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第11話 温かいココア

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 小樽から札幌のホテルに着くと、華絵の体調が悪化した。
 私たちは予定を繰り上げ、翌日の飛行機で東京に戻ることにした。


 帰りの飛行機は穏やかなフライトだった。

 「ごめんなさいね? 札幌観光が出来なくなってしまって」
 「大都市はどこも同じだよ。俺は鈴木の船にハナと乗れたし、小樽で十分楽しかったよ」
 「札幌の味噌ラーメン、食べたかったなあ」
 「味噌ラーメンなら東京にも沢山あるよ。旨い味噌ラーメンが。
 体調が良くなったらまた連れて来てやるよ」
 「寒い札幌で食べるからいいんじゃないのー。
 地元だからいいのよ。
 お蕎麦だってそうでしょう? 東京にも美味しいお蕎麦屋さんはあるけど、信州の戸隠で食べるからいいんじゃない?」
 「また行けばいいよ、札幌なんて飛行機ですぐだから」
 「もう無理だよ、遠出は」
 「じゃあ、近場でいいじゃないか? 何が食べたい?」
 「考えておくね? 今は何も食べたくないから」
 「東京に着いたらすぐに病院に行こうな?」
 「もう少し待って、もう少しだけ家にいたいから」
 
 私は華絵を病院のベッドではなく、家で看取ってやりたいと思っていた。
 家のベッドで華絵と寄り添って見送ってあげたかった。

 「心配しなくてもいいよ、家に帰らせてもらうから」
 「ううん、病院の方がいいの。先生や看護師さんたちもいるし、痛みもやわらげてくれるから」

 それは家にいれば私に面倒を掛けることになるからだ。

 「華絵のためじゃなく、俺の為にそうしたいんだ。
 家なら1日中一緒にいられるだろう? 病院だと面会時間が決まっているから」
 「ありがとう。でもヒロにオムツの交換をしてもらうなんてイヤだよ」
 「いいじゃないか? 夫婦なんだから。
 だって俺がもしそうなったら、ハナもそうしてくれるだろう?」
 「喜んでしてあげるわよ、「今日はいっぱい出たね?」とか言って」

 華絵はかなり辛そうで、力なく笑った。
 
 「俺も同じだよ、ハナのためならなんでも出来る。
 お願いだ、もしそうなったら俺にハナの世話をさせてくれ」
 「考えておくわ」
 「それは俺が決めることだよ」
 
 

 家に帰って来るとホッとしたのか華絵の体調も回復し、顔色も良くなった。

 「お薬を飲んだら少し良くなったみたい」
 「無理をするなよ。何か飲むか?」
 「温かいココアが飲みたい」
 「俺の愛情たっぷりのスペシャル・ココアを淹れてあげるよ」

 私は牛乳を沸かすためにキッチンに立った。
 
 「ココアはどこだ?」

 華絵は戸棚からココアを取出すと、私の背中に抱き付いた。

 「しあわせよ、とっても。
 あなたが一緒にいてくれるだけで幸せなの。凄く心強い。
 死ぬことなんて怖くない」

 私は振り向き、華絵を強く抱き締めた。
 
 「ずっと一緒だ、ずっと」
 「私が死んだら、再婚してもいいからね?」
 「もう、結婚はしないよ。
 俺は女を幸せにすることが出来ないから。
 これ以上、女を不幸にしたくないんだ。
 俺の女房はハナだけだ」
 「でも、もし好きなひとが出来たら、私に遠慮しないでいいからね?」
 「もう止そう、そんな話は」
 「そうね? あなたはやさしい人だから」
 
 華絵の死など、私にはとても受け入れられるはずもない。
 ただ華絵には出来るだけのことをしてやりたい。

 私はカップに入れたココアに熱い牛乳を注いだ。
 私と華絵は立ったまま、キッチンでそれを飲んだ。

 それはほんのりと苦みのある、甘いココアだった。
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