第三騎士団の文官さん

海水

文字の大きさ
5 / 59
キツネとタヌキ

第五話 鏡の中の優男

しおりを挟む
 ジャキジャキとハサミの音が、静かな食堂に木霊している。キャスリーンはぷりっとした唇をペロッと舐めながら、得意げにハサミを鳴らしていた。

「あっ!」

 ハサミがブレる度に、心配顔のミーティアからは、ハラハラした吐息が漏れている。その手は中途半端に開いて、空中の何かを掴もうと彷徨っていた。今にもローイックの頭にハサミが刺さりそうだからだ。
 ローイックの心配した通り、キャスリーンのハサミの腕前は、剣のそれ程は良くなかった。髪の毛の長さはバラバラで、所謂虎刈りになってしまっている。

 ローイックが「あの、姫様」と声を掛けてもキャスリーンは「ちょっと静かにしてて!」ととりつく島もなかった。ローイックの前髪を摘まんだ指がプルプル震えている。彼女も緊張しているのだ。
 ローイックはキャスリーンの真剣な顔をじっと見つめた。剣の稽古以外では、この真面目な顔をする事は稀だったからだ。
 ローイックは日中は書類と戦っているので、キャスリーンの剣の稽古は見た事は少ない。だから、今、目の前にある彼女の真面目な表情というのは、貴重なのだ。
 いずれ彼女はどこかに嫁いでしまう。ローイックは、しっかりと瞼に焼き付けておきたかった。

「……あんまり、じろじろ見ないでよ」

 至近距離で見つめられたら、キャスリーンとていい気はしないのだろう。そう考えたローイックは静かに目を閉じた。視線を下げると、必然的に胸元に行ってしまうのだ。
 キャスリーンのそこは、彼女の性格とは真反対で控えめだった。本人が気にしているのを耳に挟んだことがあるから、ローイックは避けたのだ。

「えっと、それはそれで、恥ずかしいんだけど」

 何故恥ずかしいのか分からないローイックは、どうして良いか分からず、小さくため息を付いた。




「見事なまでにバラバラですね」

 ミーティアの口からは辛辣な言葉が飛び出てきた。

「……うるさいわね」

 キャスリーンによって綺麗に切り揃えられた筈のローイックの髪は、無惨という言葉がしっくり来てしまう出来映えだった。唯一の成功は、ローイックの視界がすっきりした事である。鏡で見せられた惨状でも、ローイックはメゲなかった。

「いやぁ、さっぱりとして、世界が明るいですね」
「……ローイックごめんね」

 ローイックがフォローのつもりで呑気な感想を述べても、キャスリーンは俯いてしまった。ローイックは、その様なことは望んでいない。

「いえ、よく見える様になったのは姫様のお陰です。ありがとうございます」

 ローイックは、努めて穏やかな笑みをキャスリーンに向けた。彼女の落ち込む顔など見たくないのだ。顔を上げ、ローイックの笑みを見たキャスリーンは「でも、カッコいいよ」とはにかんでくれた。それだけでローイック的には満足だった。
 ただ、それでは髪型の問題は解決しないのであるが。

「はぁ、仕方ありません。私が仕上げます」

 ミーティアがため息を零しながらハサミを取り、ローイックの前に立った。

「これ以上此処にいると、当てられた私がいたたまれなくなりそうですし……」

 彼女のボソボソとした独り言は、ローイックには良く聞き取れなかった。




「この程度でよろしいでしょうか?」
「さっすがミーティア。何をやらせても完璧ね!」
「おそれいります」

 ミーティアが額に光る汗にハンカチを押し当てて拭っている横で、キャスリーンが嬉しそうに手を叩いた。ローイックは二人の感じから、見れるようにはなったのだな、と思った。
 手で確認してみると、髪の毛の段差はなくなり、長さも指でとかす程度はあった。耳周りも空気に触れていて、ややひんやりとしている。

「どぉ? 似合ってると思うんだけど?」

 キャスリーンが鏡を持って見せてくれた。皇女にやらせて良い事ではないが、ミーティアはその横で自身の作品を満足げに眺めている。ミーティアは、なんだかんだでキャスリーンがローイックの為に何かをすることに対して、見落としてしまうこともあるのだ。

「凄い、さっぱりしました」

 鏡の中のローイックは、何処の優男だ?という男性になっていた。茶色の髪と、ちょっとたれ目でぽやーんとした顔がそう見せているのだろう。

「ほら! 言った通り、ローイックはカッコいいのよ!」
「はいはい、そうですね。ご婦人方が放っておかないくらいには、優男ですね」
「……なんで毒が入ってるのよ」
「はぁ……」

 したり顔で話しかけてくるキャスリーンに対して、ミーティアはヤレヤレと言う顔で肩を落としていた。鈍感な二人に挟まれているミーティアもまた、苦労人なのだ。




 遠くで鐘が十回鳴ると同時に、廊下から話し声と多数のブーツの靴音が聞こえてきた。休憩時間に入ったようだ。少々フライングだが、まぁ第三騎士団はこんなものだ。

「いけませんね、皆さんが帰ってきます。片付けませんと」

 ミーティアがスッと動き、箒とちりとりを持ってきた。テキパキと散らかった髪の毛を集めている。彼女はデキる女なのだ。
 キャスリーンはローイックの背後に回り、首の後ろで縛った布を外しにかかっていた。ローイックは慌てて「自分でやりますから」と制止したが、キャスリーンはそんなことで止める女ではない。

「見えないんだから、できる訳ないでしょー」
「いや、できますって」
「だめよ!」

 ローイックからは見えないが、恐らくは口を尖らせているだろう口調だった。端から見ればじゃれているとしか見えないやりとりでも、ローイックは真剣だ。
 皇女に何をやらせているのだ、と怒られると、自らもだが、キャスリーンの立場が悪くなるからだ。

「おー、ローイック君がさっぱりしてる」
「ミーティアさんは万能ねー」
「あたしにも欲しいなー」

 騎士たちは食堂に入り、すっきりしたローイックを見て、ミーティアがやったと看破していた。キャスリーンが不器用なのは有名なのだ。また、キャスリーンが無自覚にローイックとじゃれるのは日常の風景なので、騎士達もあげつらう事はしない。寧ろ黙って二人を生暖かく見守っている。

 彼女達は年齢も様々で、上は三十半ばから下はミラージュのように未成年までいる。既婚者もいる。ちなみに成人は十六歳からだ。キャスリーンは成人すると同時に騎士団を作り、そこの騎士団長に収まったのだ。

「みんなお疲れ様ー。問題あったー?」

 騎士達が休憩に帰ってきたことに気が付いたキャスリーンが、労いの言葉をかけた。本来なら彼女も行ってなければならなかったからだ。生憎、今日はローイックの身嗜みを調える必要があり、行けなかった。皇帝陛下の視察があるために、優先はローイックの見てくれなのだ。

「特にありませ~ん」
「特になし」

 キャスリーンに答えたのは騎士団で副官をしているテリア・ロックウェルとタイフォン・ロックウェルだ。
 この二人は双子で、キャスリーンの従姉妹にあたる。母親の姉の娘で、二十歳と年齢も近く、幼い頃から頻繁に遊んでいたのだ。
 此処《騎士団》にいるという事は、やはりというか血筋なのか、お転婆なのだ。一応既婚者で、面白い事に同じ家に嫁いでいる。だから苗字が一緒なのだ。
 髪の色や顔立ちはキャスリーンに似ているが、瞳の色が茶色で違っていた。似たような背丈で、何かの時はキャスリーンとすり替わる替え玉、ということになっている。




「へぇ、ローイック君、カッコ良くなっちゃって~」
「なるほど」
 
 テリアとタイフォンはローイックとキャスリーンの顔を見比べていた。そして意味深に微笑んだ。

「ちょっと、どーゆー意味よ」
「そのまんま、ですけど?」
「お似合い」

 テリアとタイフォン姉妹。口元に黒子があるのがテリアで、ぼそりと話すのがタイフォンだ。

「なななに言ってるのよ!」

 お似合いと言われ、キャスリーンがどもり始めた。照れを隠すためか、口調も強くなっている。

「美男美女の組み合わせって、理想よね~。萌えるわ!」
「狐と狸」
「い、意味が分からないわよ!」

 良く似た顔の三人がワチャワチャ言い合いをしているのを、ローイックは為す術なく、見ていた。口を挟めばとばっちりを受ける、と考えたのもある。

「ローイック!」

 キャスリーンが涙目でローイックを睨んできた。色々と耐えきれなくなったのだ。

「……何故私なんです?」

 何故かとばっちりは、キャスリーンから飛んできた。ローイックは意味が分からず、首を捻るばかりだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...