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弱気なキツネ
第二十話 姉のような侍女
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「姫様、大丈夫ですか?」
ミーティアが心配そうな顔で見つめてくるが、キャスリーンは白い騎士服のまま仰向けにベッドに倒れ込んだ。キャスリーンが五人は並べる幅のベッドが大きく揺れる。
キャスリーンは天井に設置されている硝子細工が施された灯りをボンヤリと見ていた。頭はとある事で隙間無く埋まられており、ミーティアの声も届いてはいない。
「ひ・め・さ・ま!」
キャスリーンの意識にミーティアが強引に入り込んでくる。キャスリーンは視線だけを動かして意識を向けた。
「今晩は歓迎の晩餐会が催されます。姫様も参加されるんですよ」
「……わかってる」
キャスリーンは呟く程度の返事しかできなかった。聞きたくなくて、ごろんと横を向き目を閉じる。
「……気になっているのは彼女の事ですか? 彼の事ですか?」
キャスリーンは答えられない。両方だからだ。彼女には会いたくも話したくもない。彼には会ってゆっくり話をしたい。
ミーティアがネイサンから聞いた事は、即日キャスリーンにも伝わっている。だから戸惑っているのだ。
キャスリーンがロレッタの立場だったら、同じ感情を持っただろう。同じように、キャスリーンに当てこすったろう。何が何でも連れて帰ろうとするだろう。その心の内が理解できるだけに辛いのだ。
「ローイックも、帰りたいよね。きっと……」
彼がずっと帰りたい気持ちを抑えていることはキャスリーンにも分かっている。四年前にあそこにいたのもそれが原因だ。戦争がそれを引き起こしたという事実が、キャスリーンの心に抜けない棘になって刺さっているのだ。
思い悩むキャスリーンの視界が、だんだんぼやけてくる。
「姫様」
ギシとベッドがきしんだ。キャスリーンが振り向けば、そこには微笑むミーティアの顔があった。ベッドを揺らしながらミーティアがキャスリーンに、にじり寄ってくる。そしてキャスリーンの頭を彼女の膝の上に乗せた。
「ローイックさんが我が国に来ることになった戦争について、姫様が心を痛めることはありません」
ミーティアの手がキャスリーンの額に当てられた。少しヒンヤリしていて、彼女には心地良く感じられる。心地よさに気分を預けるように、キャスリーンは静かに目を閉じた。
「その頃、姫様はまだ十二歳です。そもそも姫様は政には関与していないのです。姫様がどうお考えになろうとも戦争は起きて、彼は連れてこられてしまうのです。ご自分を責めてらっしゃるようですが、それは違います」
「でも」
「これは事実です」
唇を噛むばかりでキャスリーンは答えられない。
ミーティアの言う通り、キャスリーンには関係ない事だ。仮に彼女が絡んでいたとしても大勢に影響は無かったろう。皇帝でもない者の個人の意見など反映されることは無い。
だからと言って何も感じないわけでは無いのだ。それが思いを寄せる相手なのだから尚更だ。むしろ、だからこそ、なのだろう。
「周りから見ていた私達の意見ですが」
ミーティアはこう前置きをした。恐らくは第三騎士団の総意であろう事はキャスリーンにも予想できた。
「ローイックさんの感じている辛さを、姫様が癒していた、と思っております」
「そんな事は」
「ございます!」
ミーティアは強く遮った。額に乗せられた彼女の手が、少し熱くなってきた。
「一緒に連れてこられた者の内、一人は首を括ってしまったのは、ご存知ですよね」
「財務部にいたって、シェルストレーム宰相に聞いた……」
「えぇ、その通りです」
彼は財務に配属された文官だった。財務は各所から上がってくる予算申請の可否を判断する部署だ。当然申請する側と強化を決める側で、揉める。その揉め事を解決する手段として有効なものが、政治的な力関係だった。帝国に所属する貴族ならば、その地位で決まってしまうが、彼は違った。帝国の貴族ではなく、国内にも影響力を持たないが、その代り柵に縛られる事は無かったのだ。彼はその折衝役に抜擢される。誰もがやりたがらないからだ。
物理的な暴力こそ振るわれる事は無いが、言葉の暴力は容赦なく襲ってきた。罵られることなど当たり前で、命を脅かす脅迫までもがきていた。
知らぬ土地で、王国からきている仲間とも離され、相談する事も出来ず内に溜め込んだものは、彼を追い詰めた。そして彼は自らの命を絶ってしまったのだ。
「ローイックも、そうだったかもしれない……」
ローイックも同じように、そんな圧力や迫害まがいを受けていたはずだ。キャスリーンはぎゅっと目を瞑る。ローイックがそんな思いをしていたとは、認めたくなかったのだ。当時のキャスリーンは、まったく気が付かなかった。ローイックは、彼女の前ではいつも笑っていたから。
腕を折った時も、脂汗で額を埋め尽くしていたのに、無理矢理笑顔を作っていた。嘘までついて。
あれは、自分が皇女だからなのだろうか、と考えてしまうのだ。
立場が上だから?
キャスリーンは、ローイックに対して、そんな風にを考えたことは無い。彼が自分を好いてくれているであろうことは、なんとなしに分かる。ただ、何故自分なのだろう、と思うことはある。それこそ身分が目当てなのか、などど邪推をしては落ち込むこともしばしばだった。
恋愛経験もほぼなく、我がままに育ってきた彼女に、男の心情を理解することなど不可能だった。
「……確かに、ローイックさんも、相当の苦労をされているでしょう。でもローイックさんには姫様がいました。勉強を抜け出しては彼の所に行っていたのを、私が知らなかったとお思いですか?」
「知ってたの?」
キャスリーンは驚きで目を開けると、そこにはにっこりと笑うミーティアがいた。
「その場所を覗ける部屋があるのですが、その部屋から見ておりましたので」
ミーティアはペロッと舌を出した。
「頃合いを見計らって、姫様を呼びに行っていたんですよ」
「そ、そうなの?」
見られていたなどとは想像もつかなかったキャスリーンは、顔と体が熱くなるのを感じた。動揺を悟られまいと、ニヤついてるミーティアから視線を逃がす。
「ローイックさんは、楽しそうに笑っておりましたね。自ら命を絶ってしまった方は、笑うことはなかったそうですよ……」
「でも、それは、あたしが皇女だから……」
そこまで言うとキャスリーンは口を閉ざしてしまう。その先は、口に出したくはないのだ。
「……それは、一度彼に確認しては如何です?」
その言葉にキャスリーンもう一度ミーティアを見た。見たというか、睨んだ。
「そんな事、できるわけないじゃない!」
キャスリーンは不安に駆られ叫んだ。ローイックに「いやぁ、バレちゃいました?」などと言われたら、キャスリーンはどんな顔をして良いのか分からない。自身が絶望に沈むのが目に見えている。
「お気持ちは分かりますが、今、彼を巡って、我々はあまり良い状況ではないようです。今のままでは、彼の帰国は阻止できないでしょう。我が国にとって、彼の存在は大した問題ではありませんから」
「それは誰から?」
「秘密で御座いますよ」
ミーティアの手がキャスリーンの瞼の上にかぶされてしまった。視界を塞がれたキャスリーンはため息をつく。
「……ローイックとは、ゆっくり話がしたいの。他愛のないことで良いんだけど。のんびり、話がしたいなぁ」
「明日には帰国してしまう、という状況でもありませんので、一度姫様自身、頭をしゃっきりさせてからお考えになった方が宜しいかと」
「考えるって、何を?」
「姫様がどうされたいのか、です。姫様が本当にしたいことを考えてみては、如何ですか?」
「本当に……」
キャスリーンが思考の海に沈んでいると、ふいに視界が明るくなった。ミーティアが手をどかしたのだ。ミーティアは柔らかく微笑んでいる。
「さて、そろそろ晩餐会の準備を致しませんと、間に合わなくなってしまいます」
キャスリーンの頭がひょいとのけられた。さぁさぁさぁさぁ、とミーティアが声で煽って来る。
本当にしたいこと、かぁ。
キャスリーンは霞がかった頭で、漠然と考え始めた。だがぼやけた視界の向こうが見える事は無かった。
ミーティアが心配そうな顔で見つめてくるが、キャスリーンは白い騎士服のまま仰向けにベッドに倒れ込んだ。キャスリーンが五人は並べる幅のベッドが大きく揺れる。
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「ひ・め・さ・ま!」
キャスリーンの意識にミーティアが強引に入り込んでくる。キャスリーンは視線だけを動かして意識を向けた。
「今晩は歓迎の晩餐会が催されます。姫様も参加されるんですよ」
「……わかってる」
キャスリーンは呟く程度の返事しかできなかった。聞きたくなくて、ごろんと横を向き目を閉じる。
「……気になっているのは彼女の事ですか? 彼の事ですか?」
キャスリーンは答えられない。両方だからだ。彼女には会いたくも話したくもない。彼には会ってゆっくり話をしたい。
ミーティアがネイサンから聞いた事は、即日キャスリーンにも伝わっている。だから戸惑っているのだ。
キャスリーンがロレッタの立場だったら、同じ感情を持っただろう。同じように、キャスリーンに当てこすったろう。何が何でも連れて帰ろうとするだろう。その心の内が理解できるだけに辛いのだ。
「ローイックも、帰りたいよね。きっと……」
彼がずっと帰りたい気持ちを抑えていることはキャスリーンにも分かっている。四年前にあそこにいたのもそれが原因だ。戦争がそれを引き起こしたという事実が、キャスリーンの心に抜けない棘になって刺さっているのだ。
思い悩むキャスリーンの視界が、だんだんぼやけてくる。
「姫様」
ギシとベッドがきしんだ。キャスリーンが振り向けば、そこには微笑むミーティアの顔があった。ベッドを揺らしながらミーティアがキャスリーンに、にじり寄ってくる。そしてキャスリーンの頭を彼女の膝の上に乗せた。
「ローイックさんが我が国に来ることになった戦争について、姫様が心を痛めることはありません」
ミーティアの手がキャスリーンの額に当てられた。少しヒンヤリしていて、彼女には心地良く感じられる。心地よさに気分を預けるように、キャスリーンは静かに目を閉じた。
「その頃、姫様はまだ十二歳です。そもそも姫様は政には関与していないのです。姫様がどうお考えになろうとも戦争は起きて、彼は連れてこられてしまうのです。ご自分を責めてらっしゃるようですが、それは違います」
「でも」
「これは事実です」
唇を噛むばかりでキャスリーンは答えられない。
ミーティアの言う通り、キャスリーンには関係ない事だ。仮に彼女が絡んでいたとしても大勢に影響は無かったろう。皇帝でもない者の個人の意見など反映されることは無い。
だからと言って何も感じないわけでは無いのだ。それが思いを寄せる相手なのだから尚更だ。むしろ、だからこそ、なのだろう。
「周りから見ていた私達の意見ですが」
ミーティアはこう前置きをした。恐らくは第三騎士団の総意であろう事はキャスリーンにも予想できた。
「ローイックさんの感じている辛さを、姫様が癒していた、と思っております」
「そんな事は」
「ございます!」
ミーティアは強く遮った。額に乗せられた彼女の手が、少し熱くなってきた。
「一緒に連れてこられた者の内、一人は首を括ってしまったのは、ご存知ですよね」
「財務部にいたって、シェルストレーム宰相に聞いた……」
「えぇ、その通りです」
彼は財務に配属された文官だった。財務は各所から上がってくる予算申請の可否を判断する部署だ。当然申請する側と強化を決める側で、揉める。その揉め事を解決する手段として有効なものが、政治的な力関係だった。帝国に所属する貴族ならば、その地位で決まってしまうが、彼は違った。帝国の貴族ではなく、国内にも影響力を持たないが、その代り柵に縛られる事は無かったのだ。彼はその折衝役に抜擢される。誰もがやりたがらないからだ。
物理的な暴力こそ振るわれる事は無いが、言葉の暴力は容赦なく襲ってきた。罵られることなど当たり前で、命を脅かす脅迫までもがきていた。
知らぬ土地で、王国からきている仲間とも離され、相談する事も出来ず内に溜め込んだものは、彼を追い詰めた。そして彼は自らの命を絶ってしまったのだ。
「ローイックも、そうだったかもしれない……」
ローイックも同じように、そんな圧力や迫害まがいを受けていたはずだ。キャスリーンはぎゅっと目を瞑る。ローイックがそんな思いをしていたとは、認めたくなかったのだ。当時のキャスリーンは、まったく気が付かなかった。ローイックは、彼女の前ではいつも笑っていたから。
腕を折った時も、脂汗で額を埋め尽くしていたのに、無理矢理笑顔を作っていた。嘘までついて。
あれは、自分が皇女だからなのだろうか、と考えてしまうのだ。
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キャスリーンは、ローイックに対して、そんな風にを考えたことは無い。彼が自分を好いてくれているであろうことは、なんとなしに分かる。ただ、何故自分なのだろう、と思うことはある。それこそ身分が目当てなのか、などど邪推をしては落ち込むこともしばしばだった。
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「それは誰から?」
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「本当に……」
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「さて、そろそろ晩餐会の準備を致しませんと、間に合わなくなってしまいます」
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