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第2話

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 私たちは帰りのクルマの中で、お互いに言葉を探したが見つからなかった。

 私はカーオーディオのCDの中から、山下達郎を選んだ。
 冬枯れの街を走る私たちに、達郎のバラードが沁み込んでゆく。


 「若い頃、よく山下達郎を聴いたなあ? 久しぶりに聴く達郎はいいもんだ」
 「達郎を聴きながら、よくドライブデート、したよね?
 あなたは免許を取ったばかりで、すごく運転が怖くって、緊張して助手席に乗っていたわ」
 「あれからもう25年かあ?」
 「そうね、あれから25年、結婚して19年」
 「あっという間だったな?」
 「まるで昨日のことみたい・・・」

 もうダメだった。夫との会話が続かない。
 私は両手で顔を覆い、肩を震わせて号泣してしまった。
 泣きたいのは夫の方なのに。

 夫はコンポのボリュームを少し上げてくれた。
 そんなやさしい気配りの出来る人だった。
 余命宣告をされているというのに。
 出来ることなら私が代わってあげたい。


 ふたりの沈黙がまた始まろうとした時、『エンドレス・ラブ』が掛かり、夫はそれを口ずさんだ。


         終わりなき恋。


 なんて馬鹿げた唄なの? 私たちの愛は、まもなく終わろうとしているのに。
 




 家に着いた。
 遼は学校で、この家には夫と私だけ。
 私は夫の光明に、急に抱き締められた。
 
 「大丈夫、俺は大丈夫だから。
 何も心配はするな、保険金も降りるだろうし、この家のローンも消える。
 君と遼はしあわせに暮らせばいい。
 それでいいんだ」
 
 私は光明の手を引いて寝室に入り、服を脱ぎ捨て、キスをした。

 「抱いて!」

 夫も服を脱ぎ始めた。
 私たちは何年かぶりにお互いの肌の温もりを確かめ合った。
 夫のカラダから、微かに病院の匂いがした。
 すでに閉経していた私は、そのまま夫を受け入れた。


 虚しいだけのセックス。ただ自分の体に光明の記憶を刻みたかった。
 消えてしまう夫の記憶を。

 
 私は光明に腕枕をされながら、こんな提案をした。
 

 「ねえ、一緒に旅行に行かない?」
 「どこへ?」
 「どこでもいい。でも、どこかに行きたいの、あなたと」
 「じゃあ、ふたりで行った思い出の場所を巡るというのはどうだろう?
 病気のこともあるからハワイやヨーロッパは無理だとしても、国内なら大丈夫だろう。
 いいなあ、お前と思い出を辿る旅かあ。
 北は小樽、仙台、会津、いわき。
 それから神戸、広島、博多、長崎、沖縄」
 「北陸が抜けてるわよ、富山、金沢も入れましょうよ」
 「旅行プランは君に任せるよ。俺は明日から仕事の引き継をしてくるから」
 「任せて頂戴、そういうの、私の得意分野だから」

 私たちは見つめ合い、唇を重ねた。

 近くで小学生の下校する声が聞こえた。




 
 夕食は、遼の好きなチーズハンバーグにした。
 
 「うまそうだなあ! どんぶりご飯、3杯はイケるよ!
 ママ、目玉焼きも載せてね、ダブルで!」
 「ハイハイ、たくさん食べなさい。
 遼のハンバーグは300gにしたから」
 「どうしたの今日は? 何かのお祝いみたいだね?」
 「ハンバーグでお祝いはないわよ。あはは」
 
 私と夫はお互いに目で頷き合った。
 それは残されたこれからの時間を、大切にしようというアイコンタクトだった。
 
 何も知らず、美味しそうにハンバーグを食べる息子を見ていると、私は泣きそうになった。
 

 「遼、俺のも半分食べるか?」
 「えっ、いいの?」
 「たくさん食べて大きくなれ」

 夫はそう言って、自分の皿を遼の前に置いた。

 「ありがとう、お父さん!」

 遼は私をママと呼び、夫のことは「お父さん」と呼んでいた。

 「私のことも「お母さん」と呼びなさいよ。もう高校生なんだから」
 「そのうちね」

 どうやら息子は照れ臭いようだった。
 子供の頃から「ママ」と私を呼んでいたからだろう。

 

 食事が終わり、遼はテレビのバラエティ番組を見て笑っていた。
 この子にどうやってこの悲しい現実を伝えるべきか、私は悩んでいた。

 息子は父親が大好きで、尊敬もしていたからだ。
 来年には航空大学校の受験も控えている。

 私は暗澹たる想いだった。
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