★【完結】歌姫(後編)作品230824

菊池昭仁

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第二楽章

第3話 不思議な弁護士

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 霞が関にある、その大手法律事務所の応接ブースは、高層階の26階にあり、遠くには富士山が見えていた。
 母と私の目の前には、銀河の親友だったという国際弁護士、椎名錬三郎がいた。

 さっき受付で渡された会社案内の彼の経歴には、

     椎名錬三郎
     東京大学法学部卒
     東京地方裁判所 判事補に任官 
     その後米国 ハーバード大学ロー・スクールに留学 
     ニューヨーク州弁護士資格取得 現在に至る


 と、書かれていた。いわゆるスーパーエリート弁護士である。
 しかし、その外見は、法廷ドラマの織田裕二とは大きくかけ離れた、マッシュルームカットの髪型、丸い銀縁メガネを掛け、黄色のスーツにハーフパンツ。ネクタイは草間彌生がデザインしたような赤い水玉模様。
 シャツはルパン三世と同じ、ブルーのシャツを着ていた。
 身長は私と同じくらいしかない。
 そして声は電話の時に聞いた、あのカウンターテナーだった。


 「始めまして、エンデバー法律事務所の弁護士、椎名錬三郎です。本日はお忙しい中、わざわざお出でいただきありがとうございました。よろしくお願いします」
 
 彼はポメラニアンのような、人懐っこいカワイイ瞳で微笑むと、私と母に各々名刺を渡してくれた。

 「海音寺琴子と申します」
 「私は琴子の母親です。今日は娘の付き添いで参りました」
 「どうぞお掛け下さい。この度はご愁傷様でした。
 銀は馬鹿ですよ、こんな素敵な琴子さんを置き去りにして、死んでしまうなんて。
 銀は詩人としては天才ですが、恋人としては最低の男ですよ。 
 でもね、それがアイツの魅力でもある。そうは思いませんか? 海音寺さん」

 奇抜な服装と声の彼ではあったが、とても温かい人柄が伝わって来たことに私は安心した。
 やはり銀河の親友に間違いはないと思った。
 私は彼と銀河が、一緒に談笑しているところを想像してみた。


 「こちらが銀の資産目録となります。生命保険は既に解約されていて、あとは電話でお話しした通りです。
 そしてこちらが税理士が算出した税額と、この件に関わる手続費用、そして当ファームへのご依頼費用を差し引かせていただきますと、およそ111,243,252円になりますが、為替変動がございますので誤差が生じます事、ご了承下さい」
 「わかりました」
 「パリの銀のあのメゾンはどうされますか? 売却するよりは賃貸に出した方が得だとは思いますが」
 「椎名先生もあのメゾンに行かれたことがあるんですか?」
 「ええ、前に一度だけ。いいメゾンですよね? ルーブルにも近くてゴシックなデザインで。そしてあの暖炉が素敵ですよね?」
 「私、あのメゾンで暮らすつもりなんです」
 「ではオペラはパリを拠点にされるおつもりですね? それは実に素晴らしいことです」
 「いえ、歌の方はまだ考えていません」
 「そうですか。立ち入ったことを申し上げてしまい、失礼いたしました。私はクラッシックには疎いもので」
 「椎名先生は甲本ヒロトと椎名林檎でしたもんね?」
 「あはははは。そうなんですよ。あとラルクも好きですよ。カラオケでは吉幾三もよく歌います」
 「うふっ。先生はお歌がお好きなんですね?」
 「こういう仕事をしていますとね? どうしても絶叫系が好きになります。永ちゃんも歌いますよ、矢沢永吉も」
 「私も好きです。甲本ヒロト」
 「えっ、海音寺さんもですか? クラッシックしかお聴きにならないのかと思いました」
 「よく夜中に聴いていました。というより歌ってしまいます。一緒に踊ったりしながら」
 「海音寺さんがブルーハーツを聴いて踊る? 琴子さんからは想像が出来ません」

 夢中になって椎名弁護士と話している自分がいた。
 それを隣りで見ていた母も、うれしそうに笑っていた。


 「ではこの業務依頼書をご確認の上、サインをお願いいたします。お母さんも是非、一緒にご確認下さい」

 私と母は内容を確認し、書類にサインをした。


 「ではすぐに遺産相続手続きに着手いたしますので、来週、またここにお出で下さい。金曜日の15時ではいかがでしょう? 申請書類がございますので、入金をご希望される振込口座の預金通帳と通帳印、それと実印、それから運転免許証と住民票、印鑑証明書等のご用意を別紙の通りご準備をお願いします。本日は大変お疲れ様でした」
 「よろしくお願いします。失礼ですが、先生は銀河とはいつからのお付き合いだったんですか?」
 「もう15年前になりますか? その頃銀と私は地下鉄の工事現場で、深夜の土木作業のバイトをしていました。毎日セメント袋を担いだり、一輪車で砕石や砂、生コンを運んだり、穴を掘ったりしていました。
 私と銀はすぐに打ち解け、仲良くなりました。
 仕事が終わるといつも、牛丼か立ち食いソバを食べて帰りました。
 そして給料日だけはちょっと贅沢をして、上野のアメ横の安い居酒屋で、生ビールと焼鳥を一本ずつ頼むんです。とても海音寺さんのような方をお連れ出来るようなお店ではありません、店内は油でベタベタに汚れ、タバコと、焼鳥を焼く煙で濛々としていて、店員は言葉のよく通じない中国人でした。
 銀と一緒にいると、いつも楽しいんですよ。どんなに辛い時でもね。
 私は東大だったので、お金持ちの家のお坊ちゃんたち相手のワリのいい、ラクな家庭教師のバイトもありましたが、肉体労働をしていました。
 それは将来、法曹界で働くことを考えていましたので、岡林信康の『山谷ブルース』のような人たちと、直に関わってみたかったのです。弱い人たちを守るのが法律家の使命ですから。
 そしてそれが自分の学びになると思いました。
 銀はとてもやさしい、いい奴でした。それなのに・・・。
 ごめんなさい、ついヘンな昔話なんかしてしまって」
 「いえ。もっと聞きたいです、銀の話」
 「では次回の打ち合わせの時にまたお話ししましょう。
 私にも銀のパリでの話をお聞かせ下さい。
 では気を付けてお帰り下さい」
 「来週の金曜日、15時にお邪魔いたします。今日はありがとうございました。失礼いたします」


 椎名弁護士とパラリーガルの女性が、私たちをエレベーターまで見送ってくれた。

 エレベーターの扉が閉まると母が笑って言った。

 「面白い弁護士さんで良かったわね? ちょっと想像とはかなり違っていたけど」
 「だって銀のお友だちだもん」
 「そうね」

 私は少し気分が軽くなった。
 久しぶりに心から笑った。

 「三軒茶屋に美味しいイタリアンのお店があるんだけど、行ってみない?」
 「うん、いいよ」


 
 そのイタリアンのお店は広くもなく、狭くもない、留学していたイタリアのベローナでよく通ったお店に似ていた。
 妙に気取ったイタリアンではなく、北イタリアの郷土料理がメインのお店だった。
 母はポルチーニ茸のチーズリゾットを。私はボッタルガのパスタを注文した。


 「ここはPizzaも美味しいのよ、クワトロ・フロマッジでいいわよね?」
 「うん、任せる」
 「そしてやっぱりPizzaにはBirra(ビール)よね?
 すいません、生ビールを2つとクワトロ・フロマッジもお願いします」
 「海音寺様、いつもありがとうございます。生ビールはいつ、お持ちしたら宜しいでしょうか?」
 「Pizzaと一緒でお願いします」
 「かしこまりました」

 店内にはニンニクと上質なオリーブオイルの香りが立ち込めていた。

 「このお店はね? 銀座にも出店しているのよ」
 「そうなんだ?」
 「ドルチェも凄く美味しいの。楽しみにしていなさい。
 さっきの弁護士さん、お会いした時、ママ、思わず吹き出しそうになっちゃったわよ。錬三郎なんて古風なお名前だから、てっきり眉間に皺でもある弁護士さんだとばかり思っていたから。
 そしたらあの「ゲッツ!」の芸人さんみたいな恰好をして、昔のビートルズみたいな髪型なんですもの。
 ズボンはハーフパンツだし。あはははは」
 「別にいいじゃない、彼の個性なんだから。どんなファッションを楽しもうと。
 私はいいと思ったわよ。椎名弁護士があんな楽しい人で。
 アルマーニのスーツを気障ったらしく着て、「僕は君たちとは人種が違うんだよ」みたいな弁護士よりもずっと素敵」
 「とてもハーバードを出た国際弁護士には見えないけどね?
 でもお話ししていると、要点をきちんと捉えて理路整然として分かり易く説明をしてくれて、優秀な弁護士さんでママも安心したわ。クリニックの顧問弁護士の橘さんとは大違い。いつもヘアーワックスでがっちりと頭を固めてバカみたい。ナルシスト弁護士なのよ、いつも鏡ばっかり見て。あはははは」
 
 私は彼が銀河の親友で、本当に良かったと思った。
 店内にはマリア・カラスの『蝶々夫人』のアリア、『ある晴れた日に』が流れていた。
 私は無意識にそれを口ずさんでいた。
 それはスポットライトを浴びて歌う私と重なり、脳裏には蝶々夫人を演じる自分の姿が浮かんだ。
 波がうねるような弦楽器の伴奏。私は静かに目を閉じた。


    (歌いたい! 私は歌姫なのだから!)


 「いいわね? プッチーニ。
 ママね、またピアノを始めようかと思うの。遊びではなく本気で。
 パリに戻ったら音楽院を受験するつもりよ。
 もう一度、挑戦してみたいの。たとえピアニストになれなくてもいい。でもそれでもいいの、私はピアノが大好きだから」
 「ママ、私もまた歌ってみるよ。だって歌うことは私の人生そのものだから」
 「ママも負けないわよ。お互いにがんばりましょう!
 大切な人生を、決して後悔しないために」

 料理とビールが運ばれて来た。
 私と母はビールのグラスを合わせ、乾杯をした。
 絶望の中から一筋の希望の光が差した。

 それは銀河の親友、椎名錬三郎のおかげだった。

 私は来週の椎名弁護士との打ち合わせが待ち遠しかった。
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