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一
第三十八話
しおりを挟む車で訪れた時とは違い、電車で通うとなると中々の至難であった。人里離れた場所にあるこの大学は、数少ない選択肢の中でも、瑞樹が一番で希望したところだった。
それは、建築科があったから。
美術専攻でもその未練は捨て切れていないように、見えた。両親の期待をも裏切り、大切なこの貯金を叩いてまで自我を押し通した、そこに何があるのか。とにかく骨の髄まで、吸収できることは吸収しようと決意を固める。
だが、そんな瑞樹の前に現れたのは、
「アートなんてなぁ、人から学ぶもんじゃねぇんだよ」
と言い放つ、教授だった。
ぼさぼさの髪に無精髭、撚れた背広をだらしなく着こなすその姿を前に、放心する。周囲のきょとん、もお構いなしで、この年配は続けた。
「たっかい金、払ったんだろ?……おい、何でここに来た?」
すぐ目の前にいた、赤縁のおしゃれ眼鏡に問いかける。
「……好きだから、です」
「お前は?」
「……デザイナーに、なりたいので」
そして次、また次、と適当に同じ質問を繰り返す。その度に学徒は、興味があるから、あれになりたいこれになりたい、と返答していく。
ついにこの言葉、「芸術家になりたい」が彼の逆鱗に触れたようだった。
「芸術家になりたい? それでここに入った」
「……はい……あ、できれば、なんで」
「何百万も積んだら、なれると思ったのか?」
「……いいえ」
何で怒られてるんだろう、ときっと思った筈だ。
教授はその後「おい、描くもの持ってこい」と一同に命令する。
これは彫刻の授業じゃなかったか、そもそもじゃあ何でこの人は教授やってるんだろう、と心の声が伝わる中、言われるままに従った。
「じゃあ目瞑れ」
空気はシーンと静まり返る。
時計のカチカチカチという音、窓の外からは楽しそうに笑う若者の声。
「よし、開けろ。そこに描くんだ。今見たものを」
この状況を無茶振りと言うのだろうか、と戸惑いながら、ひとりまたひとりと筆を手に思い思いを描き始める。
威圧的なその年配は、室内をうろうろと徘徊したり、座って足を組み、その上に頬杖をついた格好でこちらをじっと睨んだりしていた。そしてその体勢のまま、「はい、終了」と告げた。
すると年配はすくっと立ち上がり、こちらに向かって来る。
怖い、とは率直な感触だった。
それをひとつひとつ眺めながら「花」「夜空」とぶっきらぼうに読み上げていく。そして瑞樹の目前で、止まった。そこにいた学生の作品は、ヌード絵。
「いいか、よーく自分の描いたものを見つめるんだ」
ヌード絵を片手で持ち上げると、それを背に前へ戻っていく。釣られてクスクスと笑いが波打った。
「それは、本当に見えた物か? もしくは誰かの絵に似てやしないか」
言われれば確かにゴッホであり、ダリであり、ピエト・モンドリアンだった。
「無理難題を言われるとな、本性が出んだよ。自分が何を求められてんのか、あれやこれやと考えなかったか? 或いはお得意の絵を描いて、点数稼ぎをしようと思ったんじゃないのか?」
それを聞いた途端、悶々とした空気が一瞬にして、澄み渡った。
瑞樹も同じように、ハッとする。この人が言わんとしていること、それが刃となり貫かれたような気がした。
「それはな、忖度って言うんだよ」
カチカチカチ、と針の振れ。
外の賑わい。
息を呑む音が、聞こえるようだった。
「そんなもん、アートにはいらねぇんだよ」
その厳声は、静寂によく響いた。
教授はそして、片手の絵画をトントンとテーブルに当てる。
「こん中で芸術家になり得るような奴は、こんな奴だ」
そして、「ただな」と続け、ニヤリと髭を吊り上げる。
「女の絵が描きたけりゃ、女を触ることだ」
ヌード作者の顔は、かーっと真っ赤に、色づいた。
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