絵描き令嬢は元辺境伯の愛に包まれスローライフを謳歌する

(旧32)光延ミトジ

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四章 英雄の花嫁

57:血の繋がりは特別な絆と成り得るのか

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 日暮れの時間――

(あら?)

 それはまったくの偶然だった。

 絵の具を買って戻ったアメリアは、同じく買い物帰りであろう異母妹――プリシアと鉢合わせた。彼女の後ろには辺境伯家の男の使用人がいて、両手いっぱいに包装された箱を抱えている。

 辺境伯家の気遣いか、普段、アメリアは男爵家や子爵家の面々と顔を合わせることはない。寝起きはもちろん彼女の生活する場所は本城で、男爵家と子爵家は本城の外にある別邸を使っている。

 だからこそ、鉢合わせたのは予想外のできごとだ。向こうもそうなのだろう。プリシアはともかく、後ろにいる使用人の青年の顔は真っ青になっていた。まるで、マズいことになったと言わんばかりの表情だ。

 そこは本城と別邸のちょうど間――しいて言えば、やや本城寄りの場所である。アメリアは西の庭園――幾何学模様が美しいトピアリーガーデンを見るために、オリオンと穴あきの塔の下で待ち合わせをしていた。

(オリオン様をお待たせするわけにはいかないわ)

 それに、異母妹と話すこともない。アメリアはふっと視線を外し、プリシアの横を通りすぎた――

「ちょっと待ちなさいよ!」

 名前は呼ばれていないが、自分を制止する声だというのはわかった。アメリアは足を止めて振り返る。そこには案の定、ますます青い顔をした青年と、年齢よりも幼く見える顔を醜悪に歪ませたプリシアがいた。

「あたしを無視する気!?」

 異母妹の言葉にアメリアは首を傾げる。

 アメリア自身に攻撃の意思はないが、異母妹のほうにソレがあることは理解していた。そしてプリシアの状況を考えれば異母姉に攻撃を仕掛けるべきではない。ここはお互いに関わらないことが最善だろう。

(わかっていないはずはないと思うのだけれど……)

 睨んでくるプリシアを、アメリアは凪いだ瞳で見つめ返した。

 先に視線を逸らしたのは異母妹だ。彼女は腕を組んでふんと鼻を鳴らした。

 横柄な態度に後ろで使用人が顔を顰めているが、彼の立場では口を挟むことはできないようだ。年若い使用人の青年が、なんと命じられているのかアメリアにはわからない。けれど十中八九、報告の義務は負っているはずだ。ヘタなことを口走れば大変なことになる。熱に浮かされていた――という言い訳は二度も使えないのだから。

 とはいえ、アメリアがそのことを指摘すれば火に油を注ぐようなものだ。何故か異母妹には悪感情を向けられている。人を恨み、憎み、嫌うのは、なかなか気疲れするだろうに、プリシアはアメリアにそれらの感情を向けていた。

(不思議な話ね)

 良い感情か悪い感情かはともかく、強い想いを向けられるほどの関係性が、自分たち異母姉妹の間にあるとは思えない。不思議なものを見る目のアメリアに気付かないまま、プリシアが吐き捨てるように「騙されたわ」と言った。

「辺境って名前のくせに、まるで王都じゃない。まあ、あんたには言ってもわからないでしょうけどね。いつも家に引きこもっていたから、王都の光景なんて知らないんでしょう?」
「ええ、そうね」
「ドレスもスイーツも一流のお店ばっかり。オリオン様がお金を出してくれるって言うから、こんなに買っちゃった!」

 プリシアが買ってきた品を自慢気に示す。アメリアがそちらへ目を向けると、両手いっぱいに荷物を抱えている使用人の青年は、とてもバツの悪そうな顔でわずかに目を伏せた。

「あの人、あたしのことが可愛いみたいね」

 ふふふ、と笑い、異母妹はピンクブロンドの髪をくるくると指先に巻きつける。

「あんなおじいさんに女として見られるのは嫌だけど、孫みたいに思ってもらうのはいいかも。お金持ちの英雄なんでしょう? なんでも買ってもらえて、周りの人にちやほやしてもらえて……ああ、だからあんたも妻になるの嫌がってないのね」
「どういう意味?」
「そのままの意味よ。オリオン=ホワイトディアの妻になって、周りの人に大事にされたいんでしょう? 崇められて? 讃えられて? ここでなら受け入れてもらえるとか思ってるんじゃない?」

 前回と同じだ。

 異母妹に向けられる嘲りの表情に、アメリアは困ったように眉を寄せる。プリシアも以前と同じ言い訳を使えないとわかっているはずだ……と思っていたが、もしかすると、わかっていないのだろうか。

 関係が希薄な異母妹だが、彼女の暴走がオリオンはもとより、ホワイトディア家の迷惑になるのなら、釘を刺しておくべきなのかもしれない。例え、プリシアに届くはずがないとわかっていても。

 アメリアが口を開き、短く息を吸う――のと同時に、プリシアが嗤った。耳の奥に響く高い声だ。

 いつの間にか夕焼けが濃くなっている。春の走りの季節の、昼と夜の境の時間は一瞬だ。もう少し季節が進めば夕暮れの時間も長くなるだろう。本当ならば今頃、濃色の橙色に染まるトピアリーガーデンを描いているはずだった。

(陰影の具合を――)

 ――意識が逸れそうになり、アメリアはぐっと両手を握り締める。力を込めた手の中に血が集まり、だんだん熱くなっていく感覚。意識の焦点が目の前の異母妹に合って、視線が絡む。

 侮蔑と嘲笑が浮かぶ、歪められた目だった。

「それ、全部勘違いよ。受け入れられるのはアメリア=ローズハートじゃなくて、オリオン=ホワイトディアの妻なの。べつにあんたじゃなくても、英雄の妻ならみーんな大事にするわ。違うかしら?」
「そうね。違わないと思うわ」
「アハハ! わかってるじゃない!」

 ピンクブロンドが揺れる。一歩、アメリアとプリシアの距離が縮まった。

「じゃあ、これもわかるわよね? 英雄と結婚したって、あんたは幸せになんかなれないの! だって、自分で気付いてるでしょう? 英雄の妻でなかったら、あんたを好きになってくれる人なんていないってこと!」

 なんて、愉しそうな顔をするのだろう。恍惚と愉悦に浸る異母妹を前にすると、人間というものを題材にして絵を描くことなど、今後一生ないと思えてくる。世界には美しいものも、心を奪われる景色も、素晴らしいものがいくらでもあるのに、わざわざこんなに醜悪な面を持つ生き物を描く気など起きない。

 世の中には、人間の醜悪な面ではなく、美しい面を見て、感じて、切り取ることができる画家がいる。絵具屋のレグも、そうだ。店で見たスケッチブックに描かれていた風景も動物も平凡たるものだったが、亡き家族を描いた絵は、純粋に美しいと感じた。

 肌を撫でる風が冷えていく。夕焼け色の空に藍が混ざり始め、光が眠り支度をはじめていた。

「どうして自分が好かれないのかわかる?」

 夜の足音が聞こえてくる中に、甲高い笑い声が鳴っている。

「あんたが不気味だからよ! ねえ、あんたには家族も他人も、ううん、周りにいる人間が見えてないんでしょう?」

 ぴた、と――プリシアの笑い声が止まった。彼女の目はアメリアに向けられたままだ。きゅっと眉が顰められる。

「昔からそう……あんたの目、気持ち悪いのよ! 自分がどんな目で人を見てるかわからないでしょう!? だからそんな目を人に向けて平気でいるんだわ!」
「目……?」

 アメリアは指先で目元にそっと触れた。

「ノアには言ったわ……あんたは、あたしたちを見る目と、その辺の花瓶を見る目が一緒なの、って。人間を見る目も、花瓶を見る目も、犬を見る目も、鳥を見る目も、暖炉の火を見る目も、全部同じ……沼みたいな目でジーッと見てくるのが、不気味で気持ち悪いって言った……でも、そうじゃない!」

 プリシア=ローズハートが震えている。恐怖ではない。真っ直ぐ睨みつけてくる眼光は鋭かった。彼女が震えているのは、怒りのせいだ。

「同じなんかじゃなかった! あんたは、花瓶よりも、犬よりも、鳥よりも、暖炉の火よりも……その辺にただ生えてる雑草よりも、人間に興味がないんでしょう? あのね、わかるのよ。そういうの。『わたしあなたに興味ないわ』『視界に入れる価値もないの』って雰囲気!」

 怒りで暴走するプリシアと反対に、アメリアは否定も肯定もせず、静かに異母妹を見つめていた。怒気を向けられていても、頭も心も冷静だ。

 彼女と王都のタウンハウス――同じ屋根の下にいた頃のことを思い返す。

 人間に――家族に、最初から興味がなかったわけではない。冷遇されていたわけではないが、居心地の悪い毎日だった。

 同じテーブルで食事を囲みながらも家族の話に入れなかったこと、自分が何か話そうと口を開いた瞬間に訪れる、言いようのない気まずさ混じりの沈黙も、はっきり覚えている。それでも、何度か口を開いてみたのは、まだ人間に感情を向けていて、家族に対して何かを期待していたからだろう。

 もっともそれは、十歳になるまでの話だ。その歳になった頃には、アメリアは家庭の事情も自分の立場も理解していた。理解したからか、人間に興味を向けなくなり、期待することもしなくなった。

 世の中には美しいものが、心が震えるものが、山のようにある。わざわざ人間を見る必要などなかった。興味を失くし、期待しなくなっても、アメリアは特に不自由をしなかった。むしろそうしたほうが、気まずく、居心地の悪い中にいるよりも、孤独を感じずに済み、美しいものだけで彼女は満たされていた。

『わたしあなたに興味ないわ』

『視界に入れる価値もないの』

 プリシアの言葉。それを直接言ったことはないが、否定はできない。今考えれば、少なからずそう思っていたのかもしれない。

 けれど――

「今は、少しあるわ」

 アメリアは緑の目で異母妹を見据える。

「人間への興味、今は少しあるわ」

 静かに、けれどはっきりと言い切った。

 まったく視界に入っていなかった頃とは違う。自分の目で醜悪な面を見たり、美しい面を切り取れる人物がいるのだと気付いたり、これまでに見えなかったものが見えている。

 それは、ほんの少しだとしても、人間に興味を向けていることに他ならない。

 少しずつ、少しずつ、変わってきている。何を起点に変わりはじめたのか。理由を考えた時に頭に浮かぶのは、白銀の髪と紅玉の目が雄々しい――雪兎。アメリアの口元が自然と緩む。

「あん、た……適当なこと言ってるんでしょう? 血が繋がった家族にも興味なんかなかったくせに、他人に興味があるって言うの?」
「血の繋がりがあるというのは、理由にならないわ。まだよくわからないけれど、たぶん、そういうことじゃないのよ」

 目を逸らさずに言えば、プリシア=ローズハートは顔を歪めた。年齢よりも幼く見える顔を顰め、毛を逆立てた猫のようにこちらを威嚇している。その姿に、特別何かを思うことはない。感情は動かない。

 アメリアはやはりただ静かに、凪いだグリーンアイを彼女に向けていた。

 異母妹。半分だけ血の繋がりのある妹。言ってしまえば、他に何もない、ただ血の繋がりがあるだけの人――血の繋がりは特別な絆、足りえるのだろうか。貴族にとって『血』が重要なのは理解している。ホワイトディア家の面々を見ていれば、血縁の強い絆と繋がりを、ひしひしと感じた。

 でも、血縁関係にないテリーザとアークトゥルスが一緒にいる時も、ミモザとデンホルムが一緒にいる時にも、互いの間に強固な信頼と親愛があるように見えた。だからこそアメリアには、『血』というものはがあらゆることの理由には成り得ない気がするのだ。

「っ、何よ! 何よ!!」

 プリシアが声を上げる。

「あんたなんて、幸せになんかなれないんだから!」

 彼女は先ほどと同じ言葉を繰り返した。そしてメルクロニアでオリオンの資金を元に購入したのであろう、高級そうなドレスの裾を翻して立ち去って行く。使用人の青年は頭を下げ、プリシアのあとを追った。

 アメリアは微動だにせず立っていたが、ふたりの背中が見えなくなると小さく息を吐いた。

 家族、血縁、家庭――人間同士の繋がりは、その渦中に身を置いておくと、酷く気持ちを疲弊させる。だからこれまで、考えるのも、目にするのも億劫なそれを、アメリアは離れたところから眺めているか――または意識の外に追いやって見えないようにしておいた。無関係なもの。なくても困りはしない。

(でも――それじゃいけないのよ)

 今までは持っていなかった。無関係だから考えずにいた。

 けれどもうすぐ、彼女は手にするのだ。オリオン=ホワイトディアとの結婚で、家族ができる。家庭を持つ。無関係だからと、眺めるだけではいられない。意識の外に追いやるわけにもいかない。

 オリオンを大事にすると決めた。彼を大事にするということは、彼との関係を、家族や家庭という繋がりを大事にすることだ。その方法はまだ、形になって見えてはいないけれど――

 ――アメリアの足が、動く。

 約束していた場所へ行けば彼がいるとわかっている。二歩、三歩……踏み出した足はだんだんと速度を上げていた。早歩きは駆け足になり、長い裾が邪魔で彼女は少し上に持ち上げる。普段、散歩はしても走ったりはしない。鼓動が早鐘を鳴らし、呼吸が苦しくなる。上手く空気を吸えていないのだろう。

 それでもアメリアは止まらない。

 今はただ少しでも早く、彼に会いたかった。





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