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キツネとタヌキ
第四話 怖い侍女
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「食べ終わったら髪を切るよ!」
ローイックが朝食を取っている姿を満足げに見ていたキャスリーンが、徐(おもむろ)に話しかけてきた。パンを齧ろうとしたローイックは固まってしまう。
「これから、ですか?」
「そうよ、これからよ!」
キャスリーンはニコッと愛くるしい笑顔を披露しているが、有無を言わせない目もしていた。良く分らないが、とっとと食事を済ませてしまおうと、ローイックはパンを口に詰め込んだ。
「さっきも言ったけど、お父様が視察で来るからね」
「ぐふっ」
キャスリーンの父である皇帝陛下が来ると聞いて、ローイックはパンを喉に詰まらせた。寝耳に水状態だ。ローイックは咽ながらも手を伸ばし、水の入ったグラスを取った。パンを押し流すように、ぐいっと一気に水を飲みほす。
「ちょっと、ローイック!」
キャスリーンが慌てて席を立ち、ローイックの背中に回った。水を飲んだ彼の背中をバシバシと叩いてきた。
「げほっげほっ」
「もー、なに慌ててんのよー」
「す、すみません」
第四皇女にこんなことをさせているのが人の目に入ったら、ローイックはただでは済まないのだが、たまたまこの食堂には二人しかいない。調理師も席を外しているのだ。
「さっき言ったこと、聞いてなかったの?」
キャスリーンが、咽り過ぎて涙目になってるローイックの肩に手を当て、後ろから顔を窺ってきた。
「ちょっと、ゴホ、考え、ゴホ してま ゴホ」
「もう、収まるまで静かにしてなさい」
キャスリーンが、またローイックの背中を叩き始めたが、今度はトントン程度で優しいものだ。その内ローイックの呼吸も落ち着いて「ありがとうございます、もう、大丈夫です」と手を挙げて教えた。
キャスリーンは人差し指を立てて「あ・わ・て・す・ぎ」と可愛く窘めてくる。ローイックはその仕草に思わず微笑んでしまう。
「む、反省してないなー」
ぷぅとむくれるキャスリーンにローイックは「いやー姫様の仕草が可愛いので、つい」と頭を掻きながら軽口を叩く。彼女はちょっと頬を赤らめて、ふいっと視線を逸らしてしまう。
ローイックは彼女のこんな所も、好きだった。
「お父様が視察に来るんだから、せめて髪くらい切らないと、って思ったのよ。ちょっとでも良い印象を与えたいじゃない」
キャスリーンは明後日の方を向いたまま喋っていた。ローイックは嫌な予感にちょっと頬を引きつらせた。
「姫様」
二人がそんな会話をしていると、食堂の入り口から低めの女性の声が響いてきた。
「そのような者とお戯れになるのも、程々にして下さい」
そんな事を言いながら静々と食堂に入ってきたのは、キャスリーン専属侍女のミーティアだ。黒い髪を頭の上に丸くまとめ、黒いボレロに黒いロングスカート姿の真っ黒な女性だ。ついでに瞳も黒かった。
皇女に仕える侍女は、その主によって色分けされる。第四皇女のキャスリーンは黒だ。背が低く、ちょっと幼い顔付きの彼女は、その黒が良く似合っていた。
「ローイックが咽せってたんだから、介抱くらいするのは当然でしょ!」
「そのような者と仲良く話をしている所を見られては、姫様のお立場が悪くなります。姫様は皇女殿下なのです!」
ミーティアは二人が仲良くしていると機嫌が悪い。皇女が平民でもない者と会話しているだけでも、白い目で見られてしまうものらしい。
ローイックとて侯爵の息子であり、礼儀作法はみっちり教え込まれている。キャスリーンに無礼を働く事はない。それでも、駄目なのだ。身分とは、その様なものなのだ。
「此処にはそんな事を言う人はいないわ」
「関係御座いません!」
彼女はキャスリーンの言葉もピシャリと断ってしまう。
ミーティアはキャスリーンよりも四つ年上で、ローイックと同い年だ。彼女がキャスリーンの侍女になったのは九年前だ。付き合いの長さから、皇女といえども強く出られるのだろう。ローイックとキャスリーンが初めて出逢った時に、探しに来たのもミーティアだった。
「申し訳ありませんでした」
傍観していたローイックが深々と頭を下げた。この方法が、一番被害が無いのだ。
「ローイックは悪く――」
「それで良いのです!」
厳しい口調でミーティアがキャスリーンを遮った。キャスリーンは唇を噛んで、ミーティアを睨みつけている。そんな様子を見たローイックは、自らの想いは表に出してはいけない、と再度確認をした。キャスリーンに迷惑をかけたくはないのだ。
「酷いにも程があるわよ、ミーティア!」
「ここは宮殿の端にあり、騎士団の関係者しか来ない場所ではありますが、人の目というものは、何処にあるか分からないものです!」
いくらキャスリーンが反論の言葉を紡ぎ出そうとしても、ミーティアはその反論も封じ込めていく。
「ミーティアさんが、正しいのですよ」
ローイックは、宥めるように優しい声でキャスリーンに話しかけた。これ以上言い争いをして二人の信頼関係を拗れさせたくなかったローイックは、ミーティアの味方をした。彼女の言っていることは正しいのだ。
「でも、ローイックは悪くないの!」
キャスリーンは悔しそうな顔で、最後までローイックを擁護していた。
有難う御座います、とローイックは心の中でお礼を述べた。
「それよりもローイックさん。あなたのその、みっともない髪はどうにかならないのですか?」
ミーティアがじろりとローイックの髪を見てきた。確かに長い。そして見栄えは悪い。
「確かに、長いのですが、切る時間が無くてですね……」
ローイックも苦笑いだ。キャスリーンだけでなくミーティアにまで言われてしまっては、どうにかする他ない。しかも皇帝陛下が視察に来るとなれば尚更だ。
「大丈夫よ、今から切るんだから。綺麗に切り揃えてあれば、ローイックはカッコイイんだから!」
「ひ、姫様?」
キャスリーンが自信たっぷりの笑顔を見せた。だがローイックは知っているのだ。この皇女様が、この上なく不器用な事を。ハサミで切るよりも剣で切る方が、よほど上手く切れるのではないか。とローイックは思ってしまった。そして切られるのは自分なのだと。
「なによーその目はー。ローイックはあたしの腕前を疑ってるの~?」
「……いえ」
可愛く口を尖がらせて流し目を送って来るキャスリーンに対して、はい疑ってます、などと言うどころか、思うことさえも出来なかった。ローイックの完敗である。
「……姫様自らお切りになるおつもりですか?」
さすがにミーティアも看過出来ない案件らしく、顔が険しくなっている。まぁ、皇女がやって良い事ではないのは確かだ。
「そうよ。カッコよくしちゃうんだから!」
初めて会った時と変わらない、二パッと笑うキャスリーンに、ローイックは、ただ見とれるだけだった。
椅子に座らされたローイックの首には大きな布が巻かれ、体をすっぽりと覆われている。捕らわれた彼の目の前には、ハサミを持ってニコニコしているキャスリーンが、脇には呆れ顔のミーティアが控えていた。
「姫様、本当に、おやりになるのですか?」
「もっちろんよ!」
嬉しそうに答えるキャスリーンに、ミーティアは額に手を当てて俯いたている。止めても無駄だと理解したのだろう。
ローイックは観念してどうにでもれ、と思考を停止させた。俎の上のナントやらだが、彼の立場では物を申すことができないのだ。
「ローイックをカッコ良くしちゃうんだからね!」
「姫様。彼を傷物にしないでくださいね」
「分かってるわよ!」
ジャキジャキと鳴るハサミの不気味な音と不穏な会話を、ローイックは冷や汗をかきながら聞いていた。
ローイックが朝食を取っている姿を満足げに見ていたキャスリーンが、徐(おもむろ)に話しかけてきた。パンを齧ろうとしたローイックは固まってしまう。
「これから、ですか?」
「そうよ、これからよ!」
キャスリーンはニコッと愛くるしい笑顔を披露しているが、有無を言わせない目もしていた。良く分らないが、とっとと食事を済ませてしまおうと、ローイックはパンを口に詰め込んだ。
「さっきも言ったけど、お父様が視察で来るからね」
「ぐふっ」
キャスリーンの父である皇帝陛下が来ると聞いて、ローイックはパンを喉に詰まらせた。寝耳に水状態だ。ローイックは咽ながらも手を伸ばし、水の入ったグラスを取った。パンを押し流すように、ぐいっと一気に水を飲みほす。
「ちょっと、ローイック!」
キャスリーンが慌てて席を立ち、ローイックの背中に回った。水を飲んだ彼の背中をバシバシと叩いてきた。
「げほっげほっ」
「もー、なに慌ててんのよー」
「す、すみません」
第四皇女にこんなことをさせているのが人の目に入ったら、ローイックはただでは済まないのだが、たまたまこの食堂には二人しかいない。調理師も席を外しているのだ。
「さっき言ったこと、聞いてなかったの?」
キャスリーンが、咽り過ぎて涙目になってるローイックの肩に手を当て、後ろから顔を窺ってきた。
「ちょっと、ゴホ、考え、ゴホ してま ゴホ」
「もう、収まるまで静かにしてなさい」
キャスリーンが、またローイックの背中を叩き始めたが、今度はトントン程度で優しいものだ。その内ローイックの呼吸も落ち着いて「ありがとうございます、もう、大丈夫です」と手を挙げて教えた。
キャスリーンは人差し指を立てて「あ・わ・て・す・ぎ」と可愛く窘めてくる。ローイックはその仕草に思わず微笑んでしまう。
「む、反省してないなー」
ぷぅとむくれるキャスリーンにローイックは「いやー姫様の仕草が可愛いので、つい」と頭を掻きながら軽口を叩く。彼女はちょっと頬を赤らめて、ふいっと視線を逸らしてしまう。
ローイックは彼女のこんな所も、好きだった。
「お父様が視察に来るんだから、せめて髪くらい切らないと、って思ったのよ。ちょっとでも良い印象を与えたいじゃない」
キャスリーンは明後日の方を向いたまま喋っていた。ローイックは嫌な予感にちょっと頬を引きつらせた。
「姫様」
二人がそんな会話をしていると、食堂の入り口から低めの女性の声が響いてきた。
「そのような者とお戯れになるのも、程々にして下さい」
そんな事を言いながら静々と食堂に入ってきたのは、キャスリーン専属侍女のミーティアだ。黒い髪を頭の上に丸くまとめ、黒いボレロに黒いロングスカート姿の真っ黒な女性だ。ついでに瞳も黒かった。
皇女に仕える侍女は、その主によって色分けされる。第四皇女のキャスリーンは黒だ。背が低く、ちょっと幼い顔付きの彼女は、その黒が良く似合っていた。
「ローイックが咽せってたんだから、介抱くらいするのは当然でしょ!」
「そのような者と仲良く話をしている所を見られては、姫様のお立場が悪くなります。姫様は皇女殿下なのです!」
ミーティアは二人が仲良くしていると機嫌が悪い。皇女が平民でもない者と会話しているだけでも、白い目で見られてしまうものらしい。
ローイックとて侯爵の息子であり、礼儀作法はみっちり教え込まれている。キャスリーンに無礼を働く事はない。それでも、駄目なのだ。身分とは、その様なものなのだ。
「此処にはそんな事を言う人はいないわ」
「関係御座いません!」
彼女はキャスリーンの言葉もピシャリと断ってしまう。
ミーティアはキャスリーンよりも四つ年上で、ローイックと同い年だ。彼女がキャスリーンの侍女になったのは九年前だ。付き合いの長さから、皇女といえども強く出られるのだろう。ローイックとキャスリーンが初めて出逢った時に、探しに来たのもミーティアだった。
「申し訳ありませんでした」
傍観していたローイックが深々と頭を下げた。この方法が、一番被害が無いのだ。
「ローイックは悪く――」
「それで良いのです!」
厳しい口調でミーティアがキャスリーンを遮った。キャスリーンは唇を噛んで、ミーティアを睨みつけている。そんな様子を見たローイックは、自らの想いは表に出してはいけない、と再度確認をした。キャスリーンに迷惑をかけたくはないのだ。
「酷いにも程があるわよ、ミーティア!」
「ここは宮殿の端にあり、騎士団の関係者しか来ない場所ではありますが、人の目というものは、何処にあるか分からないものです!」
いくらキャスリーンが反論の言葉を紡ぎ出そうとしても、ミーティアはその反論も封じ込めていく。
「ミーティアさんが、正しいのですよ」
ローイックは、宥めるように優しい声でキャスリーンに話しかけた。これ以上言い争いをして二人の信頼関係を拗れさせたくなかったローイックは、ミーティアの味方をした。彼女の言っていることは正しいのだ。
「でも、ローイックは悪くないの!」
キャスリーンは悔しそうな顔で、最後までローイックを擁護していた。
有難う御座います、とローイックは心の中でお礼を述べた。
「それよりもローイックさん。あなたのその、みっともない髪はどうにかならないのですか?」
ミーティアがじろりとローイックの髪を見てきた。確かに長い。そして見栄えは悪い。
「確かに、長いのですが、切る時間が無くてですね……」
ローイックも苦笑いだ。キャスリーンだけでなくミーティアにまで言われてしまっては、どうにかする他ない。しかも皇帝陛下が視察に来るとなれば尚更だ。
「大丈夫よ、今から切るんだから。綺麗に切り揃えてあれば、ローイックはカッコイイんだから!」
「ひ、姫様?」
キャスリーンが自信たっぷりの笑顔を見せた。だがローイックは知っているのだ。この皇女様が、この上なく不器用な事を。ハサミで切るよりも剣で切る方が、よほど上手く切れるのではないか。とローイックは思ってしまった。そして切られるのは自分なのだと。
「なによーその目はー。ローイックはあたしの腕前を疑ってるの~?」
「……いえ」
可愛く口を尖がらせて流し目を送って来るキャスリーンに対して、はい疑ってます、などと言うどころか、思うことさえも出来なかった。ローイックの完敗である。
「……姫様自らお切りになるおつもりですか?」
さすがにミーティアも看過出来ない案件らしく、顔が険しくなっている。まぁ、皇女がやって良い事ではないのは確かだ。
「そうよ。カッコよくしちゃうんだから!」
初めて会った時と変わらない、二パッと笑うキャスリーンに、ローイックは、ただ見とれるだけだった。
椅子に座らされたローイックの首には大きな布が巻かれ、体をすっぽりと覆われている。捕らわれた彼の目の前には、ハサミを持ってニコニコしているキャスリーンが、脇には呆れ顔のミーティアが控えていた。
「姫様、本当に、おやりになるのですか?」
「もっちろんよ!」
嬉しそうに答えるキャスリーンに、ミーティアは額に手を当てて俯いたている。止めても無駄だと理解したのだろう。
ローイックは観念してどうにでもれ、と思考を停止させた。俎の上のナントやらだが、彼の立場では物を申すことができないのだ。
「ローイックをカッコ良くしちゃうんだからね!」
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