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第12話 里帰り

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 病気のことは義母にはまだ話してはいなかった。
 心配を掛けたくはなかったが、言わないわけにはいかないとも思っていた。


 「お義母さんにはまだ言ってはいないんだろう?」
 「なかなか言い出せなくてね」
 「お義母さんに会いに行こうか? 体調はどう?」
 「この前、病院に行って薬を処方してもらったから大丈夫だけど、いいの?」
 「クルマだから安心だし、ずっと帰っていないんだろう?」
 「時間はあったんだけどね、お母さんも仕事していたから」
 「田舎に帰るのは俺も久しぶりだし、明日、行こうか? 会津へ」
 「うん、ありがとうヒロ」



 私たちの地元は会津若松だった。
 東北自動車道を走って行くと、景色は次第に山と田圃に移り変わっていった。


 郡山から磐越自動車道に乗った。

 「懐かしいなあ、お盆にもお正月にも帰らなかったから1年ぶりよ」
 「俺は3年ぶりかなあ?
 親父とお袋が死んでからは、俺には帰る理由もなくなったしね?」
 「母が再婚してからはなんとなく帰りづらくて」
 「そうだよな? 自分の親が再婚すると抵抗はあるよな?」
 「悪い人じゃないんだけどね、私はお父さんが好きだったから複雑」
 「お父さんにも会いに行こうよ」
 「ううん、お父さんはいいよ。お父さんにも別な人がいるようだし」
 「そうか?」


 いくつもの長いトンネルを抜けると、そこは白い雪景色に変わった。

 「スタッドレスにして来たけど、久しぶりの雪道は怖いよ」
 「やっぱり雪国だね?」
 「磐梯のサービスエリアでトイレ休憩して行こうか?」
 「そうだね」

 
 駐車場からは美しい磐梯山が見えていた。
 会津人にとって、磐梯山は富士山と同じだった。会津人の誇りであり、母なる山なのだ。
 雪化粧をした雄大な磐梯山は、所々にスキー場が点在し、山林が切り倒され、猪苗代湖側は山肌が見えていた。
 私はそれが嫌だった。

 学生の頃、何度か磐梯山にひとりで登ったが、磐梯山から眺める猪苗代湖はとても爽快な景色だった。
 麓に走る磐越西線と磐越自動車道、そして49号国道を走るクルマが蟻のように見えた。

 山登りはよく人生に例えられる。
 登る前は希望に溢れ、登り始めるとその苦しさに登山を始めたことを後悔する。
 「俺はどうしてこんなに過酷な山登りを始めてしまったのだろう」と。来た道を引き返すのも嫌だし、登るのも辛い。
 それを考えながら登山を続けていると、次第に頂上の気配を感じて来る。
 そして、突然広がる360度のパノラマ。

 その風景に今までの苦痛や迷い、後悔が吹き飛んでしまう。
 私は今、人生の登山の何合目にいるのだろうか?
 あるいはもう既に頂上を越え、山道を下っているのかもしれない。

 登山の醍醐味は、下山して自分の登った山を振り返った時にある。
 私の人生の山は険しく、高い。



 私と華絵はソフトクリームと温かいお茶を買った。

 「冬なのについソフトクリームって買っちゃうよね?」
 「クルマの中は暖かいからな?」
 「炬燵で食べるラムレーズンは最高だよね?」
 「そうだな」

 幸福だった。そんな何気ないひと時が。



 サービスエリアを出てドライブを続けていると、広大な会津盆地が眼前に広がった。
 インターを降りて、クルマは市内へと入って行った。
 道路には昨夜に降った雪がまだ残っていた。
 所々凍結しており、私は慎重に運転を続けた。
 そこは懐かしい街並みだった。

 「ここの中華屋さんでレバニラ炒めを食べたよね?」
 「まだあるんだな?」



 実家では義母が出迎えてくれた。
 
 「遠かったでしょう? どうしたの? 急に?」
 「寛之さんが休暇で、どこかに行こうということになって、それで会津に来たの。
 お母さんは元気そうね?」
 「おかげさまでね。
 でも私もあと3年で還暦よ、もうお婆ちゃんだわ」
 「お母さんはまだ若いわよ。いつも笑っているし」
 「お久しぶりです、お義母さん」
 「いつ帰国したの?」
 「10日ほど前です」
 「そう、今日は泊まっていけるんでしょう?」
 「はい、お世話になります」

 
 夜、食卓には会津の地元料理が並んだ。
 棒鱈煮、鰊の山椒漬、こづゆ、そして馬刺など。
 懐かしい郷土料理とすき焼きをご馳走になった。

 「懐かしい味でしょう? どんどん食べてね?」
 「堂免君、いつまで日本に?」
 「今回は少しゆっくり出来そうです」
 「それは良かった。なんならずっとここにいてもいいんだよ。のんびりするといい。
 いいもんだろう? 久しぶりの会津は?」
 「ありがとうございます。
 いいものですね? やはりふる里は?」

 義母の夫がビールを注いでくれた。

 「いいわよねー、東京は雪が降らないから。
 会津は相変わらずよ」
 「でも、私が子供の頃よりは降らなくなったわよね?」
 「昔よりはね?」
 「でも、帰ってくるとホッとするわ、ここには思い出がたくさんあるから」


 食後、私たちは華絵のアルバムを広げた。
 赤ん坊の時の華絵、幼稚園、小学校、中学、高校、そして大学、就職、結婚・・・。
 笑っている華絵、怒っている華絵、泣いてる華絵。
 いろんな華絵がそこにいた。
 
 「人生なんてあっという間ね?」
 「まだそんなことを言うには早いわよ、人生はこれからなんだから」
 「そうだね? まだお母さんの半分だもんね?」
 「人生はね、振り返っちゃ駄目。
 過去はもう過ぎたことだもの。
 大切なのは今。明日のことなんかわからないしね?」
 「明日・・・」
 「そうよ、辛いことは忘れて、楽しい明日を信じないと生きるのが苦しくなるでしょう?」
 
 義母の人生は決して平坦ではなかった筈だが、この人はいつも笑っている。



 寝床に就いて、私と華絵は手を繋いだ。

 「病気のことはお母さんには黙っておくことにする」
 「その方がいいかもしれないな?」
 「ねえ、明日、観光客にならない?」
 「観光客? いいねそれ」
 「会津で旅人になるの、私たち」
 「また新婚旅行だな?」
 「そうだね」

 私は華絵を抱き寄せ、背中を摩った。
 華絵の背中がより小さくなったように感じた。
 私は華絵の冷たくなった足を自分の足に挟んで温めてやった。

 「ヒロの足、あったかい・・・」
 「どういたしまして」

 静かな夜だった。

 外はまた、雪が降っているようだった。
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