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キツネとタヌキ
第五話 鏡の中の優男
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ジャキジャキとハサミの音が、静かな食堂に木霊している。キャスリーンはぷりっとした唇をペロッと舐めながら、得意げにハサミを鳴らしていた。
「あっ!」
ハサミがブレる度に、心配顔のミーティアからは、ハラハラした吐息が漏れている。その手は中途半端に開いて、空中の何かを掴もうと彷徨っていた。今にもローイックの頭にハサミが刺さりそうだからだ。
ローイックの心配した通り、キャスリーンのハサミの腕前は、剣のそれ程は良くなかった。髪の毛の長さはバラバラで、所謂虎刈りになってしまっている。
ローイックが「あの、姫様」と声を掛けてもキャスリーンは「ちょっと静かにしてて!」ととりつく島もなかった。ローイックの前髪を摘まんだ指がプルプル震えている。彼女も緊張しているのだ。
ローイックはキャスリーンの真剣な顔をじっと見つめた。剣の稽古以外では、この真面目な顔をする事は稀だったからだ。
ローイックは日中は書類と戦っているので、キャスリーンの剣の稽古は見た事は少ない。だから、今、目の前にある彼女の真面目な表情というのは、貴重なのだ。
いずれ彼女はどこかに嫁いでしまう。ローイックは、しっかりと瞼に焼き付けておきたかった。
「……あんまり、じろじろ見ないでよ」
至近距離で見つめられたら、キャスリーンとていい気はしないのだろう。そう考えたローイックは静かに目を閉じた。視線を下げると、必然的に胸元に行ってしまうのだ。
キャスリーンのそこは、彼女の性格とは真反対で控えめだった。本人が気にしているのを耳に挟んだことがあるから、ローイックは避けたのだ。
「えっと、それはそれで、恥ずかしいんだけど」
何故恥ずかしいのか分からないローイックは、どうして良いか分からず、小さくため息を付いた。
「見事なまでにバラバラですね」
ミーティアの口からは辛辣な言葉が飛び出てきた。
「……うるさいわね」
キャスリーンによって綺麗に切り揃えられた筈のローイックの髪は、無惨という言葉がしっくり来てしまう出来映えだった。唯一の成功は、ローイックの視界がすっきりした事である。鏡で見せられた惨状でも、ローイックはメゲなかった。
「いやぁ、さっぱりとして、世界が明るいですね」
「……ローイックごめんね」
ローイックがフォローのつもりで呑気な感想を述べても、キャスリーンは俯いてしまった。ローイックは、その様なことは望んでいない。
「いえ、よく見える様になったのは姫様のお陰です。ありがとうございます」
ローイックは、努めて穏やかな笑みをキャスリーンに向けた。彼女の落ち込む顔など見たくないのだ。顔を上げ、ローイックの笑みを見たキャスリーンは「でも、カッコいいよ」とはにかんでくれた。それだけでローイック的には満足だった。
ただ、それでは髪型の問題は解決しないのであるが。
「はぁ、仕方ありません。私が仕上げます」
ミーティアがため息を零しながらハサミを取り、ローイックの前に立った。
「これ以上此処にいると、当てられた私がいたたまれなくなりそうですし……」
彼女のボソボソとした独り言は、ローイックには良く聞き取れなかった。
「この程度でよろしいでしょうか?」
「さっすがミーティア。何をやらせても完璧ね!」
「おそれいります」
ミーティアが額に光る汗にハンカチを押し当てて拭っている横で、キャスリーンが嬉しそうに手を叩いた。ローイックは二人の感じから、見れるようにはなったのだな、と思った。
手で確認してみると、髪の毛の段差はなくなり、長さも指でとかす程度はあった。耳周りも空気に触れていて、ややひんやりとしている。
「どぉ? 似合ってると思うんだけど?」
キャスリーンが鏡を持って見せてくれた。皇女にやらせて良い事ではないが、ミーティアはその横で自身の作品を満足げに眺めている。ミーティアは、なんだかんだでキャスリーンがローイックの為に何かをすることに対して、見落としてしまうこともあるのだ。
「凄い、さっぱりしました」
鏡の中のローイックは、何処の優男だ?という男性になっていた。茶色の髪と、ちょっとたれ目でぽやーんとした顔がそう見せているのだろう。
「ほら! 言った通り、ローイックはカッコいいのよ!」
「はいはい、そうですね。ご婦人方が放っておかないくらいには、優男ですね」
「……なんで毒が入ってるのよ」
「はぁ……」
したり顔で話しかけてくるキャスリーンに対して、ミーティアはヤレヤレと言う顔で肩を落としていた。鈍感な二人に挟まれているミーティアもまた、苦労人なのだ。
遠くで鐘が十回鳴ると同時に、廊下から話し声と多数のブーツの靴音が聞こえてきた。休憩時間に入ったようだ。少々フライングだが、まぁ第三騎士団はこんなものだ。
「いけませんね、皆さんが帰ってきます。片付けませんと」
ミーティアがスッと動き、箒とちりとりを持ってきた。テキパキと散らかった髪の毛を集めている。彼女はデキる女なのだ。
キャスリーンはローイックの背後に回り、首の後ろで縛った布を外しにかかっていた。ローイックは慌てて「自分でやりますから」と制止したが、キャスリーンはそんなことで止める女ではない。
「見えないんだから、できる訳ないでしょー」
「いや、できますって」
「だめよ!」
ローイックからは見えないが、恐らくは口を尖らせているだろう口調だった。端から見ればじゃれているとしか見えないやりとりでも、ローイックは真剣だ。
皇女に何をやらせているのだ、と怒られると、自らもだが、キャスリーンの立場が悪くなるからだ。
「おー、ローイック君がさっぱりしてる」
「ミーティアさんは万能ねー」
「あたしにも欲しいなー」
騎士たちは食堂に入り、すっきりしたローイックを見て、ミーティアがやったと看破していた。キャスリーンが不器用なのは有名なのだ。また、キャスリーンが無自覚にローイックとじゃれるのは日常の風景なので、騎士達もあげつらう事はしない。寧ろ黙って二人を生暖かく見守っている。
彼女達は年齢も様々で、上は三十半ばから下はミラージュのように未成年までいる。既婚者もいる。ちなみに成人は十六歳からだ。キャスリーンは成人すると同時に騎士団を作り、そこの騎士団長に収まったのだ。
「みんなお疲れ様ー。問題あったー?」
騎士達が休憩に帰ってきたことに気が付いたキャスリーンが、労いの言葉をかけた。本来なら彼女も行ってなければならなかったからだ。生憎、今日はローイックの身嗜みを調える必要があり、行けなかった。皇帝陛下の視察があるために、優先はローイックの見てくれなのだ。
「特にありませ~ん」
「特になし」
キャスリーンに答えたのは騎士団で副官をしているテリア・ロックウェルとタイフォン・ロックウェルだ。
この二人は双子で、キャスリーンの従姉妹にあたる。母親の姉の娘で、二十歳と年齢も近く、幼い頃から頻繁に遊んでいたのだ。
此処《騎士団》にいるという事は、やはりというか血筋なのか、お転婆なのだ。一応既婚者で、面白い事に同じ家に嫁いでいる。だから苗字が一緒なのだ。
髪の色や顔立ちはキャスリーンに似ているが、瞳の色が茶色で違っていた。似たような背丈で、何かの時はキャスリーンとすり替わる替え玉、ということになっている。
「へぇ、ローイック君、カッコ良くなっちゃって~」
「なるほど」
テリアとタイフォンはローイックとキャスリーンの顔を見比べていた。そして意味深に微笑んだ。
「ちょっと、どーゆー意味よ」
「そのまんま、ですけど?」
「お似合い」
テリアとタイフォン姉妹。口元に黒子があるのがテリアで、ぼそりと話すのがタイフォンだ。
「なななに言ってるのよ!」
お似合いと言われ、キャスリーンがどもり始めた。照れを隠すためか、口調も強くなっている。
「美男美女の組み合わせって、理想よね~。萌えるわ!」
「狐と狸」
「い、意味が分からないわよ!」
良く似た顔の三人がワチャワチャ言い合いをしているのを、ローイックは為す術なく、見ていた。口を挟めばとばっちりを受ける、と考えたのもある。
「ローイック!」
キャスリーンが涙目でローイックを睨んできた。色々と耐えきれなくなったのだ。
「……何故私なんです?」
何故かとばっちりは、キャスリーンから飛んできた。ローイックは意味が分からず、首を捻るばかりだった。
「あっ!」
ハサミがブレる度に、心配顔のミーティアからは、ハラハラした吐息が漏れている。その手は中途半端に開いて、空中の何かを掴もうと彷徨っていた。今にもローイックの頭にハサミが刺さりそうだからだ。
ローイックの心配した通り、キャスリーンのハサミの腕前は、剣のそれ程は良くなかった。髪の毛の長さはバラバラで、所謂虎刈りになってしまっている。
ローイックが「あの、姫様」と声を掛けてもキャスリーンは「ちょっと静かにしてて!」ととりつく島もなかった。ローイックの前髪を摘まんだ指がプルプル震えている。彼女も緊張しているのだ。
ローイックはキャスリーンの真剣な顔をじっと見つめた。剣の稽古以外では、この真面目な顔をする事は稀だったからだ。
ローイックは日中は書類と戦っているので、キャスリーンの剣の稽古は見た事は少ない。だから、今、目の前にある彼女の真面目な表情というのは、貴重なのだ。
いずれ彼女はどこかに嫁いでしまう。ローイックは、しっかりと瞼に焼き付けておきたかった。
「……あんまり、じろじろ見ないでよ」
至近距離で見つめられたら、キャスリーンとていい気はしないのだろう。そう考えたローイックは静かに目を閉じた。視線を下げると、必然的に胸元に行ってしまうのだ。
キャスリーンのそこは、彼女の性格とは真反対で控えめだった。本人が気にしているのを耳に挟んだことがあるから、ローイックは避けたのだ。
「えっと、それはそれで、恥ずかしいんだけど」
何故恥ずかしいのか分からないローイックは、どうして良いか分からず、小さくため息を付いた。
「見事なまでにバラバラですね」
ミーティアの口からは辛辣な言葉が飛び出てきた。
「……うるさいわね」
キャスリーンによって綺麗に切り揃えられた筈のローイックの髪は、無惨という言葉がしっくり来てしまう出来映えだった。唯一の成功は、ローイックの視界がすっきりした事である。鏡で見せられた惨状でも、ローイックはメゲなかった。
「いやぁ、さっぱりとして、世界が明るいですね」
「……ローイックごめんね」
ローイックがフォローのつもりで呑気な感想を述べても、キャスリーンは俯いてしまった。ローイックは、その様なことは望んでいない。
「いえ、よく見える様になったのは姫様のお陰です。ありがとうございます」
ローイックは、努めて穏やかな笑みをキャスリーンに向けた。彼女の落ち込む顔など見たくないのだ。顔を上げ、ローイックの笑みを見たキャスリーンは「でも、カッコいいよ」とはにかんでくれた。それだけでローイック的には満足だった。
ただ、それでは髪型の問題は解決しないのであるが。
「はぁ、仕方ありません。私が仕上げます」
ミーティアがため息を零しながらハサミを取り、ローイックの前に立った。
「これ以上此処にいると、当てられた私がいたたまれなくなりそうですし……」
彼女のボソボソとした独り言は、ローイックには良く聞き取れなかった。
「この程度でよろしいでしょうか?」
「さっすがミーティア。何をやらせても完璧ね!」
「おそれいります」
ミーティアが額に光る汗にハンカチを押し当てて拭っている横で、キャスリーンが嬉しそうに手を叩いた。ローイックは二人の感じから、見れるようにはなったのだな、と思った。
手で確認してみると、髪の毛の段差はなくなり、長さも指でとかす程度はあった。耳周りも空気に触れていて、ややひんやりとしている。
「どぉ? 似合ってると思うんだけど?」
キャスリーンが鏡を持って見せてくれた。皇女にやらせて良い事ではないが、ミーティアはその横で自身の作品を満足げに眺めている。ミーティアは、なんだかんだでキャスリーンがローイックの為に何かをすることに対して、見落としてしまうこともあるのだ。
「凄い、さっぱりしました」
鏡の中のローイックは、何処の優男だ?という男性になっていた。茶色の髪と、ちょっとたれ目でぽやーんとした顔がそう見せているのだろう。
「ほら! 言った通り、ローイックはカッコいいのよ!」
「はいはい、そうですね。ご婦人方が放っておかないくらいには、優男ですね」
「……なんで毒が入ってるのよ」
「はぁ……」
したり顔で話しかけてくるキャスリーンに対して、ミーティアはヤレヤレと言う顔で肩を落としていた。鈍感な二人に挟まれているミーティアもまた、苦労人なのだ。
遠くで鐘が十回鳴ると同時に、廊下から話し声と多数のブーツの靴音が聞こえてきた。休憩時間に入ったようだ。少々フライングだが、まぁ第三騎士団はこんなものだ。
「いけませんね、皆さんが帰ってきます。片付けませんと」
ミーティアがスッと動き、箒とちりとりを持ってきた。テキパキと散らかった髪の毛を集めている。彼女はデキる女なのだ。
キャスリーンはローイックの背後に回り、首の後ろで縛った布を外しにかかっていた。ローイックは慌てて「自分でやりますから」と制止したが、キャスリーンはそんなことで止める女ではない。
「見えないんだから、できる訳ないでしょー」
「いや、できますって」
「だめよ!」
ローイックからは見えないが、恐らくは口を尖らせているだろう口調だった。端から見ればじゃれているとしか見えないやりとりでも、ローイックは真剣だ。
皇女に何をやらせているのだ、と怒られると、自らもだが、キャスリーンの立場が悪くなるからだ。
「おー、ローイック君がさっぱりしてる」
「ミーティアさんは万能ねー」
「あたしにも欲しいなー」
騎士たちは食堂に入り、すっきりしたローイックを見て、ミーティアがやったと看破していた。キャスリーンが不器用なのは有名なのだ。また、キャスリーンが無自覚にローイックとじゃれるのは日常の風景なので、騎士達もあげつらう事はしない。寧ろ黙って二人を生暖かく見守っている。
彼女達は年齢も様々で、上は三十半ばから下はミラージュのように未成年までいる。既婚者もいる。ちなみに成人は十六歳からだ。キャスリーンは成人すると同時に騎士団を作り、そこの騎士団長に収まったのだ。
「みんなお疲れ様ー。問題あったー?」
騎士達が休憩に帰ってきたことに気が付いたキャスリーンが、労いの言葉をかけた。本来なら彼女も行ってなければならなかったからだ。生憎、今日はローイックの身嗜みを調える必要があり、行けなかった。皇帝陛下の視察があるために、優先はローイックの見てくれなのだ。
「特にありませ~ん」
「特になし」
キャスリーンに答えたのは騎士団で副官をしているテリア・ロックウェルとタイフォン・ロックウェルだ。
この二人は双子で、キャスリーンの従姉妹にあたる。母親の姉の娘で、二十歳と年齢も近く、幼い頃から頻繁に遊んでいたのだ。
此処《騎士団》にいるという事は、やはりというか血筋なのか、お転婆なのだ。一応既婚者で、面白い事に同じ家に嫁いでいる。だから苗字が一緒なのだ。
髪の色や顔立ちはキャスリーンに似ているが、瞳の色が茶色で違っていた。似たような背丈で、何かの時はキャスリーンとすり替わる替え玉、ということになっている。
「へぇ、ローイック君、カッコ良くなっちゃって~」
「なるほど」
テリアとタイフォンはローイックとキャスリーンの顔を見比べていた。そして意味深に微笑んだ。
「ちょっと、どーゆー意味よ」
「そのまんま、ですけど?」
「お似合い」
テリアとタイフォン姉妹。口元に黒子があるのがテリアで、ぼそりと話すのがタイフォンだ。
「なななに言ってるのよ!」
お似合いと言われ、キャスリーンがどもり始めた。照れを隠すためか、口調も強くなっている。
「美男美女の組み合わせって、理想よね~。萌えるわ!」
「狐と狸」
「い、意味が分からないわよ!」
良く似た顔の三人がワチャワチャ言い合いをしているのを、ローイックは為す術なく、見ていた。口を挟めばとばっちりを受ける、と考えたのもある。
「ローイック!」
キャスリーンが涙目でローイックを睨んできた。色々と耐えきれなくなったのだ。
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