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三章 贋作者騒動

25:王都にて:Sideエリック

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『私は絵を描くために生まれてきた。

 そして、世の中に溢れる美しいものをより美しく、己の感性の赴くまま描くために生きている。吹きすさぶ風も、春の日差しも、遠くに聞こえる小鳥の囀りさえも、私はキャンバスに描いてみせよう。

 何も大げさなことは言っていない。私の絵を見てもらえさえすれば、私が自身の才能を誇大に謳っているわけでないのだと、読者諸君にも理解してもらえるはずだ。ルーカス=アストライオス初期の作品である『夕暮れの湖畔』や『春告鳥』はその最たる例だと言えよう。我が愛すべき故郷、ローズハート男爵領の心象風景を描き出すことに成功した。

 私は、天より才能を与えられたのだ。才能の輝きが目に見えるものであれば、私は私を見た者の目を焼くほど、眩い光を纏っていることだろう。常人や凡人とは一線を画し、有象無象の芸術家とは種類が違うのだ。これまでの堅苦しい慣例、技術、常識で私の絵は語れない。人間の、それも一部の芸術家が生み出した矮小な基準で、私の絵は語れない。

 彼らは人間を描く。私は人間を描かない。前述したように、私は美しいものを描くのだ。薄汚い二足歩行の獣をモデルにしたいとは思わない。そのようなものに創作意欲は掻き立てられないのだ。裸体の娼婦を目の前にするより、牧場の柵に止まる小鳥を目にした瞬間のほうが、私は遥かに気分が高まる。筆が走る。真に美しいものとは、自然にこそあるのだ――』

 ――ルーカス=アストライオスの名で締めくくられた手記は、掲載される頻度が上がってきているようだ。そして回を重ねるにつれ、過激な主張と、現代の芸術家や画壇への批判が増えてきている。

「品がありません」

 王都の中心地にある、それなりにいいホテルのロビーに、彼らはいた。

 エリック=ハルドは新聞を閉じると、短くそう吐き捨てた。さほど大きな声ではなかったが、アンティークのテーブルを挟んで正面に座る男――ティグルス=メザーフィールドには聞こえていたようだ。その証拠に「そうですね」と静かな声が返ってくる。エリックが様子を窺うように見ると、ティグルスは足を組んで目を閉じ、優雅に紅茶を飲んでいた。

 先代辺境伯の懐刀と共に、ホワイトディア辺境領を出て、かれこれ一週間が経っている。途中、ローズハート男爵領をこっそり見て回ったが、それでも予定よりも早く四日で王都に到着し、辺境伯家の寄子の屋敷に相棒の飛竜ゼニスを預けた。そして王都の、エリックの金銭感覚では絶対に連泊はしない値段のホテルに、拠点を構えたのが三日前のことである。

(アメリア様は、目がお覚めになったのだろうか)

 バラリオス城を出る時、彼女は疲労と睡眠不足で床に伏しており、眠ったままだった。彼女の前では『ラファエル』と名乗っているらしい彼は、今でも時折、心配そうに北を見ていることがある。

 エリックは未だ実感が湧かずにいた。ティグルス=メザーフィールドと言えば、オリオン=ホワイトディアを語る時、決して無視できない存在である。業務や任務の上で直接関わったことはない。十五年前、彼がホワイトディア家を離れた時、エリックはまだ十四歳の若造だった。彼の父であるエリティカや、歳の離れた兄たちはいろいろと関係していたようだが、エリックは詳細を知らない。

 だからこそ、話に聞くだけの偉大な――言葉を隠さずに言えば、腹に一物も二物も抱えた老獪とも呼ぶべき存在と、ふたりきりで行動していることに、実感が湧かないのだ。父や兄であれば、こうは思わなかっただろう。本当に自分の身内か疑ってしまうくらい、彼らは優秀で、癖の強い血族だ。

 エリック=ハルドは凡人だった。なるのが困難な竜騎士になれたくらいだから、当然のこと、優秀ではある。けれど彼自身、己は凡人の枠を超え切らない人間だと、理解していた。どう足掻いても父や兄たちのようにはなれない。とはいえ、悲観的な気持ちは微塵もないのだが。

「ローズハート男爵領には人が押し寄せていましたね」

 ティグルスが空のカップを置いて言った。

「……『ルーカス=アストライオス』のファンですか?」
「そうでしょうね。特段、名産物のない領地にしてみれば、嬉しい悲鳴でしょう。村のほうでも、新規の宿泊施設や食事処がオープンするようでしたしね」
「ティグルス様は、何度も立ち寄っていたとか」
「ええ。お嬢様の絵を受け取るために足を運んでいましたよ。その頃は食事処とふた部屋しかない宿が、一軒あっただけでした」
「そうでしたか……」

 エリックも一度、ローズハート男爵領に入ったことがある。それは半年前、オリオンの命を受けて、婚約者のアメリアを迎えに行った時だ。どこにでもありそうな、目立った何かがない領地だった。だから、この大きい村とも、小さな町とも呼べる場所で過ごしていた令嬢は、ホワイトディア辺境領に来たら驚くだろうと、顔に出さずに思っていた。

 実際に会ってみれば、彼女はエリックに負けず劣らず表情の変化が乏しい人物で、北の地に入っても驚いたりしていないようだった。でもそれは表情だけを取ればの話だ。馬車の窓から外を眺める彼女の緑の目は、爛々と輝いていた。その目を見た時、エリックは悟ったのである。彼女は常人ではなく、己の世界を持つ、才能人なのだ、と――。

 ティグルスが手を差し出してくる。エリックは彼の手の平を見て、持っていた新聞を渡した。手記のページを開いて、ティグルスは文面の一部を指差す。

「絵の場所は把握していても、この偽物は本物の正体を知らないようです」
「裸体の娼婦のくだりですか?」
「ええ。このような表現になるのは『ルーカス=アストライオス』を男だと認識してるからでしょう」

 その推論には一理あった。そもそも誰も、女性が――しかもその領地を治めている男爵家の令嬢が天才画家の正体だとは、想像すらしないだろう。エリックも彼女が描いている場面を目にしなければ、そんなまさか……と疑っていたはずだ。

「ではここの、我が愛すべき故郷、という点についてはどう思われますか? 今は正体が判明していないだけで、近付いている可能性は?」
「ないとは言い切れませんが、ルーカスのファンであるなら、誰しもその結論に至るはずです。何せルーカスはローズハート男爵領の絵しか描いていません。そこに在住しているか、深い思い入れがあると考えるのは自然なことです」
「なるほど……そういうことであれば、今後はホワイトディア辺境領で描かれた絵が増えていくわけですから、撹乱にもなりそうです」
「悪くない手ですね。ホワイトディアを巻き込めば、偽物……功績を掻っ攫おうとしているのですから、あえて贋作者と呼びましょう。この人物も迂闊なことはできなくなります」

 目の前の人物の声音は穏やかだった。感情を抑える術を心得た人だ。今もあえて穏やかに、冷静に振る舞っているのだろう。内心はそうではないはずだ。大事に、大事に育ててきた掌中の珠の名声も功績も、すべて奪われようとしている。否、そもそも名を騙られることにさえ、腸が煮えくり返っているに違いない。荒々しい負の感情を完全に抑制できているのは、年の功か、本人の性質か。なんとなく後者のような気がした。したけれど、自分程度の人間に目の前の老獪の一部であっても、理解できないとも思った。

 エリックがそんなことを考えている間も、ティグルスは静かに、淡々と話を続けている。品のある優雅な仕草、佇まいは、どこからどう見ても高位貴族のソレだ。画商を名乗っていて疑われないのかと不思議に思う。

「贋作者の目的がどこにあるのか、はっきりしませんが……まあ、それは追々明らかにしていきましょう……さて、時間ですね」
「はい」
「参りましょうか」

 今日のエリックの装いは騎士のものではない。目立つ武器は置き、服の下に細身のナイフを忍ばせているだけ。代わりに持っているのは、布に包まれたキャンバスだ。画商『ラファエル』の部下。それが今日の彼に与えられた役柄だった。

 ティグルスの一歩後ろをついて、ホテルを出る。そのままの足でふたりが向かったのは、ルーカス=アストライオスの手記を載せた新聞社だ。王都の高級宿泊施設が建ち並ぶ閑静なエリアを抜けると、新聞社のあるエリアが見えてきた。

「ラファエル様、あの建物です」

 三階建ての四角い建物だ。レンガが点々と苔生しているため、少し古めかしい印象を与える。この周辺の立地から考えると、もともとこの新聞社の羽振りは、さほど良くなかったのだろう。

 ドアを開けて中に入ると、正面に受付のカウンターがあった。それとなく内装を窺い見たが、左右にそれぞれドアがあり、全容を把握することはできない。ドアで空間が仕切られているのは、情報提供者の身元が明らかになったり、顔が露見するのを防ぐためだろう。どことなく圧迫感を覚える造りになっているが、ティグルスは気にしていないようだった。にこやかな顔で受付へと進み、眼鏡をかけた若い男性に「こんにちは」と声をかける。

「こんにちは。本日はどのような御用件でしょうか?」
「おたくの新聞で『ルーカス=アストライオス』の手記を読みましてね。いくつかお聞きしたいことがあって、来たのです」
「申しわけございません。そちらに関しては何もお答えすることはできませんので、どうぞお引き取りください」

 青年は淡々と言葉を返した。もう何度も同じような対応をしてきたのだろう。まるで定型文をそのまま読んでいるかのような口調だった。

「ああ、自己紹介がまだでしたね。僕はラファエル=ユリオス。ルーカス=アストライオスの作品の売買を任されている、画商です」
「……証拠はございますか?」
「君に絵の真贋を見抜く目があり、ルーカス=アストライオスの絵を愛していらっしゃるのなら、こちらをご覧いただくのが早いかと」

 ティグルスが後ろを振り返る。エリックは前に進み出て、所持していたキャンバスを包んでいた布を外した。そこから現れた『ルーカス=アストライオス』の作品を目の当たりにして、受付の青年が目を見開く。

「まだ世に出回っていない作品です。タイトルは『朝焼けと凍った湖』と、僕がつけさせていただきました。さて……信用していただけましたか?」
「……手記を担当しているのは、我が社の社長、ヒースロー=ミンツです。生憎、ただ今留守にしております。戻り次第、連絡を差し上げますので、お店をお持ちならその住所、あるいはご滞在している宿の場所を教えていただけますか?」
「ええ、もちろんです。宿の場所は――」

 エリックは黙ったまま、ティグルスの言葉を聞いていた。彼はあらかたの話を終えると、エリックに絵をしまうように言う。その指示に従って布で包み直せば、受付の青年が名残惜しそうな目で絵を見つめていた。ティグルスは青年の目に気付いているようだったがあえて何も言わず「連絡をお待ちしていますよ」と言い残して、受付をあとにする。エリックもそれに続いて新聞社を出た。

 彼らが向かうのは、先ほどまでいた高級志向のホテルではない。それよりもグレードが落ちる、エリックの金銭感覚的に、連泊が心苦しくない値段の宿だ。隣に酒場兼食事処が併設されており、人の行き来も多い。

 ホテルと同様に、数日前から部屋をふたつ取っていた。ひとつはラファエル=ユリオスの名前で、もうひと部屋は『グウェン=トリトン』の名前で。エリックは絵をラファエルに預けると、グウェンの部屋に入った――。

 その日、日が暮れて、夜になっても新聞社からの連絡はなかった。しかし、日付けが変わってしばらくした頃――

(……来た……)

 隣の――ラファエルの部屋が騒がしくなる。薄い壁越しに物が落下する音や、男たちの声、バタバタと忙しい複数の足音が聞こえてきた。エリックは息を潜めて、隣の部屋の騒ぎが収束するのを待つ。

 しばらくすると音がやんだ。窓の外を見れば、五人の男たちが夜の闇に紛れて駆けて行くのが見えた。その内のふたりはひとつの麻袋を一緒に抱え、別のひとりは四角い――おそらくキャンバスを持っている。エリックは剣を手にすると、静かに窓を開けて、外へ飛び出した。

 すべて予定通りだ。新聞社が贋作者と繋がっているのなら、本物のルーカス=アストライオスと繋がっている僕たちに、正面きって接触してくることはないでしょう、と、ティグルスは言った。弁明の余地はないのだ。手記が広まっている以上、今さら嘘ですとは言えない。これまでどれほどの高評価を得ようとも表に出てこなかった画家を、懐柔するのも無理筋だ。

 そこにルーカス=アストライオスの未発表作『朝焼けと凍った湖』があれば、間違いなく手に入れようと動くはず……とティグルスは読んでいた。その手段が乱暴なものになるように、わざわざ王都でも治安の良くないエリアの、安い宿に滞在していると思わせて、襲撃のお膳立てまでしたわけだ。

(手っ取り早く贋作者に接触するために、自分を囮にしようって言うんだから……やはりあれは相当、腸が煮えくり返っているな)

 早く報復しますよ、とでも言わんばかりの作戦を立てた老獪を思い、エリックは深く溜め息をつく。こんな作戦に加担したと知れたら、父や兄たちに小言をもらうことになるのは明白だ。

(無傷……だったらいいのだが……)

 エリック=ハルドは、男たちを適度な距離を取りながら尾行しつつ、そんな希望的観測に縋るのだった――。




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