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第5話

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 「先生!」
 「どうした? 信吾」

 学校の廊下で信吾に呼び止められた。


 「先日はありがとうございました」
 「俺は何もしていないよ。
 お前は悪くない、だが田中のことはもう忘れてやれ。
 世の中には嫌な奴はたくさんいる、これからお前もたくさんの嫌な奴と遭遇するだろう。
 そして許せないような憎い奴も出てくるかもしれない。
 いや、出てくるはずだ。
 だが、憎むな、憎まず忘れることだ。そうすれば憎しみの連鎖はなくなる。
 嫌な感情もいい感情も、相手には伝わるからな?」
 「大泉先生、一寸いいですか?」
 「これから授業だから、放課後、カウンセリングルームに来い、そこで聞くから」
 「すみません、忙しいのに」
 「生徒の話を聞くのも、教師の大事な仕事だからな? 遠慮はいらん」



 放課後、信吾の話を聞いた。


 「アメリカでJAZZの勉強をしたいんです」
 「トランペットか? ブラバンでやってるもんな?」
 「はい、ジュリアード音楽院に行くことに決めました」
 「あのニューヨークのか?」
 「そうです、まずは語学留学をしながらですけど、本場で勉強してみたいんです、本当のJAZZを」
 「いいんじゃないか? 俺は賛成だよ。
 お母さんは何だって?」
 「母は再婚する予定なので、喜んで賛成してくれました」
 「そうか? 学費はどうするんだ?」
 「父に話したら、援助してくれることになりました」
 「それは本当のお父さんの方か?」
 「もちろんですよ、私は母の再婚相手が嫌いですから」
 「よかったじゃないか? 親父さんと仲直りが出来て」
 「先生のおかげです」
 「お父さんは元気そうだったか?」
 「何だか少し小さくなったような気がしました」
 「それは親父さんが小さくなったんじゃなくて、信吾がでかくなったからだよ」

 信吾はうれしそうに笑った。

 俺は死んだ父親のことを思い出していた。
 俺は親父と会おうともしなかった。
 俺も親父と再会していたら、信吾の親子のように仲良くなれたのだろうか?
 そして一緒に酒でも飲んで、色んな話をしたのかもしれない。

 昔話や釣りの話、音楽や三島由紀夫、芥川文学についてだとか、親父の若い頃の話や恋愛話。
 時間の経つのも忘れて、馴染みのスナックで親父とカラオケでもしていたかもしれない。

 だがそれはもう叶わない。
 俺は親不孝な息子だ。
 上辺の親父しか知らなかった。親父の苦悩など、知ろうともしなかった。
 しかし、後悔のない親子の別れなどあるはずがない。

 「俺は十分親孝行をした」

 なんてことはあり得ないからだ。
 どんなに親の喜ぶことをしたところで、それは永遠に未完成のままだ。

 「なんでもっと親孝行をしなかったんだ!」

 と嘆き、自分を責めるはずだ。
 信吾は俺に言った。


 「僕たち家族を捨てた父親になんか、会いたいとは思いませんでした。
 でも、会ってよかったです。
 春になったら父とジュリアードに見学にいくことになりました」

 うれしそうにそう話す信吾に、私は軽い羨望を感じていた。
 俺の父親はもうこの世には存在しない。

 俺は親父に何もしてやれなかった、駄目な親不孝な息子だった。
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