第三騎士団の文官さん

海水

文字の大きさ
43 / 59
手と手を取り合うキツネとタヌキ

第四十話 罠と獲物と

しおりを挟む
 アイランズ商会から『服が出来たので試着をお願いしたい。迎えの馬車を寄越すので、それに乗ってください』
 そんな言付けがローイックの元に届いていた。その紙を右手に持ち、ローイックはその迎えの馬車に乗っていた。向かいにはハーヴィーが陣取っている。窓からは夕日の橙色が帯となって差し込み、中をセピア色に染めていた。

「想定の範囲内か?」
「さて、どうかなぁ」

 ローイックは眉を下げ、困った顔をした。吊っていた左腕も、今は添え木と包帯を巻いているだけになっている。痛みは少しはあるが、手が自由になるのは楽なのだ。

「ま、姫様は晩餐会だし、宮殿の警備は厳重になってたし、お前はようやくまともな服ができて、晴れてお姫様の横にいても文句を言われないしで、言うことなしだと思うが? 順風満帆だよな?」

 ハーヴィーが意味ありげにニヤリとするとローイックは呆れたようなため息をついた。

「そうだな。ミーティアさんはここのところ凄い上機嫌だよな。やたらと笑顔を振り撒いて、幸せを放出しているような気がするんだけど、これも順風満帆だからなんだよな?」

 ローイックはお返しとばかりにニヤついた。ハーヴィーが買って帰った髪飾りがミーティアの頭のお団子に咲いているのはローイックも知っているが、二人の関係がどこまで進んでいるかまでは知らない。キャスリーンから聞いたのは、ハーヴィーが恋人の為に買った、ということだけである。

「……気のせいだろ」

 ハーヴィーがふぃっと窓の外に顔を向けると、ローイックは目を細めた。

「そっか、ミーティアさんも年頃だしな。皇女の侍女を取りまとめていたとあれば、引く手あまただろうし。さぞかし人気があるんだろうなぁ」

 ローイックの言葉にハーヴィーの肩がピクリと動いた。視線だけがローイックを見てくる。

「姫殿下程じゃないだろうがな」
「ま、私は姫様を誰にも渡さないけどな。ミーティアさんの父親である伯爵には結構な数の縁談の話がいっていると、ヴァルデマル閣下がこぼしていたなぁ。ミーティアさんも大変だ」
「……譲るつもりはねぇよ」

 そんな二人を乗せた馬車は、人通りの少ない貴族街をゆっくりとアイランズ商会へと向かっていた。




 二人が向かうアイランズ商会の屋敷のとある部屋では、ホークがふかふかのソファにふんぞり返り、我が物顔でくつろいでいた。高そうな調度品や、絵画に囲まれ、優雅にワインを嗜んでいる。獲物の到着をまだかと待っているのだろうか。その部屋の扉がノックされ、ガレンが入って来た。

「宮殿はどうでしたか?」

 にこやかな笑みを浮かべ、ガレンはホークへと歩み寄る。

「あぁ、晩餐会の準備は万端だ。遠くからちらっと見たが、姫さんもピンクのドレスを着てたな。あのお転婆姫もおとなしくしてりゃ綺麗なんだがな」

 ホークはやや頬を赤らめ、酔った様子で楽しげに返事をした。

「こちらも準備は万端です。ゴロツキを何人か集めておきました。ホーク様の手を煩わせる事などできませんから」

 ガレンが恭しく言うが、ホークは逆に眉間に皺を寄せる。

「最初の一発は俺がやる。俺に刃向かうなんて舐めた真似してくれたからな。この手でやってやらねえと気が済まねえ。あのにやけた面をぶん殴ってやる!」

 ホークは左の掌に右の拳を打ち込んだ。パンと小気味いい音が部屋に響き、ホークの顔が凶悪に歪む。

「……まぁ、目撃者さえいなければ、もみ消しは簡単でしょう」

 ガレンはヤレヤレという風に肩を竦め息を吐いた。ローイックだけでなくハーヴィーも亡き者にすれば問題ないという認識だった。迎えの馬車は商会手配のもの。目撃されても誰が乗っているかなど分からない。誰が屋敷に来たのかは、分からないのだ。
 力のある商会と貴族が結託すれば、帝国内に逆らえるものなど殆どいないのが現状だ。レギュラスはこの現実を危惧していたのだ。

「はは、よろしく頼むぜ」

 ホークは片方の口角を上げた。まるで悪人の様に、愉しそうに。




 アイランズ商会の屋敷に着いた馬車からはハーヴィーとローイックが降りた。腰に二本の剣を帯剣したハーヴィーと文官の青い詰襟のローイックともに、呑気な顔をしている。玄関には迎えには先日もいた家令がにこやかな笑みで立っていた。二人は軽く会釈をし、中へと案内されていく。

「ローイック様には試着をして頂きますので、こちらの部屋に」

 家令は先日の応接室とは別な部屋にローイックを案内しようとする。

「じゃぁ俺も行くとしよう」
「いぇ、ハーヴィー様には、この部屋でお待ちいただければと」

 ハーヴィーを制止するように前に立ち、家令が牽制してくる。ローイックはハーヴィーを一瞥し「じゃ、行ってくるよ」と右手を上げた。

「しっかりな」

 ハーヴィーがローイックの背中に声をかけた。腰に差し込んだ剣の柄をそっと触りながら。




 ローイックは家令に案内されるがままに廊下を歩いて行く。階段をのぼり、二階へ。ローイックは何かを確認するように、壁を扉を見ていた。

「この部屋になります」

 家令に案内されたのは二階の一番奥の部屋だった。通常の屋敷では主が使う部屋にあたる。一番奥で、一番安全な部屋に屋敷の主が住むのは常識だ。

「どうぞ」

 扉が開かれ、ローイックが中に入ると、部屋の奥で、窓を背に足を組んで椅子に座るホークがニヤつきながら出迎えた。

「ようこそ、ローイック殿」

 ホークの歓迎の挨拶にローイックはその場で立ち止まり、にっこりと笑みを浮かべた。

「やぁホーク殿。ご足労いただいたようで申し訳ない。宮殿の警備で多忙だろうに。苦労をかけたね」

 ローイックは後ろ手に勢いよく扉を閉め、素早く鍵をかけた。廊下では家令が驚きの叫びをあげているが、ローイックの表情は変わらない。それが気に入らないのだろう、ホークが眉を顰めた。

「今の状況が分かってんのか? お前騙されたんだぞ!」

 ホークが立ち上がり、ゆっくりとローイックに近づいてくる。額に浮き上がる筋が彼の感情をよく表していた。

「あぁ、分かってるさ。お誘いがあったから、のこのこと出てきたのさ」

 ローイックは更なる挑発の為に肩を竦めた。ホークの様なプライドが高い男は小馬鹿にされると頭に血が上りやすい。それは育ちが良ければよいほど、その傾向がある。特に公爵の嫡子であるホークを挑発するのが、外国の、更には格下であり皇女の縁談相手であるローイックなら、尚更だった。
 ローイックの仕草一つで彼の眼つきが変わった。拳を握りしめ、ローイックへと歩む歩幅を大きくしたのだ。ローイックは笑顔のまま、右手をズボンの後ろポケットに差し入れた。

「はっ、じゃぁ、まずはこれだ!」

 ホークが振りかぶった瞬間、ローイックはズボンのポケットから小袋を取り出し、ホークの顔面にぶつけた。その袋からボフッと黒い煙が立つ。

「くそっ!」

 振りかぶった腕から逃れるようにローイックはしゃがんだ。屈んだその上をホークの拳が通り抜けていき、ローイックの後ろにあった扉に導かれる。鈍い音とホークの呻き声が聞こえた時にはローイックは奥の窓の前に立っていた。

「くそっ、目が、見えねえっくしょ! がはっつ!」

 ホークが苦悶の表情を浮かべ床に転がりまわっている。顔中を涙と鼻水まみれにし、その優男の面影をどこかに消してしまっていた。ローイックは「あーぁ」と呟く。

「胡椒なんかの香辛料をたんまり入れた、お手製の防護袋は如何かな、ホーク殿?」

 のたうつホークが答えられる訳もない。ローイックは「分かっていたことだけど、効くなぁ、これ」とぼやいた。自分が食らわせた物の威力が予想以上だったのだ。ホークが何の警戒もしていなかったこともあるが。

「へっくしゅん」

 ローイックも少し喰らったのか、くしゃみをして鼻をすすった。「こりゃ効くね」と零す。

「て、てめぇ!」

 ホークが、もがきながらもなんとか膝をついて立ち上がろうとしていた。顔は何の液体化分からないものでぐっしょりだった。薄目を開けてローイックを探してくる。

「さて、そろそろお暇しようかな」
「逃がすわけねえだろが!」

 ローイックの呑気さにホークは怒鳴った。その顔は美しさの欠片も無い物だ。
 だがホークの言うことには裏付けがあるのだ。鍵をかけているとはいえ、ここは二階であり、更に一番奥の部屋だ。逃げられる訳はない。

「屋敷の一番奥ってのは、そこで一番偉い人が使う部屋でさ」

 ローイックはその呑気な口調で話し始めた。

「そんな部屋にはさ、大抵逃げ口があるもんなんだよ。それにここはねぇ、昔は皇族の持ち物だったらしくてね、宮殿の第二書庫に建設当時の図面があってさ。ご丁寧に脱出口まで記載されていたんだ」

 ローイックはニコッと笑い、椅子の下の部分の床を一部ひっくり返した。するとそこには片方しっかりと結ばれた長い縄がある。ローイックはその縄のを右手で持ち、立ち上がった。勢いよく窓のガラスを蹴り、派手に割った。割れる音が屋敷に響くと、一階の方が騒がしくなる。ローイックは窓に右足を乗せ、顔をくしゃくしゃにしてもがくホークを見た。

「じゃ!」

 ローイックは笑顔でそういうと、縄を掴み窓の外に身を躍らせた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...