、食事をしようと近くのショッピングモールへ向かった。久々に創作意欲が湧き、ここを訪れていた。
目を瞑れば浮かぶあの情景。一度形にしてみたいと、そう思った。
これまで暗い画風ばかりだったのが、美しい風景画に変わろうとしている。そんな日が訪れようとは、本人すら驚きだった。
春休みはあと僅かばかりに差し迫るが、復学するのかしないのか、新天地で新たな学生生活を始めるのか、決めてはいない。今はこの気持ちを忘れないように描き留めておくことが、何よりも大切な気がした。
うららかな日差し、小鳥のさえずり、通りに咲く色とりどりの花々。通い慣れたこの場所が、未知の地にでもいるような新鮮さを感じる。
観光客の気分で、辺りを興味深げに見回しては一歩一歩、歩みを進めた。
じわじわと汗が滲み、上着を脱ぐ。道行く人々の浮かれ声も好意的に受け入れられた。全てを悪口に捉えていた卑屈な自分が嘘のようだ。
大通りに出てしばらく行くと、ベージュ色の巨大なビルが見えて来る。エントランスを抜け、真っ直ぐ向かった先は、あるファストフード店。
「いらっしゃいませ!」
と、いつもの親しみ深い笑顔に心が和む。外の陽気と変わらないこの温かさ。客だから持成すのは当たり前かもしれない、ただ瑞樹にとっては特別な思い入れがあった。
ある日このフードコートで、捨て猫も同然にうなだれていた。制服の汚れもそのままで。帰宅前、ここのトイレを経由する日常に、いい加減疲れ果てた。もう取り繕うのはうんざりだ、と日が暮れても帰らなかった。
生きる気力が衰えようと、腹は構わずグーと鳴る。そんな時、無意識に導かれたのが、この店。
憔悴甚だしく、注文も覚束ない有様で、「すみません」と呟いた。
その人はそっと顔を近づけ、
「お茶の試飲、如何ですか?」
と囁き、微笑んだ。
それはゆず茶というもので、甘く、温かく、心に染みた。
新作のアップルパイ、か。後でお母さんに買って帰ろう。
「ご注文お待たせしました。ありがとうございます」
にこりと返し、注意深くトレーを抱える。
混雑時は過ぎた模様。定位置である角の席を求め、突き当りの方まで進み、そこへ抜ける通路に入る。
ふと何かが、足に触れた。
まるでスローモーションのようだった。筆や絵の具、ドリンクやバーガーが宙を舞い、椅子やテーブル、壁の模様が出鱈目の角度に回ると、ガシャーン!という音がした。
両腕に走る激痛が脳天を突き抜ける。瑞樹は四つん這いになって、倒れていた。
ワーッと背後から拍手喝采の嵐。忽ちに血の気が引いていく。
「超ウケるっ!」
「サボり魔さんを捕まえましたー」
「はい、現行犯逮捕ー」
と一斉に捲し立て「ほら、こっち見ろよ」と尻をグイグイと蹴る。
「どうしたの? 瑞樹ちゃん、リアクションは?」
「ほらぁ、ドッキリ動画撮ってんだから、早くして」
まさか、嘘だろ……
ウッと込み上げる吐き気。あの頃の屈辱が、徐々に蘇る。
「つーかさ、スッゲーキモいもん食ってんだけど」
「何これ、魚? キッモ」
「マジで? バーガーで魚食ってんの? ヤバいっしょ」
グチャ、グチャと潰す音に、心臓が反応した。
わからない、この事態をどう回避していたのか。もう自分すら、守れなくなってしまったようだった。
「おい、こっち見ろっつってんの!」
堪り兼ねたそいつは、狂犬のように唸った。足から直にそのエネルギーが伝わる。
シュワシュワと流れる炭酸に浸るフライドポテト、グシャッと折れ曲がったスケッチブック、どれもこれもが非情の末路を遂げていた。それを呆然と眺める自身の影はグイ、グイと押される度に、ゆら、ゆらと揺れていた。
『いいんだぞ無理して来なくても』
失意の果てに聞こえたのは、この言葉だった。神も仏もない、あるのはこの現実。教訓が骨まで浸透し、いつしかにやっと、笑っていた。
本当だ、超ウケる。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて。
くだらな過ぎて。
頬が紅潮し、涙が溢れ出す。
本当に酷い、世界だ……
地べたに力尽きようとした、その時だった。すっと何かが視界に入る。
——それは、人の手。
静かに辿り見上げると、そこには少年がいた。
とても大きく澄んだ瞳。潤いを通して見るそれは、まるで夢か幻のようだった。
瑞樹はその手を取り、立ち上がる。すると少年は傍らを通り過ぎ、奴らとの間を遮るようにした。
「何してんだよっ!」
と予期した罵声も、発せられる様子は、なかった。
ハッと我に返り、慌てて散らかった物を片付け始める。
私物をかき集めトレーに手をかけると、「あっ、いいですよ、やりますからっ」との声に振り返った時には皆、消えていた……
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