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一
第四十九話
しおりを挟む「わりぃ、ちょっとトイレ貸してくれっ」
海斗は玄関先でもう靴を脱ぎ始めていた。「ああ」と場所を示すや否や、すたすたと駆けて行く。
外はまだ薄暗く、ぴゅーっと冷気が入り込む。大晦日を迎えた人々の逸る気持ちが風に乗り、届くようだった。遂にこの日が来てしまったかと、瑞樹もそわそわと落ち着かない。
皆は外で待ち惚けを食っているのだろうが、海斗は終わる気配がない。仕方なく戸締りの再確認をし始めた。
自室に足を踏み入れた瞬間、早く帰ってこのベッドで休みたい、と既にここが愛おしい。折り鶴の置かれた窓額縁、そこに手を掛け、鍵を確認する。
母は既に出掛けており、今頃は交通事故の怪我人を世話している頃だろう。明日からは餅を喉に詰まらせた老人が決まって運び込まれる。今正月はどうか煩わせないように、平穏無事に過ごして欲しいと願わずにはいられない。
そういえば、みんなに会いたがってたな。
リビングルームに向かうとそこには海斗の姿があった。神妙な面持ちで棒立ちし、奥の方を眺めている。恐る恐る近づくと、こう言った。
「なぁ、線香、あげてもいいか?」
普段元気な者がトーンダウンすると、動揺さえ覚える。父無しが当たり前だった瑞樹にとって、この反応はとても新鮮だった。
海斗は仏壇で一礼し、座って線香を焚くと手を合わせた。
ゆらゆらと香ばしい煙の匂い。母はいつ帰れるかわからないからと、そこには年越しそばが供えられてあった。
友と呼べる者が父に挨拶をする姿。瑞樹はその貴重な光景をじっと見守った。遺影にある笑顔は心なしか、より嬉しそうだった。
『良かったな瑞樹。お友達、大切にするんだぞ』
と、声が聞こえるような、気がした。
「大丈夫、海斗君?」
「はい……」
当初とは様子が違う。そんな表情をした一同に挨拶をし、乗車する。
「休憩必要になったら、いつでも言ってね」
その合図と共に、ワゴンは発進した。
そしてしばらく、沈黙が続く。
エンジン音の中で聞こえる、ルートを模索するドライバーの司沙と、隣の葵の会話。それ以外は無言という、旅行初日としては最悪のスタートを匂わせていた。やはり自分が来てしまったからこうなったのだ、と妙な罪悪感に苛まれた。
メンバーは店長を除き全員揃っていた。海斗と瑞樹は美亜を挟み真中、菜美と茅野は後部座席、それぞれはそれぞれの方向を向き、そこにある景色をじっと眺めていた。
日は段々と明るさを増し、コンクリートジャングルは緑のジャングルへと移り変わっていく。田舎に行くと癒される、と言いながら、どうして人々は都会を居住地にするのだろうか。
そんなたわい無いことをぼーっと考えているとやがて、「わぁ!」と歓声が沸いた。
一面に広がる青い海。
「綺麗だねぇ」
「冬の海も、いいですね」
「うん、素敵」
人気のない海岸はすっきりと開けて美しく、一枚の絵画がそこにあるようだった。それがパノラマのように果てしなく続いていく。キラキラと輝く水面は瑞樹の瞳に映り込んでいた。
最後に見た海は、あの時。
砂浜に崩れ落ち、途方に暮れた。
ひとり残され、波の音はザァザァといつまでも、響いていた。
「運転、変わろうか?」
「ううん、大丈夫」
「すみません、この海岸沿いをあともう少し行けば、着きますから」
「いいよね、こんな所に別荘だなんて」
「本当、凄いっ。楽しみだなぁ」
目的地であるその別荘は、茅野の知り合いが所有するものだった。
自身のことを話さないのは、瑞樹ばかりではない。それに気づいたのは、旅行の計画を聞いた時。
茅野は俯き加減で、「知り合いの別荘を借りれるかもしれないんだ」と言った。海斗も、えっ、と驚き、そんな金持ちの知人がいるんだなと、感心していた。茅野はそのまま、黙ってこくんと頷いた。
仲間の誰もが他者を詮索するようなことはしない。いじめ自殺の一件も、知ってか知らずか、一言も触れられなかった。それが、瑞樹が感じていた心地良さの一因のようだった。
大自然の御加護か、ようやく車内にウキウキとしたムードが漂い始める。それでも海斗の視線はちらちらとこちらに触れていた。
いい加減心配ばかりかけていられないな。
瑞樹はそっと深呼吸をして、物憂げな気分を切り替えた。
するとトントンと腕を叩かれる。振り向くと携帯の画面がそこにあった。
『瑞樹君は、海好き?』
ドキッとして美亜を見る。無垢な瞳に日の光が宿っていた。
瑞樹は微笑み、「うん」と頷いた。
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