絵描き令嬢は元辺境伯の愛に包まれスローライフを謳歌する

(旧32)光延ミトジ

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二章 婚約式

another:それを初恋と呼んでもいいのだろうか:Sideノア

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 ノア=クローバーフィールドは婚約者のプリシア=ローズハートの私室に招かれていた。密室にふたりきりになるなど、貴族の子息令嬢として褒められた行動ではないが、昔からの付き合いがある婚約者同士のため、彼女の両親である男爵夫妻が苦言を呈すことはない。

 彼女はノアに背を向けて上機嫌で姿見の前に立っていた。貴族御用達の洋品店で購入したばかりのドレスを身体に当てており、ピンクブロンドの髪を揺らしながら振り向いては、ノアに感想を聞いてくる。もう何着そうしているかわからないが、終わりは見えない。

「ねえねえ、ノア、このドレスはどうかしら? 次の伯爵家のお茶会に着て行こうと思うんだけど」
「ピンク? もう十八だろ。少し派手すぎるんじゃないか?」
「地味になるよりはいいじゃない。もうすぐ領地へ行かないといけないのよ? 地味な男爵令嬢は印象に残らないもの」
「……意味があるんだったら、それでいいと思うよ。宝飾品は? ルビー?」
「ルビーだけはないわ」

 少し前ピンクのドレスに赤い宝石を合わせるのがブームになっていた。それを知っていたから提案したのだが一蹴される。

「あたし、赤は嫌いなの」

 そう言うプリシアの目は濁っていた。

 少し幼い顔立ちの彼女は、にこにこ笑っていれば庇護欲を掻き立てる愛らしさがあるが、時折、ぞっとするくらい冷たい表情を表に出す。ノアを信頼して、そういう顔を見せている……のではない。ただ単に感情を隠すのがヘタなのだ。

 子供の頃から知っているが、彼女はまったく変わらない。欲しいと思えば欲しいとすぐに口にするし、嫌なことは嫌だからやらない、特別扱いされるのが嬉しくて、褒められることが好き、気に入らなければすぐに癇癪を起こす……学園を卒業して一人前の貴族と見做される歳になっても、中身は子供のままだった。

 ノアとプリシアの婚約は政略的に結ばれたものだ。爵位が同じ男爵で、治めている領地が隣同士だったため、八歳になった時に婚約が結ばれた。それ以前から何度か、王都のタウンハウスを行き来して顔を合わせていたこともあり、本人同士も友愛の延長ではあったが、互いが将来の結婚相手だとすぐに受け入れた。そもそもノアは男爵家の三男でしかない。どこかの家に婿養子として入る必要があることは、物心ついた時からわかっていた。

 そのことを、プリシアも成長するにつれて理解したのだろう。プリシアのノアの扱いは歳を重ねるごとに変わっていった。幼馴染の友人同士、対等であったはずの関係は、崩壊したのだ。

 きっかけは十二歳になったばかりの頃。ノアは婚約者の姉であるアメリアから木彫りの小鳥をもらった。ブローチよりも少し大きいくらいの小鳥で、彼女の部屋の窓から見える木の枝によくいるらしい。どうしてだか、ノアはそれが欲しくて欲しくてしかたなかった。だからつい『この前、誕生日だったんだ』とねだり、今にも鳴き出しそうな木彫りの小鳥を譲ってもらった。

 そのことを知ってか知らずか、プリシアは『それちょうだい!』と言い出した。断っても断っても彼女は諦めず、ついには泣きながら『ノアは意地悪だわ! ノアと結婚なんてしない! あたしはパパみたいに優しい人と結婚するの!』と喚き出す。ノア=クローバーフィールドは自分の立場がわかっていた。だから慌ててプリシアに謝り、木彫りの小鳥を差し出したのだ。

 だが数日も経てば、木彫りの小鳥は捨てられていた。ノアは廊下に転がる小鳥を拾い、汚れてしまった羽を何度も、何度も拭いた。美しい、大事なものが、元に戻るように――

 それ以来、プリシアの言うことをノアが拒否すると、彼女は必ず『ノアと結婚しない!』と喚くようになった。お互いの立場がどういうものか理解し始めてからは『あたしと結婚できなかったら、あなたは平民に落ちるのよ』とまで言うようになったのだ。その頃にはノアからプリシアへの好感情は残らず消え失せていた。

 立場が対等へと転じたのは学園に入学してからだ。高位貴族や王家の人間までいる世界に投げ込まれ、プリシアはローズハート男爵家が取るに足らない爵位と領地しか持たないと、痛感し、理解したのだろう。入学は十五歳からだ。優秀な婿のなり手は売却済み。さほど裕福でもない田舎の男爵家に婿入りを希望する者もいないと知り、ノアへ婚約解消をほのめかすことはなくなった。

 もしくは父親のレオル=ローズハート男爵に何か言い含められたのかもしれない。男爵は前妻と結婚している間に浮気相手との間に子供を作り、前妻亡きあとに実子として引き取っている。その際、前妻の生家――ケイト=スペード家と因縁ができた。しかし領地が近く、お互いに共同事業を起こしていたこともあり、貸しひとつということで穏便にコトを済ませている。その状況でクローバーフィールドとも因縁を抱えたくはないのだろう。

 成人を控えている今、ノアとプリシアの関係は対等だ。婚約者として社交界でも紹介され、すでにローズハート男爵家の家政状況まで把握している。今さら婚約解消されることはない。だからノアは、プリシアに遠慮する必要もなかった。

「赤が嫌いなのはローズハート家の色だから? 君は持ってないもんね」

 これまでの仕返しとばかりに嫌味を吐き出すこともできる。

「うるさい!」

 プリシアは持っていたドレスをノアに投げつけた。当たったところでたいした威力はない。ノアはフンと鼻で笑った。そんな反応をしたことで、プリシアがさらに激昂することはわかっている。

「うるさい! うるさい! うるさい! 赤なんてなくても次のローズハート男爵はあたしなの! あいつじゃない!!」
「誰もお義姉様のことなんて言ってないだろう?」
「言ってるのと同じよ!!」

 そう叫び、彼女はピンクブロンドの髪を掻き乱した。

「あんな下品な赤いらないわ! そうよ……赤を持ってたって、意味ないの! あいつは、貴族失格の烙印を押されて、辺境のジジイの玩具にされるんだから!」
「辺境のジジイね……」
「そうよ! そうだわ! あははっ! 意味ないのよ!」

 怒っていたかと思えば、急にキャッキャと笑い出す。

(完全にいかれてるな)

 頭がおかしい婚約者だが、ノアはそれでいいと思っていた。そのほうがのちのち都合がいい。女男爵の気が触れているとなれば、夫として家政を掌握し、小さいながら所有している領地を、自分の好きに動かせる。子供さえいれば、その子が跡を継ぐまで男爵領を思いのままにできるだろう。

 きっと現男爵は何も言わない。良く言えば温厚、有り体に言えば気が弱いレオル=ローズハートであれば、よほど妻を虐げるだとか、圧政を敷くだとか、そういった大きな理由でもない限り、立ちはだかったりしないはずだ。

(むしろ気をつけないといけないのは、夫人のほうだ)

 よくよく思えば、あの気弱な男がよくもまあ浮気などできたと思う。よっぽど前妻と嫌い合っていたか、魔が差したか、浮気相手の女が上手くやったかだ。ノアは現男爵夫人の手腕だと考えている。レオルを誘惑し、子供をこさえ、前妻が没すると同時に男爵夫人に収まった。彼女が敵になるのか、味方になるのか、それとも静観してくるのか、現段階では判断できない。

 目の前の同い歳の婚約者は、ノアがそんなことを考えているなんて、微塵も想像していないのだろう。父親がそうしているように、領地は管理人に任せて、王都で暮らせばいいとでも思っているに違いない。

 ふと頭に鮮やかな赤が浮かんだ。

(たぶんアメリアは知らなかったんだろう)

 ずっと昔から、後継者はプリシアに決まっていた。男爵夫人――アメリアにとっての義母がそう望み、男爵が叶えると決めた。実母の生家であるケイト=スペード子爵家はそのことを知っていて、異議を申し立てなかった。その年に提携事業の利益分配が大きく変わったからだ。利益を優先して、ケイト=スペード家は半分とはいえ、一族の血を引く娘を切り捨てた。

 何も知らなかったのはアメリアだけ。周りの大人は口にしないだけで、とっくの昔に彼女を捨てていた。

 哀れだと、思う。

 彼女の不遇な環境をノアは知っていた。だからローズハート家のタウンハウスを訪れる度に、アメリアの姿を目で追っていた。家族に溶け込めず、使用人に腫れ物に触るかのように扱われ、自分の世界にこもりながらも家族をジッと見つめる彼女の、グリーンアイは、十年以上経った今でも脳裏に焼き付いている。

「どうしてそんなに嫌いなんだ?」
「何がよ?」
「お義姉様のことだよ。異母妹だからイジメられたとか、そういうことじゃないんだろう? なのにどうしてそんなに嫌ってるんだ?」

 ずっと聞いてみたかった。

 それでも聞かずにいたことを、なんでもない風を装って聞く。機嫌が良かったのかプリシアはふふっと笑って口を開いた。

「そんなの、あいつが気持ち悪いからよ。あの女、沼みたいな緑の目でジーッと見てくるの。不気味だわ」
「それだけか?」
「それだけですって? あんた、分かってないわ。あいつの目はね、あたしたちを見る目と、その辺の花瓶を見る目が一緒なのよ。花瓶だけじゃないわ。犬を見る目も鳥を見る目も、炉の火を見る目も、全部同じ。気持ち悪い目。何度抉り出してやろうと思ったことか……!」

 プリシアが親指の爪を噛む。

 彼女の言うことは、ノアにはあまりピンとこなかった。アメリア=ローズハートが自分の世界にいることは察していたが、彼女の目が気持ち悪いだなんて、そんなことは思ったこともない。むしろノアには、美しい宝石のように見えていた。光を孕んでいる、全てを見透かすような、美しい緑だ。

「辺境に行っても、きっとあの目をやめないんでしょうね。あの目でジジイを見て痛い目に遭えばいいわ! 玩具よ、玩具! 好色ジジイの玩具! あははっ!」
「好色ジジイって言うけど、お義姉様の旦那になる人は、あの英雄なんだろう?」
「英雄が何よ。知らないの? 伝説には尾鰭がつくものなの。数十年前はすごい人だったかもしれないけど、今となってはただの色ボケジジイよ」
「そういうものかな?」
「違うって言うの?」
「君の言うように、本当に色ボケジジイが若い女を玩具にしたいなら、わざわざよその領地の令嬢に声をかける必要なんてないだろう? 好き勝手できる若い女なんて、領地にいくらでもいる」
「何が言いたいのよ?」

 プリシアが鋭い目でノアを睨む。

「まさかあの女が見初められて北へ行ったとでも言うの? あんな下品な赤い髪の女が? 馬鹿なこと言わないでちょうだい!」
「馬鹿なことか? 普通に美人だろ。お義姉様」
「なんですって!?」

 ドスドスと令嬢らしからぬ足音を立ててプリシアが近付いて来た。目の前に立った彼女が右手を振り上げ、ノアの頬を殴った。

「ってて……」
「あんたまさかあいつのことが好きなの!?」
「そんなこと言ってないだろ」
「美人って言ったじゃない! 目おかしいんじゃないの!?」

 頬が熱を持っている。触れてみれば指先に血がついた。噛んでいた爪が引っかかったのだろう。

(俺の目がおかしいなら、そっちは頭がおかしいだろ)

 さすがに口にはしないが、見下している女に殴られて苛立たないほど、ノアは冷静でもなければ温厚でもない。舌打ちをしてプリシアの腕を掴んだ。

「ちょっと! 離しなさいよ!」
「………………」
「ねえ! 離してってば!!」

 片腕で動きを封じれる相手。プリシアにその程度の力しかないことを認識すれば、頭に昇っていた血がスッと下がってくる。今はまだ、だ。どんなに鬱陶しく、嫌いな相手でも、子供を産ませるまでは切り捨てられない。

 ノアは突き放すように腕を離した。

「きゃっ!」

 床に倒れたプリシアに向かって、子供が着るようなピンク色のドレスを投げつける。そのまま部屋を出てドアを閉めれば、うしろから女の激高した声が聞こえてきた。

(不愉快な声だ)

 もしかするとプリシアの声は、家の中にいる男爵夫妻にも聞こえているかもしれない。だが彼女が叫ぶのも、怒鳴るのも日常茶飯事だ。多少の小言はあるかもしれないが、それで何かが変わることもない。

(きっと俺は幸せな結婚生活なんて送れない。でも君は……もうそろそろ、幸せになってもいいと思う)

 木彫りの小鳥を最近になってよく思い出すようになった。二度と奪われないように、あの日の小鳥は大事に、大事にしまっている。鮮烈な赤と静かな緑を、おそらくノアは一生、忘れることはないだろう。

 ノア=クローバーフィールドは頬に浮かんだ血を手の甲で拭い、婿入りする家の敷地をあとにした。


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