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三
第二十八話
しおりを挟む「ちょっといいかな」
と声を掛けられたのは、門を通ってしばらくしてのことだった。
「二年三組の桜井瑞樹君って、君のことだよねぇ」
ゾクッと鳥肌が走る。男は続けた。
「君、いじめられてたんだろ? その話を聞かせて欲しいんだよ……ねぇ、悪いようにはしないからさぁ」
タバコの臭いがプーンと漂う。
あらゆる刺激を手で塞ぎたくも、反応したら負けだ、と思った。そこに「お金欲しい?」と男は流し込む。
プシューッとバスの音がした。そう遠くはない距離。
間に合うかもしれない……。
瑞樹は走り出し、すかさずそこへ飛び乗った。
窓越しにはぼーっと立ち尽くす姿が、遠ざかって行く。黒いTシャツ、そして黒いジーンズに緑色のジャケットを羽織った男。香ばしいその臭いは、いつまでも鼻に、こびりついた。
酷い疲労にどっと襲われる。
何処行きのバスかもわからないまま、揺れに身を任せた。
このままどこまでバレてしまうのだろう。全校生徒に、親に、ひいてはバイトの仲間たちにまで……
「ママ―、ブーブ」
「そうだねぇ、ブーブだねぇ」
幼児は母の座上で、両手と額を窓に貼り付けていた。小さな背中をそっと撫でる母の手。その和やかな風景の傍らに立つ自分は、不純物のように思えた。
「ママ―、ブーブ」
人差し指でトントントンと指し示す。
「うん、ブーブだねぇ」
その延々と続く掛け合いがとても心地良く、優しい川の流れに、身を寄せているようだった。
「ママ―、ブーブ」
「うん、ブーブ」
ブーブの遙か奥に、ベージュ色の建物が垣間見えた。瑞樹はすぐさま降車ボタンを押す。
すると、「ちゅぎ、とまいまーす」と復唱をする子。母はフフッと笑ってこちらを見る。瑞樹はにこやかに、返した。
プシュー
ガスと熱気に包まれる中、バスの行方を目で追った。
またね……
そういえば、と携帯を取り出しマップを開く。モールと現在地の間に、おそらくここだという施設を見つけた。時間を確認し、速足でそこへ向かった。
会えるかもしれない。
やがて青い丸が目的地に近づくと、先の憂鬱はどこかへ消えていた。
リリリリ……とコオロギの鳴き声、気がつけば大通りからは大分離れていた。ここは、裏庭だろうか。黒いフェンスの向こうは木々に囲まれ、覗くことができない。
すると遠くから、「バイバーイ!」という声がした。
瑞樹はすぐに、走り出した。
この敷地は相当広いのか、ただの運動不足なのか、二つ目の角ではぁはぁと息を切らしていると、奥の方にはスーツを着た女性の背中が見えた。手を振る様子からも、子供は行ってしまったようだった。
遅かったか……
「こんにちは」
と声を掛けられたのは、とぼとぼとそこを通り過ぎる時だった。咄嗟にペコっと頭を下げる。先の女性は穏やかに微笑み、礼を返してくれた。
「あのっ」
リリリリ、と虫の音ほどの声が、漏れる。
「あの、すみません。こちらにルカ君という子は、おりますでしょうか?」
「……ごめんなさいね。最近規則がとても厳しくなって。お答えすることが、できなくなってしまったの」
申し訳なさそうなその表情に、ハッと我に返った。
何してんだろう……
恥ずかしい……
「いえ、何か、すみません」
深々とお辞儀をして背を向けると、「あなたは」と聞こえた。
「ルカ君の、お友達なのね」
振り返り映った眼差しは、とても印象的だった。
お友達……そう、僕は……
「はい!」と満面の笑みで、答えた。
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