箸で地球はすくえない

ねこよう

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ウサギの話 1章

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 産まれた時から世界は音の洪水だった。
 
 車の音。蛇口から出る水の音。ガスコンロの音。パパとママの話し声。
 私の耳は、全ての音を掬い取ってきた。もう次から次へと、頭の中に
入らきらないからいらないの。て思っても、私の耳は容赦がない。
 ピーポーピーポー ガチャン テュルルルテュルルル ジョーーー 
ねえちょっと来てよ パチン カチカチカチカチ 
 私が初めて喋った言葉は「ママ」でも「パパ」でもなくて、「バッタン」
だったらしい。部屋のドアを閉める音。バッタン。
 なので、人と会話を出来るようになるまでかなり遅かった。
人が喋る言葉も風の音も私にとっては同じなんだからしょうがない。
そんな私を見てママは悲しそうな顔をしたけど。
 
 私は私の中に温かいものを作っていった。
 思い出すと、思わずにっこりするみたいな温かい物を。
 例えばね、うさぎ。心の中にかわいくて小さいウサギの赤ちゃんを思い出すの。
そうすればほっこりして、なんだかニッコリできるでしょう? 
 私は自分の中にそうやって温かいものを集めていった。
 笑っているママの顔。普段はすごい目つきで私を睨むけど、たまにそうやって
笑う事があるの。赤ちゃんの頃の弟の顔。今は生意気になっちゃったけど、
赤ちゃんの頃ってそれはもうこれがあの弟なのってくらい可愛かったのよ。
あと、誕生日の日のパパの顔。パパはお仕事が忙しいみたいで、私が4歳の頃から
一人で外国に行っている。でも私の誕生日の日は必ず帰ってきてくれるの。
 そういういろんな温かいものを、私は頭の中のかごに入れて持っていた。
でも、そういう温かいものはまるで卵みたいに、ちょっとした事で壊れてしまうの。
だから大事に大事にそうっとかごの中に入れておいたら、私は口数のとっても少ない
女の子になってしまっていたらしい。だって、音の洪水の中で自分も喋っていたら、
頭の中にかごをいれておく余裕は無いもの。そうしたら、この世界であったかい
ものが欲しくなった時にどうするの? 寒くて寒くて泣いてるしかないじゃないの。
 ママは私を療育なんとかセンターっていう大きな建物に連れて行った。
 そこでは、髪を短くした顔の小さい女の人が待っていた。
 「はじめまして。私は木島リカ先生です。リカ先生って呼んでね」
 カラフルな壁でいろんなオモチャのある広いお部屋の中で私と向かい合うと、
女の人はそう言って、百点満点のにっこりをしてくれた。
 また私の中にあったかいものが増えた。
 それから、リカ先生は私と二人っきりになって、いろんな話をした。
 私もたくさん話した。だってリカ先生は私が話をすると嬉しそうに
ニッコリするんだもん。
 リカ先生は私の大事な温かい物の事を分かってくれた。
 「そういう物を大事にしているのって、とってもいい事だと先生は思うよ」
 
 幼稚園は、つまらない。
 えばりんぼうの紗江ちゃんや声の大きい和樹くんが「鬼ごっこやろう」って
言ったら、それに従わなくちゃいけないし、お友達に「これ可愛いでしょう?」
って言われたから正直に「そうでもないよ」って答えたら泣き出して
悪口言われたってなるし。
 そのうち、誰も私には遊びの声を掛けてこなくなったし、近寄ってくる子も
いなくなった。
 でも、私の中には温かいものがたくさんあって、ウサギさんもいたから
寂しくなかった。
だから私はウサギさんと一緒に、みんなを観察するようになった。
 ウサギさん、絵里香ちゃんは光ちゃんと遊ぶ時よりケイちゃんと遊ぶ方が
楽しそうだね。
 そうだね。あと、充くんは龍馬くんには親切にしているよね。本当だ。
 ねえねえ、また恭太くんが佐山先生に甘えてるよ。
 ああ、佐山先生はこの前、恭太くんみたいな子は生理的にキツイって他の先生に
喋っていたのが聞こえたよね。
 ウサギさんと話していると楽しかった。先生たちは私に近寄ってくると
「みんなと遊ばないの?」と心配そうに声をかけてくれたけど、
私はにっこり笑って頷いた。
 
 先生は、幼稚園バスに迎えに来たお母さんに毎回必ずお話をして、
お母さんはええ、ええ、と言いながらチラッと私に目を向けた。
 きっと私の事を話しているんだよね、ウサギさん。
そうだよ、先生もお母さんもみんなの輪に入れない君の事を大丈夫かなぁって
見ているんだよ。そうなんだ。私は別に痛い思いや嫌な思いをしているわけ
じゃないんだけど、そんなにみんなと一緒に何かしなくちゃいけないのかな。
そうすればね、先生もお母さんも安心するんだと思うんだ。
自分が出来て楽しいと思う事を、君が出来るようになったから。
 一週間に一度くらい、お母さんは私に、どうしてみんなと仲良く出来ないのかを
怖い目つきで聞いてくる。私はあったかいものやウサギさんの事を話すんだけど、
お母さんはフーとため息をついて、いい?もうウサギさんとお友達じゃなくて、
幼稚園の中でお友達を作ってよ。絵里香ちゃんとか光ちゃんとかたくさん
いるでしょ?なんであの子達と仲良く遊べないの?
そんなのだと、お姉さんになって小学校とかあがった時に、もしかしたら
みんなにいじめられたりしちゃうかもしれないのよ。
お母さんはね、それであなたが泣いちゃったりするのを見てるのが辛いの。
 お母さんの言ってること、半分くらいよく分からなかった。
でもアタシの事を心配してくれているのは分かった。

 「あのコさ、時々一人で何か言ってるんだよ。ちょっと変だよね」
 教室の自分の席に座っていると、そんな声が聞こえた。
 ああまただ。あの声はきっと吉岡さんだろう。
 日吉さん山田さんと仲が良いグループで、河崎君の事が好きな。
 家は六丁目のコンビニの角を曲がった所、お兄さんが一人いて、
算数が苦手で社会が得意。おこづかいは毎月2000円もらっている。
 私はもう小学校の六年生になっていた。でも友達は誰もいなかった。
お母さんは私がいつも一人ぼっちな事について、最近は何も言わなくなっていた。
「もうあきらめたわ」だそうだ。
 修学旅行には行きたくなかった。
 どうして仲良くも無い子達と、たまたま同じクラスになったってだけで、
一緒に旅行をして、一緒に行動しないといけないのだろう。
 クラスのグループ分けの時に、私が入ったグループのみんなは、
案の定「変なもの」を押し付けられたって顔でヒソヒソしたりした。
 
 日光の東照宮に行った時、同じグループの女子たちの後ろにくっついて、
トボトボと歩いていた。なんでこんなお寺みたいなところを見なくちゃ
いけないのって考えながら。
 「あ、あれだよあれ」
 グループの子のそんな声で顔を上げた。
 その子が指さしている先を見て、私は気持ちをもっていかれた。
 いろんな装飾の中にただ目を瞑っている猫がいるだけなのだけど、
心の中にいろんな声が飛び込んできた。
 それは、あの猫を彫った人とかその周りにいた人とかの声だったのかもしれない。
でもずうっと静かに我慢していて、やっと話を聞いてくれた人が来たみたいに、
わあわあといろんな人が私に喋り出した。
  私はその声を聞くのに集中してしまい「ねえもう行こうよ」というグループの
女子の声なんか全く耳に入ってこなかった。
 どのぐらい、そこで立ち止まって声に耳を傾けていたのだろうか。
 もうとっくにグループのコはいなくなったし、何十人もの観光客が通り過ぎて
行った。
 
 ふと、隣に立つ気配を感じて顔を向けると、
黒い服を着た背の高い男の人が立っていた。
その人もただ黙って猫を見上げている。
へー、この人もこの猫が好きなのね。と思っていたら、
猫を彫った人のお友達が私に「なああんた」って話しかけてきたから、
思わず「ちょっと待って」って声に出して言っちゃったら、
その男の人はギョッとしてこちらに目を向けたの。
 「あんたも・・・聞こえるのか?」
 その人が発した声は、見た目よりもかなり年取ったような印象の声だった。
 私は少し驚いたけど、ゆっくりと首を縦に振ったの。
「そうかい・・・他の人間には聞こえないんだよなぁ。あんたには聞こえるんだね」
 私はどう答えていいか分からずに、ただうんって頷いた。
 男の人は、そうかそうかって言うと、また猫に目線を戻してた。
 それから、私たちは猫の飾りからのいろんな人の声を聞きながら、
時々「分かってる」とか「それはそうだよ」とかどっちかが声を出して返事をして、
ちょっといたずらが見つかった時みたいにお互いで目を合わせて笑ったりしていた。
 
 どのくらい経った時だか、男の人は腕時計を見て
 「そろそろあんたは行った方がいいよ。一緒に来た人達が心配するから」
と言ってきた。
 もう行かなきゃダメか。つまんないなぁと思ったら、
 「まさかこんな所でお仲間に会えるなんて。良かったよ」
 その人が手を差し出してきたから、私はその手を握った。
指が細くて少しひんやりとした手だった。
 次にその人は、かばんのポケットから小さな四角い紙を出して渡してきたの。
その紙には、名前も何も書いてなくて、アルファベットが横並びに書いてあった。
 「あんたなら、俺の言いたい事が分かりそうだ。」
 そしてその男の人はフフフと笑った。
 「とっても面白いことなんだよ。それが知りたければ、連絡してきなさい」
 男の人はなんだかよくわからない事を言うと、どこかに行っちゃった。
 私は、もう一度その紙を読んでみた。
 
 kurousagi@‥…
 クロウサギ。って書いてあった。

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