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二
第五十五話
しおりを挟む周りは等身像を順調に進めていた。
瑞樹はそんな中すっと上に伸びた芯棒にせっせと粘土を貼り付ける。
心の中に渦巻く変化。それが何なのか、正確にはわからない。ただ、新たなことに挑戦したい、何かを変えてみたい、という情熱に動かされていた。
手に取るこの一片一片が肉となり、命となる。大切な人を作るのだから真摯に向き合わねばと、全神経を集中させた。
そこでカシャッと音が鳴る。我に返り振り向くと、もうその瞬間にわかっていたが、髭の教授がいた。瑞樹のポートレイトを手に、じっと見入っている。
「続けてろ」
と彼は言う。
向き直りまた作業をするも、傍らが気になってどうにも落ち着かない。何かまた言われるんじゃないかと質問パターンそして解答例が頭の中を駆け巡る。
するとカシャッと再び音がして、行ってしまった。
机上に戻されたルカの顔が微笑む。
姿を消してしまってからというもの、一度も開くことのできなかったこのスケッチブック。触れることさえかなりの勇気が必要だった。それは痛々しい人生の経験から学んだ負の遺産。もう傷つくのはご免だと身体が拒否反応を示していた。
だが花見の夜を機に、決死の覚悟で開いてみれば一瞬で憂いは喜びへと変わる。
また会えた気がした。
父の時とは違う、それは亡き者かどうかの差なのであろうか。その澄み渡る純粋な眼差しは、心が救われるようだった。
そしてもうひとつ、気づいたことがある。
とある文献の一説。仏の顔は見る者によってその表情を変える、というのだ。個人個人が己の心境を反映し、そこに癒しや怒りを映し出す。少年の表情はそれに近いような気がした。
瑞樹が微笑みを表現して作成するこの頭像も、今こうしてひとつひとつ肉を足すにつれ、実はそうではないかもしれない、と思わされた。
指先で鼻筋、口元、そして瞳を優しく撫でながら、おうとつを入れていく。きっと奴らは、この顔に怒りを覚えたのではないだろうか。だからあの時何も言わず、黙っていた。
瑞樹は仏師の如く、この世に彼を蘇らせるように、丁寧に手先を動かした。
ブルルル……
『瑞樹君、今日集会したいんだけど、来れるかな?』
駅前で開いたメッセージ、茅野からだった。またみんなに会えると、笑顔が綻ぶ。開校中はバイトから離れていたため、寂しさを覚えていた。
大学には喋る者もおらず、ひとりきり。もしかしたら仲間と同じ類の人間がここにもいるのではないかと思ったことはあるが、一から関係を築くのも億劫であった。
ホームに入ると、
「只今人身事故のため、ダイヤが乱れております」
というアナウンスが流れる。
はぁー、チッなどの不快な反応の中、瑞樹の肩も落ちる。『遅れるかもしれない』と返信し壁面看板の横に背を凭れかけた。
トントントンと階段を上がる中年サラリーマンは線路に向かいペッと唾を吐きかける。それをギロッと睨みつける女子高生の三人組。その隣にはアナウンスを聞きそびれているだろうヘッドホンにスマホ画面を眺める若い男性がおり、それぞれがそれぞれの退屈な時間をやり過ごしていた。
瑞樹もそれに倣い、携帯を指先でスワイプする。
『一冊から書籍が作れる』
『自費出版ならお任せ』
『クリックで簡単にあなたの本が作れます』
ちょっと検索しただけで無数にヒットする自費出版のウェブサイト。どれもこれも似通っているので判別の仕様がない。その中でも比較サイトなどを活用し、絵本として適しているだろうと思われる業者をいくつかピックアップする。
すると「間もなく一番線に電車が参ります」と流れ、その頃には場内がかなりの賑わいを見せていた。収容人数的に本当に大丈夫なのだろうかとの疑問を抱えながら、駅員に押し込められ発車する。
瑞樹は先の女子高生とおしくらまんじゅうで揺さぶられていた。こういった時には痴漢と間違えられないよう両手をつり革へやる。最近ではそれを『マナー』などと呼んでいるらしい。
「最近さぁ、多くない? 人身事故」
「本当だよねー、自殺ってこと?」
「あり得る」
「何かさぁ、めちゃくちゃグロいらしいよ、死体」
「マジ? 最悪」
こそこそと気味の悪い話を半ばファンタジーのように語るこの乙女らには、死を悼むという感情が沸かないのだろうか。
自分が本気で死を決意したのは、あの子に初めて出会った日。一瞬その瞳を見ただけで、そんな願望は、遙か彼方へ消えていた。
「瑞樹君!」
茅野がいつもの場所で手を振っている。仲間の視線が降り注がれる。家に帰って来たような、そんな憩いが感じられた。
「瑞樹君、良かった会えて。でもごめんね、もう、帰らないと」
菜美がやや青い形相ですくっと立ち上がった。どうやら待ってくれていたようだ。彼女は晴れて短大生となり、集会への参加を許されていた。
「また旅行行こうって話してたんだ。夏にさ」
背もたれに寄り掛かり両手を後頭部の姿勢で、海斗の朗報が知らせられる。詳細については美亜が帰り道に説明をすることとなった。
「それじゃあ、またね」
と言う皆の仕草は瑞樹の寂しさが投影されているようだった。
いよいよ歩けばじんわりと汗ばむくらいの気候となり、道行く人も心なしか愉快である。その雰囲気も働いたのか、二人の足取りも軽かった。
『期間は、お盆休みの三日間。大丈夫かな?』
母はおそらく仕事だろう。桜井家のお盆は日和がフレキシブルであった。瑞樹はそれを踏まえ、うんと返事をする。
『店長さんはまた来れないみたい。息子さんの家に行くんだって。』
美亜の落胆の顔色が光る画面に照らされる。
息子さんの家……
家族を亡くしたと聞いてから、その話に一切触れることはなかった。他の仲間も普通に彼と接する様子から、既知かどうかも定かではない。瑞樹はひとり、その件に関してはずっともやもやとしていた。
家族と言えば妻だろうか、もしくは我々のように他にも『家族』という存在がいるのか、色々と邪推した。だが答えが得られるわけもなく、このまま無視できるわけもない。さぁ、どうすればいいかというところで、
『大丈夫? 具合、悪い?』
と美亜が心配する。
口唇術のせいか、些細な変化に敏感なようだ。
うん、大丈夫、と頼りない笑顔を見せ、別れを告げた。
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