第三騎士団の文官さん

海水

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幕間

幕間 不思議な衣装と戸惑う男

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 ハーヴィーがミーティアと結託した次の日から、秘密の打ち合わせは始まった。ローイックとキャスリーンが逢えない為、お互いの行動が分らないから付き添っている者同士の情報交換をしようというのだ。
 最初はテラスで話をしようかと思っていたが、意外にそこには人がいる時が多く、内緒話には向いていなかった。

「では、こうしては如何でしょう?」

 ミーティアの提案はこうだ。
 夜にハーヴィーがワインを頼んだということにして、ミーティアがワインを持って部屋に尋ねるというのだ。ネイサンはじめアーガスの人間は上級な待遇を受けている。特にハーヴィーはローイックと親しい上に残る事が決まっている為、世話はキャスリーンの侍女部隊が受け持っていた。つまりハーヴィーの部屋にミーティアが行くことは、なんら不思議な事ではないのだ。

「ちょっと待ってくれ! いくら客の世話といっても、夜分男の部屋へ行くのは不味い。それに、ミーティア嬢に悪い噂がついてしまう」

 ハーヴィーは反論した。ミーティアは未婚だ。キャスリーンが嫁ぐまでは自らも独り身を貫くのだろうが、悪い噂というのは誤って伝わる上に、拡散も早い。ミーティアの立場に悪影響を与え、将来にとって都合が悪くなる様な事態は避けたいのがハーヴィーだ。

 だからと言ってハーヴィーにコレと言った代案もなく、「これしか案はありません!」と、ごり押しするミーティアに押し切られてしまった。女性に優しく、が裏目に出た。

 初日こそハーヴィーもミーティアも周囲を警戒をしたが、夜間に酒を要求する客というのは珍しいものではなく、宮殿を警護している第二騎士団の騎士達も怪しむような気配はなかった。
 そんな打ち合わせも既に三回目になる。そろそろ就寝という時間に、ハーヴィーは簡単に身支度をした後、ミーティアの訪問を待っていた。

「片付け、良し。ゴミは、ねえな。ベッドも、乱れてねぇ」

 ハーヴィーは、部屋をある程度綺麗にしていた。一応、女性が来るのだ。部屋のあちこちを指でさしながら、綺麗になっているかを確認している。ローイックよりも、断然、片づけられる男だ。

 ドアがノックされ、「頼まれた物をお持ちしました」といつものミーティアの声が聞こえた。間に合った、と一安心して「あー、入ってくれ」と応答する。怪しまれない様に「頼まれた物」という言葉を発するのが、合言葉だった。別に何を頼んでいるわけではない。

 すっとドアが開き、ワインの瓶とグラスを乗せたトレイを持ったミーティアが入って来た。だが、その装いはいつものお仕着せの黒い侍女服ではなく。ハーヴィーは見たことも無い衣装だった。

「お待たせいたしました」

 ミーティアは普段通りの笑顔でテーブルの上にワインとグラスを置いていく。ハーヴィーはその動作を口を開けてみていた。

「そ、その服は?」

 ハーヴィーが辛うじて発することができたのは、それだけだった。
 ミーティアの衣装は、薄いピンクの地で腰から下に可愛い花の模様が集中しているガウンにも似た衣装で、お腹の辺りに太い帯が巻かれているという、ハーヴィーにとって摩訶不思議な物だった。袖の部分がやけに広く、気を抜くとテーブルについてしまいそうだ。

 帯も薄いピンク色で、衣装全体として色が統一されていた。ミーティアは、夜だからか黒い髪を簡単に一か所で縛ったうえで、アップにしてあった。またそれが良く似合っている、とハーヴィーは感じていた。ミーティアを含んで一つの芸術品といえた。

「あの、可笑しいでしょうか?」

 恥ずかしいのか不安なのか、ミーティアはちょっと俯き加減の上目遣いでハーヴィーを見てくる。

「い、いえ、良く似合っている。綺麗だ……」

 惚けながらも、褒める事は忘れなかった。最低限のマナーは守れただろう。

「良かったです」

 ホッとしたのか、ミーティアは首を傾げ、笑顔になった。その笑顔がまた、その衣装に良く似合っていた。




「これは以前、遠方の東国の王族が宮殿にいらっしゃった時に姫様への贈り物で貰ったものなのです。でも、東国の方は背丈が低くて、頂いたこの服は姫様には小さかったんです。それで身長が小さい私になら合うだろうと、姫様がくださったんです」

 ミーティアが袖がテーブルに触れない様に片手で押さえつつ、グラスにワインを注いでいる。だがハーヴィーの視線は、とあるか所に釘付けになっていた。

 ミーティアは身長の割に、肉付きが良い。サイズ的には普通でも、相対的にみると胸は大きいのだ。それはキャスリーンが僻むほどに。その大きな胸が帯の上に目立つ膨らみを作っていた。
 端的に言えば、胸が帯に乗っかっているのだ。情けない事に、ハーヴィーはその魅惑に抗えなかったのだ。

「なんでもこれは『キモノ』という衣服らしくて、その中でも『イロトメ』という物らしいです。彼の国では、独身の女性の正装だそうですよ。この可愛らしい色は『ナデシコ』色というそうです。上品な色ですよね」

 ミーティアが腕を広げ、嬉しそうに説明をしているが、ハーヴィーの耳には入るものの逆の耳から抜けて行ってしまっていた。胸元はきっちりと重ねされていて肌は見えず、イブニングドレスの様な色香はないが、そのかわり凛とした佇まいの静かな美しさがある。ハーヴィーはそれにも見惚れていた。

「本当は『ゾウリ』というものを履くのだそうですが、動きずらいのでいつものブーツです」

 ミーティアは、はにかみつつ、ちょっとだけ足を上げた。前合わせの裾が割れ、中に着ている赤い生地が顔を覗かせている。その生地は『イロトメ』と呼ばれるものよりも、余程派手な柄で、ハーヴィーも目を丸くした。ミーティアが言うには『ジュバン』というらしい。

「……不思議な服、ですね」

 ハーヴィーは視線を上げ、ミーティアを見た。ミーティアは照れ笑いを浮かべながら「初めて着たんです」と答えてきた。

「どうですか?」

 そう言いながらミーティアはその場で手を広げ、くるっと回転した。袖がふわりと舞い、ピンクの翼のように見えた。可憐な花の模様の帯は、背中で鞄の様に大きくまとめられているのが特徴的だ。ハーヴィーは、面白いもんだ、と思いつつ、そのまま視線を下に向ける。すぐにハーヴィーの視線が止められた。いや、吸い込まれたといったほうが正確だろう。

 ミーティアが着ている『キモノ』は、横から見ると、腰から腿までのラインがきっちりと見えてしまっているのだ。ドレスや侍女服ではスカートの膨らみで隠れてしまっている部分だ。
 ハーヴィーが黙って凝視していると「恥ずかしいので、あんまり見ないでください」と、ミーティアは両手でお尻を押えてしまった。

「しし、失礼した」

 ハーヴィーはふいっと視線を逃がした。顔が熱くなっているのは分るが、誤魔化す余裕もなかった。

「まぁ、ハーヴィー様なら、見られても良いですけど」

 ミーティアは可愛く口を尖らせている。幼く見えるミーティアのその仕草にトドメをさされ、ハーヴィーは撃沈した。
 やべぇ、可愛い。
 ある程度女性に対して耐性があるハーヴィーだが、どうしようもない保護欲に駆られていた。腕が勝手に動き出すのを、精神力で止めているほどだ。いつもと違うミーティアに、ハーヴィーは狼狽えるばかりだ。ローイックの事をとやかく言えたものではない。

 さっきは気にならなかった『キモノ』から漂う香料の匂いも、ハーヴィーを惑わせていく。
 椅子に座っているにも関わらず浮ついてしまい、床の感触もつかめなくなっていた。ワインも飲んでいないのにこの様だ。ハーヴィーは焦点が合わなくなり、『キモノ』姿のミーティアが朧げになっていくのを感じた。




「ハーヴィ-様、大丈夫ですか?」

 ミーティアの心配する声に、ハーヴィーは我に返った。はっとして、声のした方を見る。不安そうな顔で覗き込むミーティアに「い、いや、大丈夫、だ」としか答えられなかった。
 いかんな。どうにも調子が狂う。
 ハーヴィーは頭を振り、いつもの調子を取り戻そうとした。

「それなら、いいですけど……」

 ミーティアの顔が、ちょっとだけ曇った。それを見たハーヴィーは、慌ててにこやかな笑みを浮かべる。

「いやぁ、その『キモノ』を着たミーティア嬢が素敵すぎて、意識を取られてしまいました」
「まぁ、御上手で」

 ミーティアは口に手を当て笑顔に戻った。「失礼します」と言い、ハーヴィーの向かいに座る。ようやく密談の開始だ。








「分りました。姫様にもそう伝えておきます」

 話も終わり、ミーティアはすっと立ち上がるとトレイを両手に持った。

「夜更けに一人で大丈夫ですか? なんなら送って行きますが」

 手がふさがっているミーティアの代わりに扉を開けようと、ハーヴィーは彼女の傍に立っていた。

「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ、もう何年もいるんですから。宮殿警備の騎士もいますし」

 ミーティアは首を傾げながらにこりと微笑む。ちょっとばかりワインを飲んだからか頬が紅色に染まっており、色っぽくも見える。

「それに、送っていただいても、ハーヴィー様が帰り道を間違えそうですし」

 眉尻を下げたミーティアにそう言われ、言い返せないハーヴィーは苦笑した。方向音痴は自覚している。仕方なしにハーヴィーは扉を開けた。

「では、また明日」

 ハーヴィーが右手を左胸に当て礼をした。だがミーティアはトレイを持ったまま動かない。じっとハーヴィーの目を見上げてくるのだ。まるで何かを待っているかのように。

 ハーヴィーはミーティアの全身を眺め、開けた扉を閉めた。そのままクローゼットに向かい、薄い外套を取り出した。渋い萌葱もえぎ色の外套だ。ハーヴィーはその外套を持ち、ミーティアの元に戻った。不思議そうな顔で見上げてくるミーティアの肩に、そっと外套を掛ける。撫子色の『キモノ』に萌葱色の外套は良く似合っていた。思わずハーヴィーの頬が緩む。

「その『キモノ』姿の貴女は、他の男には見せたくない」

 ハーヴィーはミーティアのつむじあたりに右手を添え、額に唇を落とす。ゆっくり顔を離せば、おすまし顔だが頬を赤くし、口元をわずかに緩ませたミーティアが目に入る。彼女の耳の赤さが、答えが間違いではない事を教えてくれた。

「お休みなさいませ、お嬢様」

 にっこりと笑顔で扉を開ければ、ミーティアがすすっと扉をくぐる。彼女は袖を揺らしながらくるっと振り返り「お休みなさいませ」と頭を下げた。
 『キモノ』姿を外套で隠し、しずしずと歩いていくミーティアの背中を見続け、彼女が角を曲がったところでハーヴィーは扉を閉めた。

「……悪戯が本気にならないようにしないとな」

 ハーヴィーはそう呟き、ベッドに倒れ込んだ。既に手遅れだと感じつつ、酔った頭で漠然と考える。
 皇女殿下がローイックと結ばれてアーガスにきた場合、侍女を纏めているミーティアも一緒に来るだろうな、と。
 今しがたまで眺めていたミーティアの笑顔と艶姿が脳裏に浮かび上がる。

「……口説くのも、悪くは、ないな……」
 
 微睡む意識の中、ハーヴィーはそんな言い訳がましい事を思ったのだった。
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