★【完結】チョコミント・アイスクリーム(作品240527)

菊池昭仁

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第5話

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 関口教授は俺からの辞表を見て困惑していた。

 「これは本気なのかね? 山本君」
 「はい、今までご指導いただきありがとうございました」
 「君には期待していたんだがね? 理由は何かね?」
 「医者を辞めてお笑い芸人になることにしました」
 「山本君、君は僕をからかっているのかね?」
 「いえ本気なんです。お笑い養成所に通ってお笑いの基礎から勉強しようと思っています」
 「精神科医の君が気でもふれたかね?」
 「そうかもしれません、でももう決めたことですから。
 教授、色々とお世話になりました」
 「山本君、君は疲れているんだよ。とりあえず休職扱いにしておくから少し休みなさい。
 これは僕が預かっておくから」

 そう言って関口教授は俺の辞表を机の引き出しに仕舞った。
 俺は教授に深々と頭を下げ、教授室を後にした。


 私が医者を辞めることはあっという間に病院中に広まった。


 「葵、大変だよ大変! アンタのコレ、病院辞めるんだってよ!」
 
 葵の親友のかおるは親指を立てて葵に言った。

 「まさか? そんなこと一言も言ってなかったわよ」
 「間違いないって、関口教授の秘書の礼子から聞いたんだから。
 しかも病院を辞めるどころか医者も辞めるって関口教授に言ったそうよ」
 「医者を辞めて何をするつもりかしら?」
 
 葵はまるで他人事のようにそう言った。
 葵はほくそ笑んでいた。

 (これで奥さんとの卒業は間違いないわね? いよいよ私の出番かあ。山本葵になるのね? うふっ)


 すぐに内科医の井上がやって来た。

 「今日、ちょっと付き合え」
 「早いな? もうお前にも噂が届いたか?」
 「とりあえず鮨でも食いに行こう、話はその時ゆっくり聞いてやるから」


 
 夜、行きつけの鮨屋で井上と鮨を摘みながら話をした。

 「それでどうして医者を辞めるなんて言ったんだ? 今ならまだ間に合う。辞表は撤回しろ。
 俺も一緒に関口教授に頼んでやるから」

 井上は吟醸酒を口にしてそう言った。

 「お笑い芸人になるつもりなんだ」
 「真面目に答えろ山本」
 「真面目な話だ。養成所に願書も提出した」
 「お前は関口教授からも一目置かれた精神科医じゃないか! お前が精神を疲弊させる気持ちはわからんでもないが、それはあまりに酷すぎる。助教授の五十嵐さんに一度診てもらった方がいいんじゃないか?」
 「井上、俺は至って正常だ」
 「とても正常な精神科医の行動とは思えん」
 「先日、お前から依頼された相楽めぐみを覚えているか?」
 「ああ、中々よくならないようだな?」
 「俺はどうしても彼女を笑顔にしてみたくなったんだ。彼女が腹を抱えて笑う姿がどうしても見たくなった」
 「彼女に惚れたのか?」
 「そう取ってもらってもかまわない。俺は精神科医の自分に限界を感じたのかもしれん。
 精神科医は患者を笑顔にするのが仕事だ。笑顔にするならお笑い芸人になった方が近道なのかもしれないと思ったんだ。人間の心は薬で変えられるものではないからな?」
 「香織さんにはどうやって説明するつもりだ?」
 「アイツとは離婚するつもりだ。俺たち夫婦はもうとっくに終わっている。
 後は慰謝料を払うだけだ」
 「そしてあのナースと再婚するつもりか?」
 「いやそれはない」
 「そうか。わかった、困ったことがあればいつでも相談に乗るからな? 大将、これと同じ物を。それから中トロを握ってくれ」
 「あいよ」

 井上は吟醸酒を飲み干した。


 
 井上と別れてタクシーに乗ると、葵からLINEが届いた。

 
       今夜 会いたいの


                今夜はダメだ


 俺はスマホの電源をオフにした。



 家に着くと香織は家にいた。今日は男と一緒ではないようだった。

 「井上先生の奥さんから聞いたわ。大学病院を辞めたんですって?」
 「ああ、大学病院も医者も辞めた」
 「これからどうやって生活するつもりなのよ!」

 俺は背広の内ポケットから封筒を出してテーブルの上に置いた。

 「離婚してくれ。俺のサインはしてある。
 慰謝料は出来るだけのことはするつもりだ。とりあえずこのマンションはお前にやるよ」
 「私と別れてあの看護士と一緒になるつもりね? 葵とかいう女と!」
 「それはない。俺はお笑い芸人になるつもりだ」
 「あなた気は確かなの? 狂った患者さんを診ておかしくなったの?
 しっかりしてよ! 医者のくせに!」
 「俺はしっかりしているよ。いや寧ろ正常になったと言えるかもしれない。
 俺はやっと自分の生きる目標を見つけたんだ」
 「医者を辞めることは絶対に許さないから! 離婚もしませんからね!」

 そう言って香織は自室に籠もってしまった。
 テーブルに離婚届の封筒を置き去りにして。

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