ふたたびの春

菊池昭仁

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第2話

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 女房とは5年前に別れ、私は自暴自棄になっていた。 
 本も読まず映画も観なくなった。
 ひとり暮らしの寂しさを埋める為に、見もしないテレビをBGM代わりに点けっぱなしにしていた。

 私は疲れていた。
 死のうと思った。まるでハイキングにでも行くかのように。
 
 美味い物でも食べて酒を飲み
、いい女を抱いて、この高層階のマンションのベランダからダイブしようと考えた。
 私はまず、赤坂にある、松坂牛の老舗しゃぶしゃぶ屋に出かけることにした。



 店に行くと個室の座敷に案内された。
 5万円のコースを注文し、もちろん酒も注文した。
 最初はビールにした。
 京都の庭を移築したというその中庭は水琴窟のある、一本キリリと筋の通った凛とした趣きがあった。
 

 「失礼してもよろしいでしょうか?」

 襖の外から仲居が声を掛けて来た。
 よく通る、ミュージカル女優のような澄んだ声には知性と教養が滲んでいた。

 「どうぞ」

 戸襖を開けて入って来たその仲居の美しさに、一瞬時間が止まりり、音が消えた。

 黒髪をアップにし、切れ長の目、花が綻んだような口元、博多人形のようにきめ細やかな肌。
 カスリの着物をきちんと着こなした長身美人であった。

 「おビールをお持ちいたしました」

 私が冷えたグラスを少し傾けて差し出すと、仲居は袂を気にしながらビールを注いでくれた。


 「都内にお住まいですか?」

 私は一気にグラスを空けて言った。

 「品川です。最近『品川ゲートウェイ』」と洒落た名前になってしまったあの駅の近くです」
 「素敵なところにお住まいなんですね?」

 私は予め用意して来た「心付け」に千円札1枚しか入れて来なかったことを後悔した。故にそれを渡さずに、指が切れるような1万円の新札を渡そうとした。

 「心付けです、今日はよろしくお願いします」
 「ありがとうございます。心付けでしたらお客様のお心だけ頂戴いたします。 
 ではお食事の準備をさせていただきます」

 仲居はカネを受け取らなかった。

 「一度出したものは引っ込めるわけには行かない。あなたは仲居として当たり前のことをしてもらえばそれでいい。だから黙って受け取って欲しい。
 それに私にはもう、必要のないカネだから」

 私は無理やり札をふたつに折って仲居の帯にそれを差し込んだ。
 軽く胸が手に触れた。

 「なんだかこれから死んじゃうみたい」

 仲居は手を口に当て上品に笑った。

 「では遠慮なく頂戴します。
 ありがとうございます。今日は精一杯務めさせていただきますね」

 そして私の最期の晩餐が始まった。
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