★【完結】歌姫(前編)作品230427

菊池昭仁

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第一楽章

第3話 恋のプレリュード

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 輝信に花束のお礼の電話をした。


 「海音寺です。昨日は素敵なお花をありがとうございました。
 私、あの薔薇が大好きなんです」
 「それは良かった。琴子さんに似合う花だと思ってあの薔薇にしました。琴子さん同様、一目惚れです。
 その『マリア・カラス』という名前も気に入りました。
 舞台で朗々と歌う琴子さんを見ていると、プリマドンナ、マリア・カラスを見ているようでした。
 いや、それ以上かもしれない。実は僕、初めてだったんですよ、生でオペラを観るのは。
 オペラがあんなに素晴らしいものだとは知りませんでした。
 また是非、琴子さんの歌が聴きたいです」
 「ありがとうございます。私、歌う事が大好きなんです。歌が恋人で私の子供たちなんです」
 「歌が恋人かあ。僕もなりたいなあ、琴子さんの恋人に」

 うれしかった。私と私の歌を好きだというこの人が。
 それはつまり海音寺琴子という私自身と、声楽家、海音寺琴子のふたりを同時に愛してくれているということだったからだ。
 それは私たちふたりが「似て非なるもの」として、同じ肉体の中に共存していることを意味する。
 歌っている時の私は琴子を離れ、その歌の主人公そのものが私に憑依する。
 
 「またデートしませんか? 今度の土曜日の夜はどうです? その日は病院の当直も無いので」
 「土曜日はレッスンと夜、打ち合わせがあるので日曜日の昼なら空いていますけど、輝信さんのご都合はいかがですか?」
 「大丈夫です。では日曜日の昼10時にご自宅にお迎えに上がります」
 「わざわざすみません。でも私、かなりの食アレルギーなので外食は限られてしまいますけど構いませんか?」
 「ご心配なく。僕、料理するのが好きなんですよ。BLTサンドとかなら食べられますか?」
 「だったら私がお弁当を作りますよ。お料理は好きなので。でも味は保証出来ませんけどね? うふっ」

 私は密かに彼に料理の腕を自慢するつもりだった。

 「ありがとうございます。でも、僕に作らせて欲しいんです。そしてもし琴子さんに僕のBLTサンドを「美味しい」と褒めてもらえたら、その時は結婚を前提に正式にお付き合いをしていただきたい。それでどうでしょうか? 駄目ですか?」
 「木村さんって面白い人ね? 私、結構味にはうるさいのよ。食べられる物が限られている分、舌が鋭敏なんです。ではお言葉に甘えてお弁当、お願いしちゃおうかしら?」
 「はい! 喜んで!」

 その時、すでに私の判定は決まっていた。「凄く美味しいです!」と。



 日曜日は生憎の雨だった。彼は予定の時間より少し早く家に迎えに来てくれた。
 私は服装を整え、ギリギリまで入念にお化粧をした。
 下着はもしもの時に備え、清楚な物を身に着けた。
 いつも時間には正確な輝信だった。
 医者としての誠実で几帳面な性格が伺える。


 シルバーのアルファロメオ。いかにも彼らしいクルマだと思った。
 父と母も輝信を温かく迎えてくれた。

 「輝信君、今日は少し天気が悪いようだが運転にはくれぐれも慎重にな? 琴子のこと、よろしくお願いします」
 「はい、安全運転で行ってまいりますのでご安心下さい。
 きちんと法定速度は遵守いたしますので」
 「あはは、今日はどちらへ?」

 母も上機嫌だった。音楽家としてはそれなりのポジションを得ていた私ではあったが、両親からすれば適齢期を過ぎた娘の結婚は最重要案件だった。

 「はい、茨木の大洗水族館に行こうと考えています」
 「水族館デートなんてかわいいわね? 気を付けてね?」
 「うん、明るい内には帰ってくる予定だから大丈夫よ」
 「今夜はウチで夕食でもどうかね?」
 「ありがとうございます。では新鮮な魚介をたくさん仕入れて参ります」
 「じゃあ楽しみに待っているわね? 行ってらっしゃい」

 そう言って両親は私たちを見送ってくれた。
 この縁談は父も母も望んでいたものだった。顔も性格も良く、家柄も申し分ない。将来を嘱望された優秀な外科医の彼は医大ではそれなりの地位に昇ることは確実だろう。
 同じ医者同士の家系でもあり、私の両親にとってもこれ以上の結婚相手はいないと思っているようだった。
 だがその一方で私は恋愛の難しさも十分味わっていた。
 どんなに好きで愛し合っていても「縁」がなければ結婚に到達することは出来ないということを。
 所詮、結婚とは自分たちだけのものではなく、お互いの家同士の結び付きだということも。
 私は遠距離恋愛の彼との破局でそれを学んだ。


 ペンシルバニアで白人女と付き合っていたのか、彼はごく自然に助手席のドアを開け、私をエスコートしてくれた。

 クルマが走り出すと動くワイパーがメトロノームのように見えた。雨がスウィープされて弾き飛ばされてゆく。
 私はこんな雨のドライブデートも悪くはないと思った。


 「雨の水族館なんてヘンですよね?」
 「そうかしら? 私は好きですよ水族館。
 動物園と水族館なら断然水族館です」
 「僕もそうです。良かった、気に入ってもらえて。かと言って雨の日のディズニーというのも何だかね?
 音楽、かけてもいいですか?」
 「どうぞ」
 「琴子さんはクラッシックじゃないとイヤですか?」
 「そんなことはありませんよ、色々聴きます私も。
 石川さゆりとか甲本ヒロトなんかも好きですしたまにカラオケで竹内まりやも歌います」

 私は口に手を当て少し笑ってみせた。
 私に対する「お堅い女」というイメージを払拭しておきたかったからだ。そうすることでこれからのお付き合いもお互いにラクになるはずだから。

 「少し古いかもしれませんが大瀧詠一でもいいですか?」
 「私も好きですよ。いいですよね? 大瀧詠一」

 彼がカーコンポのスイッチを入れた。
 私は大瀧詠一で良かったと思った。これでカーペンターズの『雨の日と月曜日は』などを聴かされた日には多分彼への愛は冷めてしまっていたかもしれない。

 彼の運転するアルファロメオは間も無く雨の首都高に乗った。

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