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タヌキは不安定
第八話 夜更けの襲撃者
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遠くで夕刻を告げる鐘が鳴り響いた。春先とは言え、日が落ちるのは早い。既に茜色に染まった空に一羽の鳥が飛んでいた。どこかに帰るのだろうか。
ローイックは、第三騎士団の建物の傍で、漠然とその鳥を眺めていた。帰る場所があって、羨ましく思っているのかもしれない。
「ローイック、早めに切り上げてね。仕事のしすぎは、体に良くないのよ?」
キャスリーンに声をかけられた。定刻で帰る騎士に混じり、彼女は王宮の自室に戻るところだ。ローイックはその見送りにきていた。
彼女は今日も、昨日終わりきらなかった書類の処理を手伝ってくれていた。せめてものお礼に、と見送りに来たのだ。
「姫様のお陰で、昨日よりは早く終わりそうです。ありがとうごさいます」
ローイックが笑顔でそう答えれば「そう思うなら、夕食は食べなさいよね」と口を尖らせたキャスリーンに釘を刺されてしまう。
慌てたローイックが「善処します」とごまかせば「それって、考えるけどやらない、ってことよね?」と追い討ちを食らってしまう。頭に手をやり「ははは」と乾いた笑いで、キャスリーンの視線を躱すしかないローイックだった。
「キャスリーン、置いていくわよ~」
「むしろ、残りたい?」
先に歩きだしたテリアとタイフォン姉妹に急かされ「いま行くから!」と振り返り叫んだ。
「ローイック、また明日ね!」
「ゆっくりお休みください」
何十回と繰り返された別れの挨拶を重ね、キャスリーンは走っていった。彼女の暴れる金色の髪が落ち着くまで、ローイックは、頬を緩ませながら眺めていた。
「さーて、もう一頑張りだ!」
ローイックは腕を上げ、うーん、と背を伸ばした。
キャスリーンの笑顔、というやる気は補充した。ローイックは拳を握り、彼の戦場に戻っていった。
「もう少しだな」
机の上の書類も、残り数枚になっていた。昨日よりも大分早く宿舎に帰れそうだった。
「……姫様には、感謝してもしたり無いなぁ」
ローイックがそんな事を考えたときだ。ドカドカと階段を上がってくる足音が耳に入ってきた。重さから、足音の主は男性だと想像するのは容易だった。
ここは女性だけの第三騎士団だ。例外の自分だけが男な筈だ。しかもその足音が複数聞こえてくるとくれば、何かおかしいと頭に閃く。
「……やっぱり来たか」
ローイックはため息混じりに呟いた。
荒々しい足音は、ローイックがいる部屋の前で止んだ。ノックもなしに扉が開けられ、数人の男がズカズカと入ってきた。その内の一人は、今朝会ったホーク第一騎士団長だ。入るなりローイックを見つけ、優男の仮面をかなぐり捨て、片方の口角をあげ、嫌みったらしい笑みを浮かべた。
「ったく、汚ねえ部屋だな。ま、モノにはお似合いだがな」
彼の取り巻きなのか、三人の若い男達がゲラゲラと笑い始めた。顔に見覚えはなかったが、恐らく第一騎士団の騎士だろう。
ローイックは、彼等が何をしに来たのかくらいは分かっている。今朝のお礼にでも来たのだろう。
「おや、これはこれはホーク様ではありませんか。第三騎士団に御用ですか?」
分かってはいるが、一応マトモな応対をする。上辺だけの対応だが。
ローイックは椅子から立ち上がり、彼等に近づく。
「けっ、用事がなけりゃこんなとこには来ねえよ」
口を歪めたホークが吐き捨てた。あからさまに女性を下に見ている発言だった。
第三騎士団は女性のみの騎士団だ。第三とつくからには第一、第二騎士団がある。第一騎士団は治安、第二騎士団は護衛を主任務としていた。当然男所帯だ。
そんな所にいきなり女性のみの第三騎士団が発足した。騎士団長は第四皇女キャスリーンだ。皇女とはいえ、女が団長であることに不満を持つ者達もいる。このホークという男もそんな男達の一人だった。
「姫様が聞かれたら悲しまれます」
「うるせえ!」
ローイックの嫌みに対して、頬に拳の返事が飛んでくる。ぐらつきながらも、ローイックは耐えた。口には鉄の味が広がっているが、やや興奮した頭が痛みを消してくれていた。
ぐいっと右手で口を拭う。
「器の小さい男だ」
キャスリーンが作り上げたこの第三騎士団を小馬鹿にするホークが、ローイックは許せなかった。そんな思いが、つい口から出た。
「モノが何を言ってんだ!」
ホークの言葉と一緒に、膝がローイックの腹に刺さる。重い一撃が腹部を通り抜けた。
「いっ!」
痛みに堪えかねて膝を付けば頭にホークの足が迫り、抵抗することも出来ず床に叩きつけられた。
「あぐっ」
視界に大きく振りかぶる足が見えたローイックは、左腕で頭を守った。その左腕に鋭い痛みが走り、ボキという嫌な音が聞こえた。
「あああああ!」
痛みにのたうち回るローイックを、ホークは執拗に蹴った。頭を、腹を。何度も何度も繰り返し。
ローイックは歯を食いしばり、ひたすら耐えていた。この事は、朝の時点で予測できたことだし、覚悟もした。
早朝から痴話喧嘩をしていたと取られれば、キャスリーンに悪い噂がたつ。こんな男との浮いた話など、ローイックの許せることではないのだ。彼女もこの男に良い印象は持っていない事は知っていた。キャスリーンが味わう悲しみに比べれば、この痛みなど、大したものではない。
ローイックにとっては、彼女が全てだ。ここも、彼には引けない場面なのだ。
「はっ、これに懲りたらモノ如きが口を出すんじゃねえ」
肩で息をしながら、ホークが捨て台詞を吐いた。ついでとばかりに、机の上の書類を乱暴に投げ散らかした。宙に舞う書類がローイックの顔にもかかる。
「う……」
ローイックは床に転がされ、左腕と、全身の痛みに呻いている。顔は熱く火照っていた。恐らくは腫れが酷いのだろう。視界も少し狭くなっていた。
笑い声と共に、大きな音で扉が閉められた。彼等は満足したのか、帰ったようだ。
「イテ! 立て、ないか……」
ローイックは体を捻り、立とうとしたが、動くと左腕に激痛がはしる。痛みを誤魔化すためか、息も荒くなった。
「折れてる、かなぁ」
チラッと左腕を見た。あらぬ方向に向いてはいないが、ヒビくらいは入っているだろう。
「朝までは、いっ! まだ、大分、かかる、よ、なあ……」
ローイックは力無く横たわっていた。朝になれば、朝食を食べに来ないローイックを探しにキャスリーンが来るだろう。その時までこのままだ。痛みで動くことも、寝ることもできない。見つけられるのを待つしかなかった。
「人生は茨の道、とは、よく言ったもんだ」
ローイックは痛みに耐えるように、目を閉じた。目蓋の裏には彼女の笑顔が浮かんでいた。それを眺めながら、ひたすら痛みに耐えていた。
翌朝、朝食を食べに来ないローイックを探しに来たキャスリーンが、部屋で倒れたまま動けない彼の姿を発見した。書類も散乱していて、何があったのかを雄弁に語っていた。
顔に痣を作ったローイックの顔を見て、キャスリーンは顔の色を無くした。だが、悲鳴をあげることなく、ぎゅっと口を結んだ。そして叫んだ。
「誰か、医務室に行って医師を連れてきて! 早く!」
キャスリーンは何時もの優しい声でも、凜とした声でもない、切羽詰まった口調だった。
「ローイック、どうしたのよ!」
キャスリーンはローイックの脇にかがみ込み声をかけた。が、ローイックはひきつりながら「転んでしまって、動けなくなりました」と、答えた。無論、嘘である。
「キャスリーン。大きな声出してどうしたの~って、きゃーー!」
様子がおかしいキャスリーンを見に、テリアが部屋に来た。顔を腫らし、横たわっているローイックと、脇で膝をついて青い顔をしているキャスリーンを見て、悲鳴を上げた。
キャスリーンが起こそうと背中に手を入れると、ローイックは痛みで顔をしかめた。キャスリーンが視線を向ければ、彼の左腕は肘以外の場所で曲がっていた。
「ちょっと、腕が折れてるじゃない!」
「あはは、折れて、ましたか」
額にびっしりと汗の粒を貼り付けたローイックが、呑気な笑みを浮かべていた。キャスリーンには心配をかけたくないのだろう。
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!」
「いや、どじを、踏みました」
「何があったのよ!」
「転んだ、だけ、ですよ」
「転んだだけで、顔は腫れないでしょ!」
「いやぁ、はは……」
キャスリーンが泣きそうな顔で問い詰めるが、ローイックの口から、何があったのかを語られることはなかった。
ローイックは、第三騎士団の建物の傍で、漠然とその鳥を眺めていた。帰る場所があって、羨ましく思っているのかもしれない。
「ローイック、早めに切り上げてね。仕事のしすぎは、体に良くないのよ?」
キャスリーンに声をかけられた。定刻で帰る騎士に混じり、彼女は王宮の自室に戻るところだ。ローイックはその見送りにきていた。
彼女は今日も、昨日終わりきらなかった書類の処理を手伝ってくれていた。せめてものお礼に、と見送りに来たのだ。
「姫様のお陰で、昨日よりは早く終わりそうです。ありがとうごさいます」
ローイックが笑顔でそう答えれば「そう思うなら、夕食は食べなさいよね」と口を尖らせたキャスリーンに釘を刺されてしまう。
慌てたローイックが「善処します」とごまかせば「それって、考えるけどやらない、ってことよね?」と追い討ちを食らってしまう。頭に手をやり「ははは」と乾いた笑いで、キャスリーンの視線を躱すしかないローイックだった。
「キャスリーン、置いていくわよ~」
「むしろ、残りたい?」
先に歩きだしたテリアとタイフォン姉妹に急かされ「いま行くから!」と振り返り叫んだ。
「ローイック、また明日ね!」
「ゆっくりお休みください」
何十回と繰り返された別れの挨拶を重ね、キャスリーンは走っていった。彼女の暴れる金色の髪が落ち着くまで、ローイックは、頬を緩ませながら眺めていた。
「さーて、もう一頑張りだ!」
ローイックは腕を上げ、うーん、と背を伸ばした。
キャスリーンの笑顔、というやる気は補充した。ローイックは拳を握り、彼の戦場に戻っていった。
「もう少しだな」
机の上の書類も、残り数枚になっていた。昨日よりも大分早く宿舎に帰れそうだった。
「……姫様には、感謝してもしたり無いなぁ」
ローイックがそんな事を考えたときだ。ドカドカと階段を上がってくる足音が耳に入ってきた。重さから、足音の主は男性だと想像するのは容易だった。
ここは女性だけの第三騎士団だ。例外の自分だけが男な筈だ。しかもその足音が複数聞こえてくるとくれば、何かおかしいと頭に閃く。
「……やっぱり来たか」
ローイックはため息混じりに呟いた。
荒々しい足音は、ローイックがいる部屋の前で止んだ。ノックもなしに扉が開けられ、数人の男がズカズカと入ってきた。その内の一人は、今朝会ったホーク第一騎士団長だ。入るなりローイックを見つけ、優男の仮面をかなぐり捨て、片方の口角をあげ、嫌みったらしい笑みを浮かべた。
「ったく、汚ねえ部屋だな。ま、モノにはお似合いだがな」
彼の取り巻きなのか、三人の若い男達がゲラゲラと笑い始めた。顔に見覚えはなかったが、恐らく第一騎士団の騎士だろう。
ローイックは、彼等が何をしに来たのかくらいは分かっている。今朝のお礼にでも来たのだろう。
「おや、これはこれはホーク様ではありませんか。第三騎士団に御用ですか?」
分かってはいるが、一応マトモな応対をする。上辺だけの対応だが。
ローイックは椅子から立ち上がり、彼等に近づく。
「けっ、用事がなけりゃこんなとこには来ねえよ」
口を歪めたホークが吐き捨てた。あからさまに女性を下に見ている発言だった。
第三騎士団は女性のみの騎士団だ。第三とつくからには第一、第二騎士団がある。第一騎士団は治安、第二騎士団は護衛を主任務としていた。当然男所帯だ。
そんな所にいきなり女性のみの第三騎士団が発足した。騎士団長は第四皇女キャスリーンだ。皇女とはいえ、女が団長であることに不満を持つ者達もいる。このホークという男もそんな男達の一人だった。
「姫様が聞かれたら悲しまれます」
「うるせえ!」
ローイックの嫌みに対して、頬に拳の返事が飛んでくる。ぐらつきながらも、ローイックは耐えた。口には鉄の味が広がっているが、やや興奮した頭が痛みを消してくれていた。
ぐいっと右手で口を拭う。
「器の小さい男だ」
キャスリーンが作り上げたこの第三騎士団を小馬鹿にするホークが、ローイックは許せなかった。そんな思いが、つい口から出た。
「モノが何を言ってんだ!」
ホークの言葉と一緒に、膝がローイックの腹に刺さる。重い一撃が腹部を通り抜けた。
「いっ!」
痛みに堪えかねて膝を付けば頭にホークの足が迫り、抵抗することも出来ず床に叩きつけられた。
「あぐっ」
視界に大きく振りかぶる足が見えたローイックは、左腕で頭を守った。その左腕に鋭い痛みが走り、ボキという嫌な音が聞こえた。
「あああああ!」
痛みにのたうち回るローイックを、ホークは執拗に蹴った。頭を、腹を。何度も何度も繰り返し。
ローイックは歯を食いしばり、ひたすら耐えていた。この事は、朝の時点で予測できたことだし、覚悟もした。
早朝から痴話喧嘩をしていたと取られれば、キャスリーンに悪い噂がたつ。こんな男との浮いた話など、ローイックの許せることではないのだ。彼女もこの男に良い印象は持っていない事は知っていた。キャスリーンが味わう悲しみに比べれば、この痛みなど、大したものではない。
ローイックにとっては、彼女が全てだ。ここも、彼には引けない場面なのだ。
「はっ、これに懲りたらモノ如きが口を出すんじゃねえ」
肩で息をしながら、ホークが捨て台詞を吐いた。ついでとばかりに、机の上の書類を乱暴に投げ散らかした。宙に舞う書類がローイックの顔にもかかる。
「う……」
ローイックは床に転がされ、左腕と、全身の痛みに呻いている。顔は熱く火照っていた。恐らくは腫れが酷いのだろう。視界も少し狭くなっていた。
笑い声と共に、大きな音で扉が閉められた。彼等は満足したのか、帰ったようだ。
「イテ! 立て、ないか……」
ローイックは体を捻り、立とうとしたが、動くと左腕に激痛がはしる。痛みを誤魔化すためか、息も荒くなった。
「折れてる、かなぁ」
チラッと左腕を見た。あらぬ方向に向いてはいないが、ヒビくらいは入っているだろう。
「朝までは、いっ! まだ、大分、かかる、よ、なあ……」
ローイックは力無く横たわっていた。朝になれば、朝食を食べに来ないローイックを探しにキャスリーンが来るだろう。その時までこのままだ。痛みで動くことも、寝ることもできない。見つけられるのを待つしかなかった。
「人生は茨の道、とは、よく言ったもんだ」
ローイックは痛みに耐えるように、目を閉じた。目蓋の裏には彼女の笑顔が浮かんでいた。それを眺めながら、ひたすら痛みに耐えていた。
翌朝、朝食を食べに来ないローイックを探しに来たキャスリーンが、部屋で倒れたまま動けない彼の姿を発見した。書類も散乱していて、何があったのかを雄弁に語っていた。
顔に痣を作ったローイックの顔を見て、キャスリーンは顔の色を無くした。だが、悲鳴をあげることなく、ぎゅっと口を結んだ。そして叫んだ。
「誰か、医務室に行って医師を連れてきて! 早く!」
キャスリーンは何時もの優しい声でも、凜とした声でもない、切羽詰まった口調だった。
「ローイック、どうしたのよ!」
キャスリーンはローイックの脇にかがみ込み声をかけた。が、ローイックはひきつりながら「転んでしまって、動けなくなりました」と、答えた。無論、嘘である。
「キャスリーン。大きな声出してどうしたの~って、きゃーー!」
様子がおかしいキャスリーンを見に、テリアが部屋に来た。顔を腫らし、横たわっているローイックと、脇で膝をついて青い顔をしているキャスリーンを見て、悲鳴を上げた。
キャスリーンが起こそうと背中に手を入れると、ローイックは痛みで顔をしかめた。キャスリーンが視線を向ければ、彼の左腕は肘以外の場所で曲がっていた。
「ちょっと、腕が折れてるじゃない!」
「あはは、折れて、ましたか」
額にびっしりと汗の粒を貼り付けたローイックが、呑気な笑みを浮かべていた。キャスリーンには心配をかけたくないのだろう。
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!」
「いや、どじを、踏みました」
「何があったのよ!」
「転んだ、だけ、ですよ」
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