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二
第五十三話
しおりを挟む一同はカウンターの外をただじっと眺めていた。
「お客さん、少ないね」
「そうだねぇ……」
書き入れ時である週末の夕方。それにも拘らずモールには閑古鳥が鳴く。最近オープンした超大型ショッピングモールが影響しているようだった。
「少し経てば戻って来ると期待してたけど、まだまだだね」
裏からは司沙の声がした。シフト入れ替えで着替えをしているようだ。
「俺、様子見て来ましょうか。もうすぐ上がるし」
海斗は両手を後頭部に組む体勢を保ったまま、そう提案した。
「え、楽しそう」
「何だか、スパイごっこみたい?」
「実は私まだ一回も行ってなくて。凄く混んでるって聞いてたから」
「へぇ、面白そうだねぇ。私も行ったことが、ないんだよ」
店長が賛同すると一致団結、ミッションを遂行することで固まった。瑞樹はそれ自体に興味がないものの、皆と居られることは喜びだった。
話し合いによりレディーファースト、まず女性陣が潜入する運びとなる。
「いってきます!」
「はい、いってらっしゃい」
「気を付けてね」
そして店番に残された四人。客もおらず、花さえ失った店内には海斗の口笛が虚しく奏でられていた。
「あ、その曲、聞いたことあるな」
「お、知ってますか? 俺大好きなんすよ、これ」
「上手いねぇ、海斗君。私には何の曲か、わからないけど」
口笛ながらもアップビートで送られたそのメロディは、周囲の者を惹きつけたようだ。
「僕も車のラジオで聞くくらいだからなぁ。テレビは見ないし」
「そうすか。これ、トレンディドラマの主題歌なんすよ。あ、車と言えば俺そろそろ免許取ろうかなって……」
その後は教習所の話になり、合宿はどうでしょうか、などのアドバイスを受けているとやがて、先陣が戻って来た。
「ああお帰り、みんな。どうだったかい?」
三人で行った筈がどうやら四人に増えている。すると美亜が後ろからひょこっと顔を出した。
「お、美亜ちゃん。さては、あっちのモールに行っていたな」
海斗が指を差し、悪戯に笑う。美亜はキャーッと両手で顔を覆ったので、どうやら伝わったようだった。
「そう、連れ戻してきたの」
葵が便乗すると、皆笑った。
「じゃあ司沙さん、行きましょう」
「うん、そうだね」
次は海斗と司沙の番。裏から入れてもらった美亜は早速購入した品々を披露し始める。
「あ、美亜ちゃん、爆買いっ」
女子は目を輝かせ、賑やかな様子。
「どうやら素敵なところのようだねぇ。私も楽しみになってきたよ」
店長の純粋な一言に一瞬の沈黙が駆け抜ける。当初の予定はさあ何だったか、シンキングタイムが与えられたようだ。魔物に取り憑かれていたと気づくのは、ものの二秒もかからなかった。
「あんなに大きなところだもん、魅力的だよね」
葵がふふっと笑う。
「でもどうなんでしょう。今は流行のお店がたくさん入ってるけど、後々撤退したりしますよね」
「ああ、そうだねぇ。ここのモールもそうだったよ。せっかく仲良しになった店長さんが次々に離れてしまってねぇ」
もしかしたらあそこも同じ様な運命を辿るのではないか、そんな空気が流れ始める。
パラダイムプラザ、それは大そうな名前を付けて寂れてしまってはとても痛々しいではないか。ライバルながらに哀れむそのシンパシーが、皆の表情に浮かんでいた。
そんな最中に海斗がひょっこり姿を現す。
「只今戻りました!」
やはりキラキラの笑顔で、敬礼をした。
「様子は聞かないまでも、わかるね」
茅野が可愛気に弄る。
一同の目は海斗が後ろ手に隠し持つ、買い物袋に集中された。
「さぁ、次は私たちの番だね、瑞樹君」
同じく少年のような目をした店長に相槌を打ち、出掛ける。
物欲のない瑞樹にとってはミッションよりも、店長と二人きりになることの方が気がかりだった。言葉を話さない美亜以外の人間とは、どうしても緊張を覚えてしまう。それが、どんなに大好きな人だとしても。
「やあ、八神さん。もう、上がりかい?」
店を出るとすぐ、年配の男性に声を掛けられた。たこ兵衛と書かれた赤いエプロン、同じ色に火照った頬からは、仕事に励んだ跡が窺える。おそらく言っていた、仲良くなった仲間、なのだろう。
店長はやあと挨拶を交わし、モールへ偵察に行く旨を告げた。相手は、あーあそこかぁ、と眉間に皺を寄せる。どうやら邪険に思っているのは、身内だけではないらしい。
まだ少し寒さが残る早春の夕方。ぽつぽつと歩く二人の影が、揺れていた。
「みんなで仲良くなることは、できないのかねぇ」
店長は突然ぽつりとそう呟いた。
独り言なのか、どう返していいのかわからない。ひとつだけわかることは、この人の情深さ。競争をし合わず互いに共存できれば平和である。だが現実はそう甘くはない。夢見る人間はただ、その無情に嘆くことしか、できないのだ。
「瑞樹君、こっちから行かないかい? どうも大通りは、苦手でねぇ」
その小道の差す方向にドキリとする。そこはあの施設へと繋がる道だった。
丁度同じ季節の同じ時間帯、胸を震わせここを歩いていた。
あの子を必死で、探していた。
「ああ、美亜ちゃんの通っているところだね」
優しい所長に見守られるその楽園は、既に閑散としていた。活き活きと輝いていた児童らの顔がそこに浮かぶ。
「美亜ちゃんの素敵な絵があそこに、飾られてるんですよ」
と、自然に口を動かしていた。
「へぇ、そうなんだぁ。見てみたいねぇ」
店長はその時、思い出したように言った。
「ああそうだ。大切なお友達がここに、いたんだよね」
キュッと胸が締め付けられる。
ルカ……
この素晴らしい人達に巡り合わせてくれた人。消えかかった人生を、再び灯してくれた人。
「バイトをしようと思ったのも、あの子のお陰なんです」
そう告げると店長は感慨深げに、「そうかぁ。そうなんだ」と言って、空を見上げた。
そして、「よく覚えているよ、君が最初に来た日のことを」と呟いた。
瑞樹は、えっ、と彼の方へ身を向ける。
「その真っ直ぐな目を見てね。ああ、この子がうちの家族になってくれるんだって、そう思ったよ」
うちの家族……
その言葉に、心が溶かされるようだった。何と心地が良いのだろう。緊張するだなんて、心配する必要はなかった。良い人と一緒にいる時は、身を任せればそれでいい。改めてそんなことを、実感した。
公園の中を通り抜けると、橋が見える。その先へ行けば目的地というところ。そこで二人はふと立ち止まった。
「綺麗だねぇ」
目の前には夕焼けが真っ赤に、広がっていた。いつか見た朝日が思い出される。
「ただね、今は少し悲しいなぁ」
赤みに照らされた横顔は、何とも切な気だった。そして、こう続けた。
「私の家族がねぇ。逝ってしまったんだ」
乾いた空気にそっと放たれたその言葉。
思いも寄らなかったその言葉。
それは瑞樹の耳に木霊し、胸を打った。
「そう、ですか……」
としか、言えなかった。
「ごめんね、急にこんな話をしてしまって。この景色を見たら、思い出してしまってねぇ……」
「いえ……」
暗闇が辺りをゆっくりと包み込む。何かをしなければ、と気持ちがそわそわと落ち着かない。自分を家族と言ってくれたこの人の力になりたい、という思い。
「あの、僕の父も他界しているんです。ずっと前に……」
言いたかったのはそれだけじゃない。だが、その一言は予想以上に重く、喉を圧迫した。
「ああ、そうだったんだね。ごめんね、知らなかったよ……大変だったろう」
そう言って、そっと肩に手を触れた。
また自分が癒されている。伝えたいことはそれじゃない。それじゃないのに。
情けなさに俯くと、店主はこう続けた。
「私は君のお父さんだと思っているんだ。みんなもそう。私の、子供達なんだよ」
どうしてそんなに優しく笑えるのか。傷ついて悲しいのは、この人自身であるのに。
溢れる涙を必死で堪える。凍り付いた心が次第に溶かされ、ほかほかと温かい。瑞樹はやっとのことでその顔を見つめ、嬉しそうにこくんと頷いた。
父、は安堵の微笑みで「あ、おじいちゃんかもしれないなぁ」と冗談を言う。二人のクスクスと穏やかな笑い声は、暗がりに明るく咲いていた。
「じゃあ、帰ろうか」
仲睦まじい父子の姿は、橋を渡ることは、なかった。
「お帰りなさい!」
「どうでした? 大きかったでしょう」
無反応の二人に、皆はきょとんと静止する。
「ああ、夕日がとっても綺麗でねぇ。眺めていたんだよ」
「え、行ってないんっすか?」
最後の部隊は、偵察どころか目的地にさえ辿り着いていなかった。
場はシュールな空気に包まれる。
「あの、これ、笑っていいとこっすか?」
海斗を皮切りに皆、吹き出した。
とても幸せそうな笑顔。気付けば瑞樹も声を出して、笑っていた。
心痛の一日。ただみんなと居れば、大丈夫な気がした。
きっと大丈夫、と。
「すみませーん、いいかしら?」
笑う門には福来る。カウンターには年配の婦人達が集まっていた。
「はい、いらっしゃいませ!」
店内には元気な掛声が、一斉に響き渡った。
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